私たちの宣教地、それは全世界

1月 6, 2014

Our Mission Field: The World
January 6, 2014

ピーター・アムステルダム

オーディオ所要時間: 12:04
オーディオ・ダウンロード(英語): 11MB

ここ数ヶ月、最初の弟子たちのことや、信仰の歩みが始まったばかりの頃、彼らが通ったチェンジの幾つかについて考えていました。彼らは3年半ほどイエスと共におり、主がなされた素晴らしいわざを目の当たりにし、主が説教したり教えたり、たとえ話をしたりされるのを聞き、また奇跡を行われるのを見たりしたのでした。

弟子たちはとてつもなくエキサイティングな人生を送りました。平均的な人の人生とは非常に異なる生き方です。弟子たちはイエスと特別な関係を持っていました。じかにイエスから教わったし、主のミニストリーに参加したりしました。主を間近で見ていました。パンが5つと魚が2匹しかなかったのを知っていたけれど、群衆に配ると5千人を養うのに十分あったのです。また、別の時には7つのパンと小さな魚数匹で4千人が養われたのです。それがどれだけとてつもないことだったか、想像できますか。

主と共に旅し、主から教わり、主の口から直接自分の耳で啓示を聞くという経験、また、主が病人をいやしたり、律法学者やパリサイ人たちからの挑戦を受け、また主も彼らに挑み、両替人の台をひっくり返し、死人をよみがえらせなさるのを見るという経験は、衝撃だったに違いありません。驚くべきライフスタイルとは、まさにこのことです!

弟子たちは、そのままの調子でものごとが進み、ついにイエスは王になるものと思っていました。そして、そうなった暁には、イエスのすぐそばにいて、権力と栄光をつかむものと。それで、彼らは神の国で一番偉いのは誰か、誰が主の右に座すのかと話し合ったり、おそらくは議論したりしたのでしょう。イエスが王になるとしたら、弟子たちは栄誉ある有力者の地位に就くわけですから。民は支援や好意を得ようとして彼らの所に来るでしょう。自分たちはお金と名声を持った重要人物になり、権力を得ることでしょう。

一行はついにエルサレムに着き、子ロバに乗ったイエスが街中に入って行かれると、群衆は道の上に外套や木の枝を広げて歓迎し、こう叫びました。「ホサナ、主の御名によってきたる者に、祝福あれ。今きたる、われらの父ダビデの国に、祝福あれ。いと高き所に、ホサナ!」[1] なんという興奮でしょう! 弟子たちはどれほどの期待を抱いたことでしょう。もう将来は決まっていて、万事が素晴らしく運び、ますます良くなるばかりのはずでした。

しかしその後、突然、イエスは逮捕されてしまいました!

そして24時間もしない内に、イエスは死なれたのです。なんというショックでしょう。一日ですべてが変わったのですから。彼らの希望はすべて粉々になり、今まで慣れ親しんでいたライフスタイルや将来への期待は打ち砕かれてしまいました。もう終わり、すべてが変わったのです。様子はすっかり変わり、思考様式全体、彼らの持っていたすべてが、もうなくなってしまいました! とてつもなく辛かったと思います。私には、彼らの試練が想像さえできません。彼らは理由も理解できず、恐れ、身を隠しました。

言うまでもなく、その三日後、主はまた弟子たちと共におられました。彼らはさぞ喜んだことでしょう! 主はそれから40日をかけて、聖句を使ってさらに説明されたので、彼らは自分たちが直面しているチェンジと、今後の任務とを理解し始めました。

次に、主は昇天され、数日後に弟子たちに聖霊が下りました。そこから証しの爆発が始まったのです。弟子たちは力強い説教をし、一日に5千人が改宗しました。また別の日には3千人が改宗しました。彼らはエルサレムで、自分たちが教え訓練している大勢の新しい弟子たちと一緒にいました。人々を集め、共に暮らし、全てのものを共有して、使徒行伝2:44-45の「信者たちはみな一緒にいて、いっさいの物を共有にした」という原則に生きていたのです。けれども、次第に問題が生じてきました。不平や不満が出て来たのです。何らかの組織構造を打ち立てる必要が出てきました。それで、個人的な問題を解決するための執事を選び、規則を設けるなどをしました。

イエスは彼らに、全世界に出て行って、全ての国民を弟子にするよう命じていました。そして、聖霊が下ると、エルサレム、ユダヤ、サマリヤ、さらに地の果てまで証しすると言われました。

彼らはまずエルサレムから始めたのですが、どうやら、その場で改宗した人たちが多くて、しばらくの間手がいっぱいだったようです。世界に出て行くには少し時間がかかりました。使徒行伝を読んでいると、これらの出来事が素早く起こったような印象を受けます。弟子たちはエルサレムにいて聖霊に満たされ、数週間後にはアンテオケにおり、それからほどなくして、使徒パウロがトルコやギリシャまで福音を伝えたような印象です。しかし、実際、このすべてが起こるには何年もかかったのです。おそらく、共に働きながら最初の改宗者たちを教え、訓練し、まとめながら、もっと一人でやならければならない時のために、役立ちそうなことをいろいろ学ばなければならなかったのでしょう。

そして、弟子たちが方々に散って、他の国、他の民族の所に行くべき時が来ました。彼らは何年間も共に暮らし、共に働いて、歴史を共有しました。友であり、戦友である人たちが、これから離ればなれになって、先に進み、新しい地に福音を携え行く時が来たのです。

