トゲを感謝する
Appreciating the Thorns
April 19, 2023
スティーブ・ハーツ
美しいバラに目を奪われ、その香りを嗅いでいると、その鋭く尖ったトゲを忘れてしまいがちです。
子供の頃、触れて匂いを嗅いでごらんなさいと、母がバラの花をくれたことがあります。指で触り、その柔らかさを楽しみ、香りを嗅いでいると、トゲにつつかれました。私はびっくりして泣きました。母は私を抱き寄せ、どのバラにもトゲがあるのだと、優しく教えてくれました。
母の言葉が思い出されます。「人生にはトゲがたくさんあるの。最初はそのありがたみがわからないかもしれないけれど、後になればわかるようになるわ」。私はまだ子供だったので、その言葉の意味を十分に理解することはできませんでしたが、時が経ち、人生を生きていくにつれ、母の言葉の意味が明らかになっていきました。
人生の「トゲ」を自然にありがたく思うようになることはめったにありません。普通は、そうするよう意識し、そのような思考様式を培うという選択をしなければならないのです。使徒パウロには「トゲ」があり、それは彼を謙遜に保つ役割を果たしていました。2コリント12:7-9で、彼はこう書いています。「そこで、高慢にならないように、わたしの肉体に一つのとげが与えられた。それは、高慢にならないように、わたしを打つサタンの使なのである。このことについて、わたしは彼を離れ去らせて下さるようにと、三度も主に祈った。ところが、主が言われた、『わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる』。それだから、キリストの力がわたしに宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう」。
私にとって人生の最大の困難は、目が見えないことを受け入れることでした。私は周りのほとんどの人とは違っていました。他の人たちは目を使って字を読むことができましたが、私は指を使って文字を読むことを学ばなければなりませんでした。友達や同級生と違って、杖をついて歩かなければなりませんでした。また、日常生活においても、私が知っているほとんどの人たちよりも多くの助けや手伝いが必要でした。
両親は、私が直面していた困難を承知していて、まさにそのパウロの聖句を教えてくれました。特に驚いたのは、パウロの 「肉体のトゲ」が何だったのかははっきりわかりませんが、一般的な説では目に関係していると言われていることです。
私は失明状態から解放されることを願って祈ったし、他の多くの人々も私のために真剣に祈ってくれました。しかし時が経つにつれて、神は特別な目的を果たすために、私が視力を失ってこの世に生を受けることを許されたのだということが、私にも、そして私のために祈ってくれた人々にも明らかになったのです。それゆえ、神は私に目が見えないまま生きるための十分な恵みを与え、どうにかして神の栄光のためにそれを用いてくださるのだと分かってきました。
この気づきは私に人生の新たな活力を与え、私の展望と考え方を完全に変えました。人生の障害について不平を言う代わりに、機会を探すことにしました。探せば探すほど、もっと機会が見つかったのです。
私は突然視力を失ったウィリアム・ムーン博士の手本に従おうと決意しました。彼はこう祈りました。「主よ、私は目が見えないというあなたからの『才能』を受け入れます。どうかそれをあなたの栄光のために用いることができますように。それによってあなたがお戻りになるときに、『利子と一緒にお返しできるようにです』」(マタイ 25:27)。ムーン博士は、ムーン・アルファベットやムーン・タイプとして知られる、目の見えない人が指を使って文字を読むことができる特別な読み取り方式を開発するというインスピレーションを得ました。
もし神が、目が見えないという「才能」を、神に栄光を与えるための証しとして用いることを望まれるのであれば、ムーンのように、私も神の栄光のためにそうしようという結論に至りました。私の証しがいかに人々を励まし、鼓舞し、やる気を起こさせたかというテスティモニーは数えきれないほど聞きました。よく思うのですが、もし私の目が見えたなら、私の人生はこれほどの証しとなったでしょうか。神のみぞ知る、です。それはともかく、私は目が見えないという「トゲ」を感謝するようになっただけでなく、もはやそれを「トゲ」とは思っていません。私はそれを、主が、まだ明らかにはなっていない素晴らしい目的のために使うことを選ばれた道具として受け入れています。
子供の頃よく聴いていたドラマストーリーで、ある高校のマーチングバンドがパレードに参加するため、雨の降る嵐の夜にバスで別の町まで移動していました。移動を始めてすぐ、メンバーの一人の飼い犬バーキスがバスの中までついてきたことに気づきました。少年は困り果て、他のチームメンバーも犬をバスに乗せるなんてと大迷惑していました。
川を渡ろうとしたとき、バスは滑り落ちそうになりました。橋が壊れているのに気づくのが遅すぎたのです。熟練した運転手のおかげで最悪の事態は免れましたが、それでもバスは泥沼にはまってしまい、懸命の努力にもかかわらず、そこから抜け出すことはできませんでした。
するとバーキスが突然バスを降りて、誰も止める間もなく、川に向かってまっしぐらに走っていきました。そして、向こう岸に渡り、農家を見つけると、前足でドアを引っ掻きました。家の中にいた夫婦は、枝が家に当たっている音に過ぎないと思ったのですが、吠える声が聞こえて、それが犬だと気づきました。
夫婦はドアを開けてバーキスを中に入れようとしましたが、バーキスは中に入ろうとせず、まるで何かを伝えようとしているかのように、農夫と川の間を交互に見たのです。親切な農夫はレインコートを着て、犬が何を伝えようとしているのかを見に、一緒に外に出ました。
川まで犬を追いかけると、向こう岸から声が聞こえ、スクールバスが泥にはまっていて、何人かの少年たちがバスを押し出そうとしても、できないでいるのが見えました。彼は犬を連れて急いで家に戻り、トラクターに乗って、川を少し下ったところにある別の小さな橋を渡りました。
スクールバスのところまで来たとき、農夫とバーキスを見た乗客は大喜びでした。バーキスは今や、厄介者ではなくヒーローとみなされたのです。バスが泥沼から抜け出すと、農夫は全員を家に連れて帰り、彼の妻が皆に食事と温かい飲み物を振る舞いました。
皆が農夫夫妻に深々と礼を言うと、二人はこう言いました。「私たちではなく、バーキスに感謝しなさい。バーキスがいなかったら、あなたたちが困っているのを知ることはなかっただろうから」と。生徒たちはパレードにちょうど間に合うように目的地に到着し、新しい「ヒーロー」のバーキスをバンドの先頭に立たせました。
あなたの人生には、厄介者やトゲのように思えるものがありますか? 神があなたの人生のために計画された特別な目的のためにそれを使うことができると信じることができます。聖書はこう告げています。「神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている」(ローマ 8:28)。その目的が何なのかを、今はまだ理解できないかもしれませんが、いつか理解できるようになる時がきます。そしてそのとき、何であれ、その「トゲ」を心から感謝するようになるでしょう。
若者向けのキリスト教的人格形成リソース「Just1Thing」ポッドキャストより、一部変更