静まれ

2月 4, 2014

Be Still
February 4, 2014

引用文集

オーディオ所要時間: 13:58
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主の前に静まり、耐え忍んで主を待て。 —詩篇 37:7[新改訳]

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「イエスにあって休む(静まる)」とは、実際どういう意味なのでしょう。それは、問題への答を与えて下さり、手元にある仕事を助けて下さるよういったんイエスにお願いしたなら、イエスがその責任を負い、その通りにして下さるのだと信頼することです。また、主はその問題を解決するためにあなたには何ができるかを示し、あなたが自分の分を果たすための力を与え、あなたにできないことは何でも、主が残りをして下さると信頼することです。自分の問題や仕事から一歩退いて、周りの世界をシャットアウトし、主との交わりを通して自分の霊を強めることを意味するのです。

要するに、イエスにあって休むというのは、主に物事を任せ、その後の結果は主に信頼するということです。そうすれば、あなたに重いプレッシャーがかかることはありません。なぜなら、あなたではなく、主が荷を負っておられるからです。あなたはそれでも忙しいでしょうが、あなたにとって最も大切な仕事とは霊的な部分であり、祈ること、信じること、信頼することです。それに集中する時、あなたは物質の世界ではるかに大きな結果を生み出す可能性を持つ、霊の領域で行動を開始することになるのです。—マリア・フォンテーン

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穏やかにして信頼しているならば力を得る。—イザヤ 30:15

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私が苦労して話そうとしている時に、神は遠くに突っ立ってはおられません。とても気にかけて下さるし、ただなんとなく聞くのではなく、じっくり耳を傾けて聞いて下さいます。私のつたない言葉が本当に言わんとしていることを捉えて下さいます。私のため息や自分でもわからない言葉の模索を、優れた散文として聞いて下さるのです。—ティモシー・ジョーンズ

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わたし自身が一緒に行くであろう。そしてあなたに安息を与えるであろう。出エジプト 33:14

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ある時、私の幼い息子がやってきて、書斎の入り口に首を突っ込んできました。仕事時間に邪魔をしてはいけないことは、息子も知っています。それで、彼は少々良心のとがめを感じていました。それでもまんまるの優しく可愛い目で私を見て、「パパ、一緒にいさせてくれたら、ずっと静かに座ってるよ」と言うのです。息子はそうやって父の心に訴え、承認を得ました。父親なら誰でもその気持はわかるでしょう。

このちょっとした経験で、私は深く考えさせられました。これは天の父に対して私たちがよく抱く気持ちではないのでしょうか。私たちは神をとても愛しているので、ただ共にいたいのです。それに、私たちがいつ御前に行っても、何度行っても、神の邪魔には決してならないのです。—オーレ・ハレスビー [1]

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あなたの荷を主にゆだねよ。主はあなたをささえられる。—詩篇 55:22

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平安とは、問題がないことで得られるのではなく、神がおられることで得られるのです。—作者不明

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私たちの毎日の生活はややもすると簡単にストレスやプレッシャーや混乱で一杯になってしまいます。でも、私たちはいつでもそれをやめて、祈りや瞑想によって神の御霊のおられるところへと立ち去ることができます。そして、そこで平安と活気を得るのです。—マリア・フォンテーン

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悩める心よ、静まれ。平安とは神ご自身の微笑みだから。
神の愛はすべての悪と悲しみを解決し
ただ愛し、ひたすら愛し、穏やかに待っている。
—エディス・ウィリス・リン

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闇に包まれたとき、信者は何をすべきなのでしょう。じっと静まり、耳を傾けるのです。主の御名によって信頼し、神に頼るのです。ただじっと静まる、つまり聖句が言うように、静まって耳を傾けることです。最初にすべきなのは、「何もしない」こと、じっとしていることです。それは人間の性質とは逆ですが、賢い行為です。「慌てている時には急ぐな」ということわざがあります。つまり、次に何をすべきかわからない時には、うまくいけばと願いながら、あせってやみくもに行動してはいけないということです。

じっとして、神が何をされるか、見ていましょう。私たちが静まり、神に信頼する時、神はわざをされるのです。心配があると、しばしば、神はご自分にできるすべてをすることができなくなります。思いが乱れ、心にストレスがかかると、神が私たちのために多くをなせる状態にいられなくなります。神の平安によって思いが静まり、心に休息がもたらされなければなりません。

あなたの手を神の御手に置き、神の愛の明るい陽光へと導いていただきなさい。静まりなさい。あなたに代わって神に仕事をしていただきましょう。神の御前に静まることによって、「何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささげ」なさい。「あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。そうすれば、人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るであろう。」 [2]—バージニア・ブラント・バーグ

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…休みが、神の民のためにまだ残されているのである。わたしたちは、この安息にはいるように努力しようではないか。—ヘブル 4:9, 11

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すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。…そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである。—マタイ 11:28–30

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ああ、神の御前という秘密の場所に入り、神の天幕で過ごすことは、なんと神々しく甘美なことなのだろう。—デイヴィッド・ブレイナード (1718–1747)

