一人の人が与える影響

7月 28, 2014

One Person’s Impact
July 28, 2014

引用文集

オーディオ所要時間: 12:44
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愛はどのような姿をしているのでしょうか。それには、人を助ける手があります。貧しく困窮している人々のもとに向かう足があります。不幸や悲しみを見る目があります。人々のため息や、嘆き声を聞く耳があります。愛はそんな姿をしているのです。―聖アウグスティヌス

 

反乱の後

「バウンティ号の反乱」の話は、何世代にもわたって読者や映画観客の心を魅了してきましたが、その後日談は、あまり知られていません。しかしそれも、同じくらい興味深いのです。

何が原因だったのかは諸説ありますが、1789年に英国海軍艦船バウンティ号の船員らが、ウィリアム・ブライ艦長がはたらいたという残虐行為に逆らって、反乱を起こしました。ブライと少数の船員は救命艇で追放されました。反乱者たちはバウンティ号に留まり、やがて南太平洋のピトケアン島という、誰も住んでいない孤島に上陸しました。そこに着いたのは9人の英国人水夫と、タヒチ島からの男性6人と女性10人からなる25人だけで、彼らは上陸後まもなくバウンティ号を焼き払い、そこを永住の地とする作業に取りかかりました。

しかし、彼らの試みはまもなく、悲惨な事態へと発展しました。粗野な英国人水夫たちとタヒチ人らとの間にもめごとが起こり、それが暴力や殺人を招いたのです。また、ある水夫が現地の植物からアルコールを蒸留する方法を発見したため、熱帯の楽園は、酩酊や悪徳や放蕩の巣と化しました。最終的に生き残ったのは、ほんの一握りのタヒチ人と、英国人水夫ジョン・アダムズだけでした。

ある日アダムズは、何年も前にバウンティ号から無事持ち出されてはいたものの、すっかり忘れ去られていた聖書を見つけました。彼がそれを読み始めると、神はその御言葉を用いて、アダムズが自らの罪を認識し、キリストを信じるよう導いて下さいました。彼の人生は劇的に変わり、ほとんど即座に、共に流れ着いた仲間たちにキリストのことを話し始めました。そしてアダムズのすっかり変貌した人生と、聖書のメッセージの両方に感銘を受けて、その人々もまた悔い改めたのです。1808年に、あるアメリカの船がピトケアン島に寄港した際(そこを訪れたのは彼らが初めてでした)、そこで見たものは、繁栄と調和の内に暮らす人々の一団でした。・・・神がジョン・アダムズという一人の証し人を用いて・・・その集落全体を変えられたのです。-ビリー・グラハム [1]

 

ネヘミヤ

わたしはこれらの言葉を聞いた時、すわって泣き、数日のあいだ嘆き悲しみ、断食して天の神の前に祈って、言った、「天の神、主、おのれを愛し、その戒めを守る者には契約を守り、いつくしみを施される大いなる恐るべき神よ、どうぞ耳を傾け、目を開いてしもべの祈を聞いてください。わたしは今、あなたのしもべであるイスラエルの子孫のために、昼も夜もみ前に祈ります。」―ネヘミヤ 1:4–6

*

著名な牧師である故スティーブン・オルフォードは、「御仕事の秘訣とは何ですか?」という質問に対して、こう答えました。「曲げられた膝と、濡れた目と、砕けた心です。」 ネヘミヤは神の聖なる町が荒廃し、愛する人々がうちひしがれていることを思って悲しみの涙を流し、そのために何日も嘆き、断食し、祈りました。

私たちの心にそんなにも重くのしかかり、私たちの存在の最も奥深いところから訴えかけてくる、この世の必要とは何でしょう? 悲しいことに、自分たちの内にあるその様な場所に行かないばかりか、自らの周りに築き上げた防御壁のせいで、そこにたどり着くことすらできない人々がいます。しかし、私たちの砕けた世界が抱えている必要は、心砕けた人々によってしか満たされません。私たちの内なる何かが、神の心に共鳴し、神が感じておられる心の痛みと憐れみの圧迫感を、魂の奥底に感じるまでは、私たちは十分に神の御仕事に携わっているとは言えないのです。

