神の平和の道具
An Instrument of His Peace
September 21, 2021
引用文集
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主よ、私をあなたの平和の道具としてください。憎しみのあるところに愛を、傷のあるところに赦しを、疑いのあるところに信仰を、絶望のあるところに希望を、暗闇のあるところに光を、悲しみのあるところに喜びを蒔かせてください。
ああ、主よ、慰められるよりも慰めることを、理解されるよりも理解することを、愛されるよりも愛することを、私に求めさせてください。なぜなら、人は与えることで受け取り、赦すことで赦され、死ぬことで永遠の命に復活するからです。—アッシジのフランシスコの祈りとされる
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聖フランシスコの祈りは、霊的な意味に満ちた祈りです。たとえば、最初の数行の言葉は、私たちがどのように生きるべきかを述べています。闇と絶望と悲しみに満ちたこの世界において、私たちは光と希望と喜びを増進させる存在であるべきです。この祈りは、イエスがこの地上におられたときにされたように、私たちの人生を生きるよう告げています。そのような生き方は、神の被造物である私たちの人生を通して、神の姿を映し出す最も効果的な方法です。…
[聖フランシスコは]裕福な家庭に生まれましたが、後にイエス・キリストに生涯を捧げることを選びました。「私の教会を建て直しなさい」とキリストから告げられる幻を見て、自らの手でそれを実行したと言われています。そして、物質的な富を捨てることになっても、キリストに喜ばれる生き方を選びました。
私たちの多くは、聖フランシスコと同じ道を歩むように召されてはいないかもしれません。しかし、イエスに従う者として、私たちは皆、イエスのようになって、イエスのような生き方をするよう召されているのです。… この祈りは、特に他者への接し方において、日々どのように振る舞うべきかを思い起こさせてくれます。—Christianity.com より [1]
愛と赦しと喜びを蒔く
人間の本質から言って、特に現代社会においては、すべてを自己中心的に考え、何よりも大切な「私」にばかり目を向け、自分の行動や態度が周囲に与える影響を見落としがちです。他者に目を向けることが、神に目を向けるための重要な方法であることや、隣人によく仕えることも、神によく仕える最良の機会となることを、私たちは忘れがちです。…
一つの反応が別の反応を引き起こすものであり、ほんの小さな行動でも大きな影響を与える可能性があります。誰かとのちょっとしたやり取りで一日が良くも悪くもなったり、たった一言や一つの仕草ですべてが変わったりした経験は、誰にでもあるでしょう。私たちの人生は、他の人の人生に良い意味でも悪い意味でも影響を与える機会に満ちています。私たちは、単に害を避けるだけでなく、積極的に愛を選び、「神の平和の道具」となることを目標とすべきです。
神の愛そのものが無限であるため、その愛を反映し他者と分かち合う方法を数え上げ、列挙することは不可能です。しかし、聖フランシスコの祈りは、三つの特定の方法に分けることができます。第一は「憎しみのあるところに愛を、傷のあるところに赦しを蒔かせてください」と祈るように、憐れみと赦しの姿勢です。聖書を通して、主は繰り返し、赦しの重要性を説き、私たちを傷つけた人々を何度でも赦すよう教えています。たとえそれが困難であっても、復讐ではなく慈悲を示すという憐れみの心を育まなければなりません。これは、昔の家族間の争いでできた傷を手放したり、知っている人であれ知らない人であれ、悪意のある噂から誰かを守ったり、さまざまな形で実践できます。
聖フランシスコはまた、「絶望のあるところに希望を、悲しみのあるところに喜びを蒔かせてください」と、私たちがただ喜びにあふれた前向きな人であることによって示すことのできる愛にも、焦点を当てています。神の祝福に対する感謝の心を育むことは、私たちが出会う人々だけでなく、自分自身にとっても大きな意味があります。なぜなら、感謝することを他者に思い出させることによって、自分自身もそれを自覚するからです。
誰かの気持ちを引き上げるのに必要なのは、驚くほど些細なことです。お年寄りや病気の隣人のもとに立ち寄ったり、「特に理由もなく」贈り物をあげたり、あるいは、その人がいることに気づいて、ほめ言葉をかけたり、微笑んだり、といったことです。誰かの何気ない親切で、「人間をまた信じられるようになった」という言葉を何度聞いたことでしょうか。キリストにあって、聖なる喜びに満ちた人生を送るとき、私たちは人間への信頼だけでなく、より重要なことに、神への信仰をも回復させるのです。—レベッカ・スミス [2]
理解することを求める
「聖フランシスコの祈り」には、「主よ、… 理解されるよりも理解することを、… 私に求めさせてください」とあります。他人を理解するのは、必ずしも容易ではありません。人の背景、経験、希望、夢はそれぞれ異なっており、私にとって当たり前のことでも、他の人にとってはそうでないことがあります。