物事は変わりました。出立の時が来ました。もしかしたら一人で、あるいは数人の仲間と一緒に、まだキリスト教が存在しない場所、イエスのことを聞いたことのない場所に向かったのです。ある意味で、全くゼロからやり直さなければならなかったようなものです。大きなコミュニティーからの後押しもなく、友からも遠くに離れたのです。ゼロからのスタートで、知らない人々に出会い、その人たちに証しし、仕事を土台から築いて行かなければなりませんでした。新しい状況で生き残らなければなりませんでした。また最初から証しと獲得を始めなければなりませんでした。とても孤独だったに違いありません。ものすごく大変な仕事だったに違いありません。それまで慣れ親しんでいた状況とはかなり異なっていたはずです。しかし、神が導かれた場所に福音を携え行き、イエスの教えとメッセージを世界中に広めたのは、そういった人たちだったのです。

彼らは証しし、宣べ伝え、教え、獲得し、コミュニティーを築き、そうして信仰は途絶えることなく続いていきました。毎日毎日、他の人たちに信仰を伝えるために、自分にできることをしなければなりませんでした。そして、実際、それを実行したのです。今までとは違いました。おそらく以前よりも困難だったでしょうし、また最初から始め、変化に順応するには、きっと時間がかかったに違いありませんが、彼らは自分の分を果たし神が導かれたミッションを行おうと固く決意していたのでした。

主は今でも主に従う者たちに、全世界に出て行って福音を宣べ伝え、弟子を獲得するよう呼びかけておられます。主はあなたを使って、あなたの周りの世界に手を差し伸べたいのです。あなたがどこにいようと、主があなたに何をするよう召しておられようと、あなたは周りの世界、周りの人たち、主が出会わせてくださる人たちに手を差し伸べることができます。

主はあなたに、自分の賜物を使って明るく輝いてほしいのです。あなたにはあなたにしかない独特の賜物、才能、能力があって、それがあなたという人間をつくり上げています。神はあなたがそれをご自身の栄光のために、また他の人に善をなすために使い、あなたの世界と他の人の世界を変えるよう望んでおられます。

音楽の賜物がある人もいれば、ビジネス面での賜物を持つ人もいます。また、他の人を物質面でケアする賜物がある人、人とのコミュニケーションが得意な人、子供の世話に熟練している人、人の話をじっくり聞くのが得意な人もいます。他の人に会う機会を生み出すような趣味を持っている人もいます。あなたの賜物や才能、心の願いが何であれ、主はそれを使って、主の愛とメッセージで他の人たちに手を伸ばすのを助けてくださいます。

あなたの才能が、他の人にとって祝福となるように使われる以外にも、主はあなた自身にとってもそれが祝福となるよう望んでおられます。理想的な仕事とは、自分の賜物を使ったり、自分の得意なことをすることができて、しかも、やっていて楽しい仕事だ、とよく言われるものです。人々を天の王国に導き入れることと自分の才能を組み合わせること以上に、一生を通してミッションを行うのに良い方法があるでしょうか。

主はあなたにそれらの賜物をくださいました。そして、弟子として、クリスチャンとして、主はあなたを、人々に手を差し伸べるよう召しておられます。私たちは他の人たちに良き知らせを分け合うよう求められています。あなたのミッション地域はあなたのいる地元なのかもしれません。あるいは、遠くの宣教地かもしれません。あなたは主が導かれた「世界」に召されているのです。それは職場で接する人かもしれないし、公園にいる子供かもしれないし、あるいは自分の子供かもしれません。また、もしかしたらフルタイムのミニストリーの仕事かもしれません。あなたは周りの世界にいる人たち、あなたが接する人たちに手を差し伸べるよう召されています。それはあなたと同じ興味をもつ人である場合もあれば、同じクラブに属する人であることもあるでしょう。

神が人生においてあなたをどこに導かれようと、主があなたをそこに置かれる限りは、その周りの世界があなたの宣教地です。フルタイムのミニストリーをするとは限らないでしょうが、周りの人と接するうちに、証ししたり、祈ってあげたり、良い影響を与えたり、救いに導いたり、教え訓練できる人に出会う機会もあるでしょう。

弟子たちが外に出て行って、以前よりももっと独りで色々なことをしなければならなくなった時も、きっと孤独に感じ、いったいどうやって自分は貢献できるのだろうと思ったことでしょう。困難だったでしょうし、おそらく時には失望もしたでしょう。しかし、彼らは証し、宣べ伝え、教え、他の人たちを主のもとに勝ち取りました。そして次第に、何年にも渡って、信者のコミュニティーを築いていったのです。新しいネットワーク、新しい友人をつくり、周りの人たちに影響を与えました。そして、毎日毎日、毎年毎年、自分にできることをしたがゆえに、キリスト教が発展し、何世代にも渡って引き継がれてきたのでした。

彼らは孤独に感じたかもしれませんが、実際一人きりではありませんでした。あなたも時々孤独に感じるかもしれませんが、実際は一人きりではありません。主が共におられます。そして、もし主に従っていて、主が示された所に行き、主が示されたことをしているなら、今どんな状況であっても、主はそこにおられると確信できます。主はあなたを使って周りの世界に影響を及ぼしてほしいのです。そして、実際あなたを使われるでしょう。

神はあなたが周りの世界に良い影響をもたらすよう望んでおられます。あなたにはそのためのチャンスがあります。それには、神から召されたことを行い、神が召された生き方をし、光を輝かせ、周りの人に影響を与え、人々の人生に信仰の種をまき、イエスを与え、霊的な小道を共に歩いてあげ、弟子となる召しを感じる人を弟子にすればよいのです。時間はかかるかもしれませんが、主があなたの人生にもたらされた人たちの心を変えることで、毎日毎日自分の分を果たすこと、それによって周りの世界が変わっていきます。それが私たちの召しであり、ミッションなのです。

2011年10月初版 2014年1月に一部変更の上再版
朗読:ジェリー・パラディーノ


1 マルコ 11:9–10.

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