・・・神がご自分の目的のために用いられるのは、ごくありふれた男女であり、神が見られるのは私たちの心の状態です。この砕けた状態、すなわち神の心に触れ、神に心に触れて頂くことの深みそのものが、私たちを支え、力づけてくれます。私たちは実に、自分の涙によって養われているのです。

ネヘミヤは、哀れみではなく、神が感じておられるのと同じ悲しみと共感によって、神の御心を成就すべく情熱を燃やし、駆り立てられ、一つの原動力となりました。クリスチャン生活に実り豊かさをもたらす要素が、曲げられた膝と、濡れた目と、砕けた心であるならば、神の民である私たちは、ネヘミヤのように、神にいつでも用いて頂けるよう自らを備え、この世界における神のご計画への共感に、駆り立てられなければなりません。―チャールズ・プライス

 

エミー・カーマイケル

エミー・カーマイケルが生きた理由は、たった一つだけでした。それは、暗闇にとらわれている人々に神の愛を知らせることです。彼女は1867年に北アイルランドで、7人兄弟の長女として生まれました。そして18歳の時に突然父親を亡くしたことが大きな影響となって、将来や自分の人生に対する神のご計画について、真剣に考えるようになりました。

19歳の時に、ハドソン・テーラーが宣教師の生活について話すのを聞いて、エミーはイエスのために生きること以上に重要なことはないと気づきました。この世では何一つ持っていなかったけれど、その人生を自分に与えて下さった方のために。自分も同じことをして、すべてを捧げるようにとイエスが召しておられることが、彼女にはわかりました。それは彼女が、「世とその称賛や、そのあらゆる習わしや手法や法に対して死ぬ」べきことを意味していました。

彼女は多くの点において、宣教師として志願するにはふさわしからぬ存在でした。神経痛を患ったせいで、体全体が弱まり、痛み、何週間も寝ていなければならないこともしょっちゅうでした。それでもなおエミーは、宣教師になりたいと望みました。そこでそれについて祈り、それが神のご意志であるはずがないと思う理由を書き出しました。最初に挙げられた理由の一つに、病気がありました。けれども祈っている時に、主がまるで部屋の中に立っておられるかのように自分に語りかけ、「行きなさい」と言われるのを聞いたのです。

エミーは一年以上も行き場所を探しましたが、彼女に来てほしいと望む人は、なかなかいませんでした。そのうち、3人の宣教師女性らに同行して、日本に赴くことになりました。彼女は絶えず、証しへの情熱を抱いていました。航海中に汚い船内や虫の問題に面しても、なお快活さを失わないエミーを見ている内に、船長さえも回心してクリスチャンになったほどです。

エミーの神経痛は後にひどく悪化したので、医者は彼女が日本を出て、もっと気候が自分に合った場所へ行くように言いました。エミーはしばらく悩んだ末に、インドで過ごす方が自分の体に良いという事実を受け入れました。

「私は最近何度か、ある言葉に全力でしがみつかなければなりませんでした。『管理者に要求されているのは、忠実であることである。』 神をほめたたえましょう。それは『成功すること』であるとは言っていないのです。」-エミー・カーマイケル

1895年に、エミーは英国国教会から、インドのドノヴァーに行くよう任命されました。時には大変なこともありましたが、彼女は結局、一度も休暇で帰国することなしに、そこで56年間奉仕しました。

インドでの布教活動は、危険に満ちていました。カースト制度で高位にあるヒンズー教徒が回心するたびに、迫害の波がそれに続いたのです。地域社会は、クリスチャンの人生を困難なものとするために、手段を選びませんでした。彼らはミッションスクールを閉鎖に追いやったり、燃やしたりし、また教会を破壊し、宣教師たちを殴り倒し、絶え間なく訴訟を起こしました。

