不安と思い煩いよ、さようなら!
Adios to Angst and Anxiety!
March 31, 2020
引用文集
オーディオ・ダウンロード(英語) (9.7MB)
不安とは、心の奥深くで感じる、懸念、恐れ、心配、心細さなどのことです。「angst」(不安を意味する英語の言葉)は、「苦悩、不安、怒り」を意味するインド・ヨーロッパ語の言葉を語源としています。不安は、思い煩いとは少し異なり、思い煩いが能動的であるのに対し、不安は受動的(受け身)です。思い煩いは特定の出来事に対する恐れですが、不安は特定の原因のない、潜在的な不満感です。
人生には、いろいろと心配になる時期があり、それを適切に対処しないと、不安が募ることがあります。たとえば、引っ越しや転職の予定がある時や、十代の日々などは、よく不安を抱きやすい時期です。また、戦時中や経済危機の際には、国の指導者の決定が国民の間に動揺を引き起こすことがあります。聖書では、そのような出来事によって不安になるのではなく、「神はあなたがたをかえりみていて下さるのであるから、自分の思いわずらいを、いっさい神にゆだねるがよい」[1] と言っています。恐れていることを責めるわけではなく、不安よりも良い選択肢を選ぶよう強く勧めているのです。ピリピ4:6–7には、こうあります。「何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。そうすれば、人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るであろう。」
詩篇には、不安にさせられるような状況が数多く挙げられていますが、詩篇の作者たちは解決策を見つけるまで書き続けました。一つ例を挙げると、詩篇42篇では、私たちがよく感じる恐れ、心細さ、不安が表現されていますが、その心の叫びの合間に希望が散りばめられています。例えば5節にはこうあります。「わが魂よ、何ゆえうなだれるのか。何ゆえわたしのうちに思いみだれるのか。神を待ち望め。わたしはなおわが助け、わが神なる主をほめたたえるであろう。」
天国の市民は、この壊れた世界での生活に圧倒されそうになることがあります。私たちはこの世になじめないし、世が称賛するものの多くを好まず、賛同もできません。そして、「ここは故郷ではない」という気持ちが不安を生むことがあるのです。継続的な対立や実りのない議論に感情的に巻き込まれてしまうと、漠然とした不安を抱くことになります。[2]
不安な気持ちで悩んでいるクリスチャンは、御霊の実である喜びを育んでいただくよう神にお願いし、[3] キリストにあって飽き足り、[4] さいわいとされる道を選ぶべきです。[5] 「わたしたちを愛して下さったかたによって、わたしたちは、これらすべての事において勝ち得て余りがある」からです。[6] イエスは、次のように、私たちに平安を与えることを約束されました。「あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている。」[7][8]
私たちは、主が私たちの必要を供給し、悪から守り、私たちを導き、魂を永遠に安全に保ってくださることを頼りにできます。思い煩いが心に浮かぶのを防ぐことはできないかもしれませんが、正しい反応をすることはできます。[9]
1ペテロ5:7では、「神はあなたがたをかえりみていて下さるのであるから、自分の思いわずらいを、いっさい神にゆだねるがよい」と教えられています。神は、私たちが問題や苦悩という重荷を負うことを望んでおられません。この節で、神は心配や不安をすべて神に委ねなさいと言っておられます。なぜ神は私たちの問題を引き受けたいのでしょう。聖書には、神が私たちをかえりみて(心にかけて)おられるから、とあります。神は、私たちに起こるすべてに関心を持たれます。神の関心を引くのに、大きすぎる心配も小さすぎる心配もありません。
もちろん、救い主を知らない人にとって、心配や思い煩いは人生につきものです。しかし、イエスに人生を捧げた人には、イエスがこう約束なさっています。「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」[10]—gotquestions.orgより [11]
*
[イエスは]ご自分を信じるすべての人にこう言われます。「それだから、あなたがたに言っておく。…命のことで…思いわずらうな。」[12] イエスと、イエスにあって「しかり」とされたすべての約束は、思い煩いに対する解毒剤です。[13] イエスが私たちのために成し遂げ、私たちに約束されたことは、私たちを脅かすすべてのものに対する究極の勝利なのです。主はこの世の不幸から逃れられると約束してはいません。そうではなく、あらゆる不幸を贖い、[14] 主にあって私たちがこの世の最悪の事態を克服すると約束しておられるのです。[15]
