私の「いと高き神に栄光」の瞬間

12月 10, 2014

My “Glory to God in the Highest” Moments
December 10, 2014

ジョン・ランダール

妻と義母は、クラッシック音楽の確固とした土台がある家庭で育ったため、一年を通じて、地元で催される数多くの音楽イベントに参加し、それらは幸いにも、私たちの市が主催しています。私はその分野において彼らほど目利きではないので、コンサートには二人に付き合って、たまに出かける程度です。

その夜、私は来られなくなった誰かの代わりに、チケットが無駄にならないよう、あるコンサートに行きました。私たちが参加していたのは、市に幾つかある昔ながらの伝統的なプロテスタント教会の一つに属する聖歌隊の、クリスマスのプログラムでした。

プログラムは一時間半ほど続き、聴いたことのないラテン語のクリスマス賛美歌や、古いヨーロッパの賛美歌の他、伝統的なクリスマスキャロルなどが歌われ、それらが合間に朗読される聖書の抜粋と共に、クリスマスの物語を語っていました。伝統的なクリスマスキャロルが歌われている間、観客も一緒に歌うよう促され、私たちは大いに情熱を込めて歌いました。

聖歌隊はおよそ60人ぐらいからなり、実際には二つの聖歌隊なのですが、プログラムで歌う中、合わさって一つの聖歌隊となっているのです。地元の大学の音楽科長が、一団の指揮を取っていました。セットや衣装や、演目の構成は、どれもとても伝統的なものでした。

何となく私は、十代後半の若者から70代後半に至るまで、幅広い年齢層からなる、帯びたたしい数の観客の顔を眺めていました。生き生きと輝いている顔もあれば、真剣でどちらかというと気難しい顔、かすかに期待のこもったような顔、生活の重荷から来るストレスがありありと感じられるような顔もありましたが、その全員が一緒になって歌っていたのです。

興味を掻き立てられて皆の顔を見つめながら、一連の思いが脳裏をよぎりました。目に留まった一つ一つの顔に焦点を当て、その顔の背後に、どんな人生があるのだろうと考えたのです。ストレスが表れている顔については、何がストレスになっているのだろうと考え、別の顔の持ち主は、その背後でイエスとどんな個人的な関係を楽しんでいるのだろうと考えました。そのおびただしい数の顔は結局のところ、驚嘆の念を引き起こしたのです。後になってから気づいたことですが、そこには遠い昔に、最初のクリスマスを目撃し、それに反応した人々と同じような、幾分風変わりで奇妙ながらも、同様に輝かしい信者の一団があったのです。私は目の前で一つとなった人生のコラージュに驚嘆しました。

このプログラムは美しく感動的なものとなり、私は見続けている内に、そこに参加した全員がどんなに幸運であるかに気づいて、はっとしました。目の前に、キリスト教の真髄と遺産が展示されていたのです。どの程度信じ献身しているかにかかわらず、この展示の一端を担うだけでも、十分な奇跡であり、驚異的なことであるように思われました。

私はその一団がどのような人たちで構成されているかや、その顔の背後にどんな人生があるかにかかわらず、そこではキリストが、ご自分の人々を通して輝いておられることに気づきました。私の目の前で、クリスマスが生まれていたのです。その光景の上に、キリストの光が輝いていました。私の心と思いに、安らぎが訪れました。

私はキリストの光が決して消えないことに気づいて、励まされました。それは永遠の炎です。真の永遠の命なのです。キリストの霊と光は、それがどんなに明るかろうと、かすかなものであろうと、その民と共に、またその上にとどまり、決して消えることも、消されることもありません。世の光であるその光こそが、この世の暗い片隅に、とりわけ危機や困難の時に輝き続け、これまで以上に多くの人々を主に近づけてくれるのです。

いと高きところで、神に栄光があるように!

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