エミーは最初の頃、現地の人たちと同じ身なりをして、方々に福音を説いて回りましたが、他の宣教師の誰もが、それを恥ずべき行為と見なしました。肌を浅黒く染めてサリーに身を包んだ彼女は、ヒンズー教徒と言っても十分通るほどでした。

最終的に、エミーの活動の主要な部分は、家族から神殿娼婦として捧げられた子どもたちの救出に当てられました。エミーは言いました。「愛することなしに与えることはできますが、与えることなしに愛することはできません。」 彼女はあまりに真摯にこの信念に生きたために、多くのトラブルに巻き込まれました。

一度などは、エミーが誘拐罪で逮捕されてインドの刑務所に送られることは、間違いないように思われました。そして厳密な法解釈をすれば、エミーは実際に誘拐の常習犯だったのです。寺院から逃げてきた子どもたちを、しょっちゅうかくまっていたのですから。寺院にいた子どもたちというのは、神々に捧げられた、まだ年若い少女たちで、僧侶らの収入を稼ぐために売春を強要されていたのです。

エミーの存命中に、育児放棄や虐待に苦しんでいた子どもたちが、千人以上救出されました。エミーは彼らの間で「アンマ」として知られており、これはタミル語でお母さんという意味です。その活動にはしばしば危険や緊迫感が伴いましたが、彼女は自分や自分の保護下にある子たちを守るという神の約束を、決して忘れませんでした。

「自分の耳にしたこと、知るようになったことが事実であるとわかって、空が真っ暗になったように感じた日々がありました。・・・まるで主イエス・キリストが、遠い昔にオリーブの木の下でされていたように、一人でひざまずいておられる姿が見えるかのようでした。・・・そして、心から気遣う人間にできる唯一のことは、そっと歩み寄って、主のかたわらにひざまずくことでした。そうすれば、主はたった一人で、幼い子どもたちのことを悲しまなくても済むでしょうから。」

「私たちを勝ち取るために、神はゴルゴダでの犠牲を払われました。主の苦しみにあずかることを知っている私たちにも、主があの日救おうとして死なれた人々を勝ち取るために、きっと同じだけの犠牲がかかることでしょう。」—エミー・カーマイケル

エミーは1951年にインドで、83歳で亡くなりました。彼女は自分の墓の上に、墓石を置かないようにと頼みました。彼女が世話した子どもたちは、代わりにそこに鳥の水浴び用水盤を置き、その上にはたった一言、「アンマ」と刻まれていました。―ピーター・アムステルダム [2]

 

一人の人がどうやって違いをもたらせるのか?

あなたにできるほんのちょっとしたことが、とても重要な意味を持つかもしれません。小さな愛は本当に遠くまで広がります! あなたの微笑みのもつ光や思いやりに満ちた表情、あなたの人生の影響力は、大勢に光を投げかけ、最も感銘を受けそうにないと思われる人にも、驚異的な影響を及ぼすのです。

人々があなたの愛を感じ、あなたがそれは神の愛であると言う時、彼らはこんな風に感じます。「もしかすると、天におられる誰かが、実際に私を愛しておられるのかもしれない!」 それは彼らの見方全体を変え、実に前向きに見られるようにしてくれます。

とても大勢の人が愛を探しています。人々は至るところで、いくらかの希望の光や、救いや、明るい場所がないかと、あたりを見回しています。小さな愛や恵みや、いくばくかの安らぎを得られるどこかの場所を。あなたが彼らに、愛が存在することを示してあげられるなら、彼らは神の存在を信じることができます。「神は愛」だからです。[3]デービッド・ブラント・バーグ [4]

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「私はたった一人でしかありませんが、それでも一人の人間です。すべてのことはできませんが、何かをすることはできます。だから、何もかもできないからといって、自分にできる何かをすることをやめたりはしません。」―ヘレン・ケラーの言葉と言われている

2014年7月アンカーに掲載。朗読:ジョン・マーク。


1 The Journey (Barnes & Noble, 2006).

2 2008年初版の原文を一部変更.

3 1 ヨハネ 4:8.

4 1974年4月初版の原文を一部変更.

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