飼い葉桶の中の神

12月 4, 2014

God in a Manger
December 4, 2014

引用文集

オーディオ所要時間: 7:52
オーディオ・ダウンロード(英語) (7.2MB)

クリスマスとは何でしょう? あなたはその答に驚くかもしれません。

多くの人にとってクリスマスとは、イエス・キリストを飼い葉桶の中に横たわる赤ん坊として思い浮かべる時です。キリストの誕生は特別かつ奇跡的な出来事ではあるものの、それが主要な焦点ではありません。クリスマスの物語の中心をなす真理とは、クリスマスの幼な子が神であられることなのです。

クリスマスの主旨は、救い主が幼児であることではなく、神であることです。イエスの慎ましい誕生は決して、神が世にお生まれになったという事実を、覆い隠すよう意図されたものではありませんでした。

しかし、それこそ現代版のクリスマスがしていることです。その結果、大半の人々にとってクリスマスは、その本当の意味がすっかり失われてしまっています。

神にとって、ご自身がこの世に生まれて飼い葉桶の中に寝かされるということがどういうものなのか、理解できる人は誰もいないことでしょう。全能の神が身をかがめて、小さな赤ん坊になられたことを、人は一体どうやって説明できるでしょうか? 私たちには、神が人となられるためにいかなる行程を要するかなど、まるで想像もつきません。

また、神がどうやって赤ん坊になれるのかを説明できる人も、誰もいません。しかし、神はそうなられました。神としての本質や神性を捨てることなしに、小さな赤ん坊としてこの世にお生まれになったのです。

私たち全員に共通するあらゆる必要や感情を持った完全な人間でしたが、それと同時に、完全な全知全能の神でもあられました。

これまで約2千年もの間、イエスは実際何者なのかという議論が交わされてきました。数々の異端的教団や懐疑主義者たちが、様々な説明を提起しています。イエスは数ある神々の中の一つにすぎないとか、造られた存在だとか、高位の天使であるとか、良き師あるいは預言者である、などなど。そういった説のいずれにも共通しているのは、イエスが神(創造主)ではないと見なしていることです。しかし、この飼い葉桶の中の幼な子が、肉体となった神であられたことの聖書的な証拠は、圧倒的に多いのです。

中でも使徒パウロによって書かれたある節は、イエスの神性の神髄をとらえ、クリスマスを真に素晴らしい時とする真理を強調しています。

コロサイ1:15–20にはこうあります。「御子は、見えない神のかたちであって、すべての造られたものに先だって生れたかたである。‥‥いっさいのものは、御子によって造られ、御子のために造られたのである。彼は万物よりも先にあり、万物は彼にあって成り立っている。そして自らは、そのからだなる教会のかしらである。彼は初めの者であり、死人の中から最初に生れたかたである。それは、ご自身がすべてのことにおいて第一の者となるためである。神は、御旨によって、御子のうちにすべての満ちみちた徳を宿らせ、そして、その十字架の血によって平和をつくり、万物、すなわち、地にあるもの、天にあるものを、ことごとく、彼によってご自分と和解させて下さったのである。」-ジョン・マッカーサー [1]

*

神の救いの計画において、イエスの人性は、神性と同じぐらい重要です。私たちの救いは、イエスが完全に神と人間の両方であられることにかかっているからです。

イエスが三位一体の一つの位格、つまり、子なる神であるがゆえに、救いは可能なのです。神である方のみが、この世の罪という重荷を担うことがおできになるのです。永遠に神である方のみが、無限の価値があるいけにえを捧げ、神の律法に完璧に従い、あがないのために神の怒りを身に受け、そうすることで他の人たちを律法による裁きから解放することがおできなのです。[2]

同様に、人性を持つ者のみが、救いを可能にすることができます。最初の人間アダムが罪をおかし、全人類に罪の宣告をもたらしたため、別の人間が罰を受け、自ら神の裁きを受けることが必要でした。人類の代表として身代わりになることは、人間にしかできないからです。

「しかし事実、キリストは眠っている者の初穂として、死人の中からよみがえったのである。それは、死がひとりの人によってきたのだから、死人の復活もまた、ひとりの人によってこなければならない。アダムにあってすべての人が死んでいるのと同じように、キリストにあってすべての人が生かされるのである。」[3]

ですから、救いを可能にするには、三位一体の第二位格であるイエスが受肉して人性をあますことなく身にまとい、完全に神と人間の両方になることが必要だったのです。

たいてい人はイエスの神性に焦点を当て、人性は後ろに押しやります。しかし、イエスは人間の肉体をまとって地上で生きた神であったものの、あなたや私と同じ人間であり、私たちと変わらぬ肉体的な必要や弱さをお持ちだったのです。私たちと同じような肉体的、精神的な限界があったし、感情を持っておられました。また、私たちと同様、罪をおかす誘惑にもかられ、心の内の霊的な苦しみも味わわれました。イエスは人間であり、他の人間と同じように、生まれ、生き、死なれたのです。人間の性質を持っており、肉体と理性の両方を兼ね持っておられました。-ピーター・アムステルダム

*

クリスマスの真の意味は、愛です。ヨハネ3章16–17には、こうあります。「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。神が御子を世につかわされたのは、世をさばくためではなく、御子によって、この世が救われるためである。」 クリスマスの真の意味とは、この素晴らしい愛の行為を祝うことなのです。

真のクリスマスの物語は、神がイエス・キリストという一人の人間となられたことについての物語です。神はなぜそんなことをされたのでしょう? 私たちを愛しておられるからです! クリスマスはなぜ必要だったのでしょう? 私たちに救い主が必要だったからです! なぜ神は私たちをそんなにも愛して下さるのでしょう? 神は愛そのものだからです。[4] なぜ私たちは毎年クリスマスを祝うのでしょう? 神が私たちのためにして下さったことへの感謝の気持ちから、私たちは贈り物を交換し、主を崇め、貧しく恵まれない人々を特に気遣うことによって、主の誕生を思い出すのです。

クリスマスの真の意味は、愛です。神はご自分の民を愛し、私たちがご自分と共に永遠に過ごせるよう、道を、唯一の道を提供されました。ご自分のたった一人の息子を与えて、私たちの罪に対する罰を、代わりに受けさせたのです。神は全部の代価を支払われたので、私たちはその無料の愛の贈り物を受け取る時、罪の責めから解放されます。「しかし、まだ罪人であった時、わたしたちのためにキリストが死んで下さったことによって、神はわたしたちに対する愛を示されたのである。」[5] ―gotquestions.orgより。

2014年12月アンカーに掲載。朗読:ガブリエル・ガーシア・ヴァルディヴィエソ。


2 Louis Berkhof, Systematic Theology (William B. Eerdmans Publishing Co.: 1996).

3 1 コリント 15:20–22.

4 1 ヨハネ 4:8.

5 ローマ 5:8.

Copyright © 2024 The Family International