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祈りという、自分と神だけの秘密の場所ほど、思いが完全に新たにされる場所はありません。私たちの気を散らせ、悩ませるつかの間の物事から逃れる時、私たちは神の御前で神の物事や、物事を変える神の力を思います。そして、それが私たちの内に働き始めて、私たちは変わり、新たにされるのです。—バージニア・ブラント・バーグ

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しかし主を待ち望む者は新たなる力を得、…走っても疲れることなく… —イザヤ 40:31

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神はあなたがたをかえりみていて下さるのであるから、自分の思いわずらいを、いっさい神にゆだねるがよい。—1 ペテロ 5:7

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そうすれば、人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るであろう。 —ピリピ 4:7

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イエスをとても良く知ることで、イエスに私たちの困難を委ねた時に安心できるようになりなさい。そのようにしてイエスを知ることは、すべての真の祈りの必要条件です。ゆえに、祈りの精神が私たちに教えようとしているのは、これなのです。

そうするなら、私たちはますますイエスを良く知るようになります。そして、私たちの祈りは、私たちの必要についてであれ他の人の必要についてであれ、私たちが考えていることについて語る、最愛の友である主との、静かで密かな、恵まれた会話となっていきます。私たちは、大きな困難であれ小さな困難であれ、私たちの幸せを願って止まないばかりか何が私たちにとって最善かをご存知の主に委ねることによって、素晴らしい平安と安心感を味わいます。

そして特に、主に語った時には自分がすべきことをすべてやり尽したのだと気づく時、私たちの祈りの生活は安らぎに満ちたものとなります。その時から、私たちはそれを主にお任せしたことになるのです。その後は、主が責任を負われます。

イエスと過ごすしばしの時間
ああ、それは魂をどれほどなだめ
人生のすべての糸を集めて
完璧な全体像を作り出してくれることか。—オーレ・ハレスビー(1879–1961)

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「奥まった部屋」[3] の中で神と二人きりでもっと多くの時間を過ごすなら、あなたはもっと多くを成し遂げることができます。静まって主を尋ね求めようとしない限り、どうやって主から何かを得ようというのですか。私は一人で静かにしている時の方が、他のどんな方法よりも主から多くを受け取ったと確信しています。そういう時に、主はあなただけに語ることができるし、あなたも主に全関心を集中させ、主にふさわしい敬意を払うことができ、じっと耳を傾けているからです。

イエスでさえも、弟子たちより早く夜明け前に起き、丘を越え山に登って、神と二人きりになり、父から指示を受けなければなりませんでした。[4] イエスご自身でさえそうしなければならなかったとしたら、私たちはなおのことそうすべきではないでしょうか。

主から何かを聞こうとするならば、あなたはいつか、どこかで、どうにかして一人になって静まらなければなりません。自分ではできないと知り、神の答えを必死に求め、他のすべてのことをやめて、耳を傾けるのです。

(祈り:)ですからイエスよ、あなたが与えられる天国のビジョンなしには進み続けることができないことを、どうか覚えていられますように。私たちは皆、あなたと二人きりの静かな時間がもっと必要です。休み、あなたの御腕で心地よく落ち着き、あなたにあずかって、考えたり祈ったりし、何の邪魔するものもなしにあなたに近づくひと時です。イエスよ、感謝します。—デービッド・ブラント・バーグ

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わが魂よ、静まれ。主がそう命じられるから。
道が塞がっているように見えても、賢い主の御手に委ねなさい。
主の御腕は強く、波を分つ。
わが魂よ、静まれ。静まれば、見るだろう。
神があなたのために「不可能」を可能とされることを。
神は大いなる救出をもって救われるから。

苛立ってはいけない。静まっていなさい。
たとえ四方を囲まれていたとしても。
あなたの霊がそれを理解できなくとも。
神はあなたが静まるまで道を開くことはできない。
その時、神はあなたの内に御旨のわざを行われる。
そしてあなたの心と意思はすべて神に向けられる。

わが魂よ、静まれ。静まっているなら
神はあなたにご自身を現すことができるのだ。
そして、あなたを通して神の愛と光と命が自由に流れるようになる。
神は静けさの中であなたを通して働き
あなたのまわりの魂に手を差し伸べる。その時神はあなた通して
教訓を教え、弱さの中に神の力を表す。

静まること、それは信仰と休息の、より深い歩み。
静まって、父が最善をご存知であることを、知れ。
神の子どもを素晴らしい国へと
静かな水が流れる夏の地へと導く道を。
そこでは慕い憧れる魂は満たされ、
彼らの神を知り、神のご計画すべてを感謝する。

—チャールズ・E・カウマン夫人に引用された詩。作者不明。 

2014年2月アンカーに掲載 朗読:サイモン・ピーターソン
音楽:マイケル・ドーリー


1 オーレ・ハレスビー(1879-1961)は、ノルウェー人クリスチャン教師であり、第二次世界大戦中、強制収容所で2年間を過ごしました。これらの文章は彼の著書「Prayer」(祈り)(1948年、C・J・カールセン英訳)からのものです。

2 ピリピ 4:6–7.

3 マタイ 6:6 [新共同訳] だから、あなたが祈るときは、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。

4 マルコ 1:35.

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