キリストにあっては、すべてが究極的に、見事に、永遠に、言葉にならないほど、驚くほど、大丈夫になります。ですから、イエスは私たちに、たった今、私たちがいるこの場所で、「思い煩うな」と言われます。イエスは、私たちの過去や気質、現在の危機の深刻さ、そして不安なことが現実になったらどうしようとどれほど恐れているかを知った上で、そのように言っておられるのです。…
もちろん、「思い煩うな」といういましめは、人には実行不可能です。しかし、クリスチャンに対する他のほとんどすべての命令と同様に、「人にはできないが、神にはできる。神はなんでもできるからである。」[16]
私たちがこのいましめを実行する唯一の方法とは、「事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささげ」、具体的な約束を信じて、私たちの求めるところを神に申し上げることです。そうすれば、あらゆる人知を超える神の平安が、私たちの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守ってくれます。[17] 私たちが自分の思い煩いを、いっさい神にゆだねるなら、[18] 神から賜わる力によって、思い煩うことをしなくなるのです。[19]—ジョン・ブルーム [20]
*
なぜ、また眠れない夜を耐え忍んでいるのか? あなたの思い煩いをわたしに委ねるなら、心の平安を与えることができるのに、なぜ不安にさいなまれているのか? どんなに暗い状況であっても、わたしは心配や恐れによる精神的・肉体的ストレスを和らげる、驚くべき平安を与えることができる。
悩みから目をそらし、わたしに目を向けるとき、あなたの心にわたしの平安が訪れる。心配するのをやめて、わたしのことを考えなさい。今までわたしがあなたにした特別なことで、感謝すべきことを一つ見つけて、それについてわたしを賛美しなさい。あるいは、これまでに起こった最悪の出来事と、あなたがまだ無事でここにいるという事実を思って、その思いを感謝の祈りに変えなさい。たとえ、その時に祈っていなかったとしても、また、その時はまだわたしを知らなかったとしても、あなたをその状況から救い出したのはわたしなのだ。わたしはあなたの人生をずっと見守ってきた。そして、あなたには想像できないほど多くの問題を切り抜けさせたり、免れさせたりしてきた。それと同様に、現在の問題からもあなたを切り抜けさせようとしている。
わたしを賛美すればするほど、わたしの平安があなたの心を満たしていくだろう。—イエス、預言で語る
*
毎日、感謝すべきことがたくさんあります。また、不安や心配になることもたくさんあります。けれども、神はあなたに、感謝と平安のうちに生きるよう呼びかけておられます。心配は恐れへとつながり、恐れは信仰に取って代わり、不安を増大させます。神は私たちに、平安を奪おうと忍び寄る恐れを、信仰によって制し、それに覆いをかけるよう告げておられます。神の言葉の真理によって、あなたの不安な心と思いを変えてもらい、心配を祈るための合図としなさい。
「親愛なる神よ、私の心と思いを、あなたに感謝すべきすべてのことの記憶によって満たしてください。私が自分の心を守り、恐れをあなたのもとに携えるという責任を負うなら、あなたもまた私の心を素晴らしい平安で守ってくださることを感謝します。なんと素晴らしい交換条件なのでしょう。今日、私は心配と思い煩いをあなたに委ね、あなたが人生の詳細を取り仕切ってくださるよう、お願いします。イエスのお名前で祈ります。アーメン。」—ゲイル・ロジャース [21]
2020年3月アンカーに掲載
朗読:ジョン・マーク 音楽:ジョン・リッスン
1 1ペテロ 5:7.
2 テトス 3:9; 2テモテ 2:14.
3 ガラテヤ 5:22.
4 詩篇 103:1–5.
5 マタイ 5:3–12.
6 ローマ 8:37.
7 ヨハネ 16:33.
10 マタイ 11:28–30.
12 ルカ 12:22.
13 2コリント 1:20.
14 ローマ 8:28.
15 ヨハネ 16:33; ローマ 8:35–39.
16 マルコ 10:27.
17 ピリピ 4:6–7.
18 1ペテロ 5:7.
19 1ペテロ 4:11.
21 https://thoughts-about-god.com/blog/gail-rodgers_trade-anxiety/