私たちの思考回路も皆異なっているので、他人がなぜそのように考え、行動するのかを理解するのは、かなり難しいものです。それなのに、誰もが自然と、他人も自分と同じだと思い込んだり、同じであることを期待したりするので、そのせいで早合点をすることがあります。そうやって結論を急ぐことの問題点は、正しい結論からよく外れてしまうことがあるし、まったく間違った結論を下してしまうこともあるということです。私は、相手の動機や状況を理解していないために、その人の言動が愚かであるとか、傲慢だ、思いやりがない、などと決めつけてしまうことがあります。
私たちはいともたやすく思い込みをするものであり、時間をかけて、人の行動や態度の背後にある理由を見つけるほうが、ずっと大変です。それは、自分の立場、つまり自分の理解や経験、好き嫌いをいったん忘れて、相手の立場でものを考えるということです。意図的に相手を理解しようと努め、自分の思い込みを乗り越えなくてはいけません。
聖書には、「人を裁くな」とあります(マタイ7:1)。しかし、誰かが間違っているように思える場合、あるいは単に自分とは異なっているか、自分の経験にはないことをしているように見える場合、他の点を考慮するのは難しいものです。相手を理解しようとする前に、こういう人だと決めつけ、レッテルを貼ってしまいがちになります。自分が完璧でないことを(一応は)分かっていても、他人の欠陥らしきものを目にすると、それをすぐに忘れてしまいやすいのです。
私は、他人の欠点が見えたとき、「自分だって完璧じゃないから」と思うことは、あまりありません。しかし、たとえ私が完璧な人間だとしても、他人を裁く立場にあるのでしょうか。聖書によれば、そうではありません。「律法を定め、裁きを行う方は、おひとりだけです。この方が、救うことも滅ぼすこともおできになるのです。隣人を裁くあなたは、いったい何者なのですか。」(ヤコブ4:11–12 新共同訳)
これまでに存在した、ただひとりの完璧な方、それはイエスです。イエスは罪を犯したことがありません。これまでもなかったし、これからもありません。人を裁ける立場にある人がいるとすれば、イエスこそ、その方なのです。では、イエスは他の人たちとどう関わり、彼らのしくじりにどう対処されたでしょうか。完璧とは言えない人たちとの関わり方について、イエスはどんな手本を示されたでしょうか。
イエスが井戸端でサマリヤ人の女性に会われたとき(ヨハネ4:4–42)、それは彼女の人生について、いくつかの点を正す絶好のチャンスだったと言えます。けれども、主の目的はそこではありませんでした。イエスは彼女を裁いたり、外見や経歴に基づいて、額面通りに彼女は駄目な人間だと判断したりされなかったのです。時間をかけて、彼女の本当の姿に目を向けられました。
イエスは彼女のそばに座り、彼女の質問や疑問、不安に耳を傾け、それに答えるために時間を割かれました。イエスには、彼女がどんな人であり、どんな可能性を秘めているのか、すべてお見通しでした。彼女のレベルに合わせて話ができるほど、彼女のことをよく理解しておられたのは明らかです。なぜなら、彼女はその後、急いで出て行き、町中の人にイエスのことを伝えたほどだからです。出会ってから一日も経っていなかったのに、イエスは救い主であると告げるだけ、主のことを信頼したのでした。イエスが彼女に心からの理解を示されたことによって、彼女だけでなく、サマリヤ人の町にいる大勢の人々に手を差し伸べることができました。
私たちは、動機を理解しようともせず、まず人を外見や行動で判断してしまうことがよくあるのではないでしょうか。相手の話に一度も耳を傾けないまま、レッテルを貼ってしまい、そのレッテルに従って相手を扱うということを、よくしていませんか。
レッテルを貼ったり、決めつけたりするよりも、相手を愛し理解することを選んだなら、どれほど素晴らしい友情を築けるか、また、福音を伝えるためにどれほど素晴らしい機会を見いだせるかは、やってみるまで分からないものです。もしかすると、私たちがレッテルを貼って避けてきた人は、実は、人生において励ましの言葉や親切を切実に必要としていたのかもしれません。相手のことを真に理解し、正しく評価するには、レッテルや思い込みを捨てなければなりません。その人は、神にかたどって造られた同じ人間であり、イエスが十字架でそのために死なれた人、神の愛や私たちの理解を必要としている人なのです。—マリー・ストーリー [3]
2021年9月アンカーに掲載 朗読:ガブリエル・ガルシア・バルディビエソ 音楽:ジョン・リッスン
1 https://www.christianity.com/wiki/prayer/what-is-the-prayer-of-st-francis-origin-and-meaning.html.
3 若者向けのキリスト教的人格形成リソース「Just1Thing」ポッドキャストより、一部変更