年を重ねることを感謝する(パート2)
Appreciating Aging!—Part 2
April 2, 2020
マリア・フォンテーン
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自分あるいは他の人が年を重ねることを感謝することや、勝利に満ちた年の取り方についてもっと読みたい人のために、そのテーマについて色々な人がコメントした数々の励ましとなる言葉を分け合いたいと思います。
「老齢というのは、成長が止まる時ではなく、まさしく新しい形で成長する時である。すでに経験した成長の全てについて理解し始める期間なのだ。私たちのうちにある全てがその最も甘美で豊かで独自のものを達成する、柔らかさをもたらす時期なのである。」—ジョーン・チティスター
「あなたは、あなたの信仰と同じだけ若く、疑いと同じだけ老いている。自信と同じだけ若く、恐れと同じだけ老い、希望と同じだけ若く、絶望と同じだけ老いている。」—サミュエル・ウルマン
イエスが言われたように、神の御国に入るには幼子の信仰が必要です。神への完全なる信頼こそが、時に縛られた存在という制約から私たちを解放してくれます。神の完全なる愛を信じることこそが、私たちを自由にし、神にあっての私たちの数々の可能性を経験させてくれるのです。
私たちを縛るのは、イエスに焦点を当てる代わりに、一時的でしかないこの世のものに目を移してしまうときに生じる疑い、恐れ、絶望だけです。それらが、私たちのビジョンを制限し、神の子どもであるという真理を見えなくしてしまうのです。
「学ぶのをやめてしまう人は20歳であれ80歳であれ年老いている。」—ヘンリー・フォード
「人生の終わりの時というのは最高の時であり、確かに最も重要な時の一つです。この人生の終わりの時こそ、神の存在のうちに溶かされ、過去のボロボロになった残存物を手放し、『今』に生きることを学び、それで十分であることを学ぶ時です。ありのままの人生を生き、それで十分だと学ぶ時、自分自身を受け入れ、その結果学んできた全てを受け入れ、それで十分だと学ぶ時なのです。」—ジョーン・チティスター
「年をとることの素晴らしさは、自分がこれまで経験して来た全ての年齢を失うことはないということだ。」—マデレイン・レングル
「いくら年をとろうと、いつまでも美しい人がいる。そういう人の美しさは、年とともに外見から内面へと移っていくに過ぎない。」—マーティン・バクスボーム
もちろん、人の心の内なる美しさは、絶えず目からあふれ、顔のあたりを舞ったりするものです。年老いても輝く笑みをたたえた人というのは、この人生で最も美しいものの一つだと思います。それに並ぶのは、赤ん坊の輝く笑みぐらいでしょう。どちらも純粋で、心からのものです。私は何度か、そういう笑みに遭遇しました。特に、高齢者が参加するクリスチャンの集まりにおいて。肉体的にはシワだらけで「年老いて」いても、美しい天国の光を反映させるかのような輝きを持った人がいるのです。
「しわくちゃでも、目の輝きを失わないことが大切である。」—著者不明
私たちにはイエスがいます。ですから、この地上に何年いたのであれ、主は、「しわくちゃ顔の目の輝き」を主の「聖なる輝き」としてくださいます。人生でどんな大変な目にあっても、私たちは今なお進み続け、主に信頼し、主が与えてくださった周りの人たちに憐れみや愛や慰めを与えているのですから。
「皺とともに品位が備わると敬愛される。幸せな老年には言い知れない黎明がさす。」—ヴィクトル・ユーゴー
私たちが年取るにつれて主がシワを与えられるのは、生涯、学び成長し、多くの経験を積んで、それを蓄えてきたとしても、まだまだ限界を引き伸ばし、拡張する余裕があるということを目に見える形で私たちに示すためではないでしょうか。私も、シワのある限り、シワと主の恵みとを合わせていきたいものです。
「年を重ねていくのは避けられない。だが、年寄りになる必要はない。」—ジョージ・バーンズ
「美しく年をとる人には3つの大きな共通点がある。情熱、人生観、忍耐強さの3つだ。」—著者不明
「老後とはいくじなしのための場所ではありません。」—ベティ・デイビス
おそらく、それだからこそ神は、痛みや苛立ちを伴う、年をとるという経験を、人生の最後の時に持ってこられたのでしょう。フィニッシュライン直前の最後の部分を走りぬくだけの忍耐や我慢強さ、辛抱強さ、強靭な決意を育てるには一生かかるのです。
「魂の暗き住処、肉体が朽ち逝けば
時穿ちたる狭間より、新たな光を差し入れよ。」—エドモンド・ウォーラー
「年をとり過ぎているせいで、別のゴールを作ったり、新しい夢を見たりすることができないなどということはない。」—レス・ブラン
「年齢を否定するのをやめて、意識的に年を重ね、年を取りながらも自分の新しい能力に対する気づきを得る人は、真の意味でさらに自分らしき人となる。」—ベティ・フリーダン
高齢でいることに慣れ、それが平気になるにつれ、現世での人生が終わりが近づいていることを受け入れられるようになります。遠い地平線上の点に過ぎなかった場所がだんだん大きくなり、美しくなるのです。
「老齢というのは、成長が止まる時ではなく、まさしく新しい形で成長する時である。すでに経験した成長の全てについて理解し始める期間なのだ。私たちのうちにある全てがその最も甘美で豊かで独自のものを達成する、柔らかさをもたらす時期なのである。」—ジョーン・チティスター
「正しい者はなつめやしの木のように栄え、レバノンの香柏のように育ちます。彼らは主の家に植えられ、われらの神の大庭に栄えます。彼らは年老いてなお実を結び、いつも生気に満ち、青々として、主の正しいことを示すでしょう。主はわが岩です。主には少しの不義もありません。」—詩篇 92:12–15
「そして、あなたがたのうちに良いわざを始められたかたが、キリスト・イエスの日までにそれを完成して下さるにちがいないと、確信している。」—ピリピ 1:6
「わたしはあなたがたの年老いるまで変らず、白髪となるまで、あなたがたを持ち運ぶ。わたしは造ったゆえ、必ず負い、持ち運び、かつ救う。」——イザヤ 46:4
「彼らは年老いてなお実を結び、いつも生気に満ち、青々として...」——詩篇 92:14
「神よ、わたしが年老いて、しらがとなるとも、あなたの力をきたらんとするすべての代に宣べ伝えるまで、わたしを見捨てないでください。」—詩篇 71:18
初版は2017年4月 2020年4月に改訂・再版
朗読:キャロル・アンドリュース