いつでも神のお役に立てるように
Available for God
July 29, 2019
ピーター・アムステルダム
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In the 先回の記事では、いつでも神のお役に立ち、また神のために誰かの役に立てるよう自分を備えておくことや、そのように自分を備えることの中にいかに喜びや充実感や幸せを見出せるかについて話しました。というのも、それは私たちを神の御心、支配、御霊にかなったものにしてくれるからなのです。
ここでは特に、神のお役に立てるよう自分を備えるという概念について、福音を広めるという私たちの召しの観点からさらに探っていきたいと思います。クリスチャンとして、私たちは他の人たちに救いの良き知らせを分かち合うようにとの召しを受けています。イエスは弟子たちにこの任務を与えられました。そして、主を愛し、主に従う現代の弟子である私たちは、主の代理人であり、主を代表する者であって、主につながるための方法をまだ見出していない人たちを助けるよう主に任命され、そのための塗油を受けています。
いつでも神の役に立てるよう備えておこうという決意をする時、私たちは主のために扉を開きます。主が私たちを、主の愛とメッセージを分かち合える状況に導くための扉です。それはキリストが私たちに命じられた任務なので、この目的のために自分自身を備えることは、私たち一人一人が最も優先すべきことです。私たちは主の役に立てるよう意図的に努めるべきです。意図するものは何であれ、それに関心を寄せるようになるからです。主の道具になろうと意識して努めている時、私たちは、どうすれば 困っている人たちに出会える状況に主が私たちを置くチャンスの範囲を広くできるかを考えます。また、どうすれば主の愛と真理の経路になれるかを祈るようになります。主の代弁者、主の手本、誰かの人生における主の影響となれる状況を探し出すようになるでしょう。また、人に手を差し伸べるためのチャンスを逃さないよう、意識的に努力するようになるでしょう。
もし、他の人たちを励まし、元気づけると心に決めるなら、私たちは誰かに「こんにちは」と声をかけたり、会話を切り出したり、優しい言葉をかけたり、できる時にはいつでも主をその場に交えるためのチャンスを探すはずです。聖霊の目的をかなえるためのお役に立とうと心に決め、心と思いの中でそれをゴールにするなら、チャンスが訪れた時に、もっとそれに気づき、行動するようになります。たとえそれが都合の悪いときであっても、それに気づいて行動する可能性が高くなります。
もちろん、神の目的のためにお役に立とうと固く決心するとき、自分の快適ゾーンから外れているようなチャンスを神がもたらされる可能性もあります。それには、一歩踏み出すことや、自分の限界を引き伸ばすこと、自分を変えること、リスクを負うことが必要になるかもしれません。そのすべてに信仰と勇気が必要です。しかし、そのようなステップを踏む価値は十分にあります。その時、神は私たちをご自分の目的と栄光のために使うことがおできになるからです。
私たちは主がせよと示されたことについて、目に見える実を見るとは限りませんが、それは私たちが気にすべきことではありません。大切なのは、神が愛と救いによって手を差し伸べようとしておられる人たちの人生に御心がなされるのを助けられるような道に、神が私たちを導き、案内できるよう自分を備えておくことです。
神が私たちにせよと導かれることは些細なことのように見えるときもあるかもしれませんが、神の目から見ればそれは価値あることなのです。もしかしたらそれは主が誰かに初めてかけるささやき声かもしれないし、あるいは主がその人をご自分に近づけるために長い間使っておられる一連の出来事の中の、ほんの一つの行動かもしれません。神に使っていただいた別の信者がすでに蒔いた種に水をやっているということもあるでしょう。私たちの希望と励ましの言葉、助けの手、私たちが示す親切、分かち合う真理は、神がその人を愛していると示すための方法であるかもしれません。
主に対して、また主のために、いつでもお役に立てるよう意図的に自分を備えている時には、神の光を私たちから輝かせるための機会がたっぷりあります。神と交わり、御言葉を吸収し、神の声を聞き、神が私たちに示し教えておられることを適用するなら、毎日の生活は主の愛のぬくもりと光で輝き、神の御霊を反映するようになるでしょう。私たちが誠実に生き、約束を守り、困っている人たちへの思いやりを示し、クリスチャンの価値観に生き、コミュニティーに貢献し、他の人たちに愛と気遣いを示したり、その他のキリストのような特質や態度を表す時、それは他の人たちにも影響します。私たちの人生は声高に語り、人々を教えるのです。
私たちは常に福音伝道的な方法で福音を分け合えるわけではありませんが、意図的に、自分の人生を御霊の実の現れとし、また、イエスに従う者であることの恩恵の現れとすることができます。神のみ旨に沿った原則、つまり、愛、利他的さ、忠実さ、寛大さに基づく良き決断の手本となるのです。私たちを通して神の光を輝かせることは、神のためにいつでも役に立てる状態になることです。それは、神の愛と真理と、神を信じることからの益を反映する生き方をすることであり、それによって他の人たちが神と神の愛を垣間見ることができるようにするためなのです。
本当の意味で、神の愛と真理と原則を反映する生き方をするには、神のお役に立てるように、また神のために誰かの役に立てるよう、自分自身を備えていなければなりません。意図的にそうすることが必要です。いつでもそのように備えていることが私たちと主との関係の特質となる時、主が私たちを通して御心が達成されるようになります。私たちは主の道具となり、主の愛と憐れみと恵みと救いが私たちを通して他の人たちに触れるのです。私たちは、自分の目的を超えた生き方をするようになり、神の目的と共に生きる生き方ができるようになります。昔からのこんな言葉があります。「最大の能力とは、いつでも役に立てる状態であること」。そして、これは特に、主に対して、また主のためにいつでもお役に立てる状態でいることにも当てはまります。
初版は2015年1月 2019年7月に改訂・再版
朗読:ジョン・マーク