引用文集
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感謝の季節
イエスは私たちのために天国の大広間を去られました。イエスは富んでおられたのに、私たちのために貧しくなられました。それは、私たちが、主の貧しさによって富む者になるためです。イエスは私たちのところにやって来られたばかりか、私たちの一員にならなければなりませんでした。イエスは人間社会の一員となられたのです。
イエスは柔和でおとなしく、弱く無力な赤ん坊として来られました。私たちと同じ体をとられただけでなく、人間と同じような生き方をされたのです。イエスは人間であり、疲れ、腹をすかせ、くたくたになられました。主は、罪は犯されなかったものの、そういったすべてのことを、私たちと同じように経験されました。私たちを思いやることのできる大祭司になられるためです。私たちの気持ちを理解し、私たちの足が疲れて痛む時や、もうこれ以上進めないと思う時のことを知っている大祭司に。
神がイエスを送られたのは、イエスが人間となって、神の愛によって私たちにより良く手を差し伸べ、私たち人間の低い理解力のレベルに合わせてコミュニケーションし、私たちに対して、神御自身よりももっと憐れみと忍耐を持てるようになるためでした。そのことを考えてもみて下さい!
「主はわれらの造られたさまを知り、われらのちりであることを覚えていられる。」[1] ご自身も私たちの造られた様と同じ体をまとい、その体で苦しみ、私たちのためにその体で死なれたからです。主は私たちを主の高さまで上げるために、私たちの低さまで下りて来られました。何という奇跡でしょう。それはすべて私たちのためなのです。
イエスよ、感謝します。あなたはこの地上にお生まれになって、私たちのためにここで生き、また死なれました。あなたは私たちと同じように生き、私たちが経験するすべての試練を忍ばれました。それでも、あなたの信仰は決して揺らぎませんでした。
最高のプレゼントであるあなたご自身を感謝します。主よ、他の何よりも、あなたの愛の贈り物を感謝します。あなたの誕生日と、あなたの生涯、あなたの死、そして私たちに救いと永遠の命を与えるために払われたすべての犠牲を感謝します。アーメン。—デービッド・ブラント・バーグ
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賛美の季節
このクリスマスシーズンに、あなたがたに勧めたいことがある。このシーズンの展望をあなたにとって最高のものにするために、クリスマスの賛美のメガネをプレゼントしよう。このメガネをかけこなすには、自分でこの賛美のメガネを取り出してかけようとしなければならないので、あなたの側にも幾らか努力が必要になる。しかし、これをかければ、他のメガネとは比べ物にならないほどに、物事がはっきりと見えるようになる。
何かの出来事が少し曖昧に見えて、その向かう方向が気に入るかどうかわからない時には、このクリスマスシーズンに、わたしに感謝の声をあげて、この賛美のメガネをかけ、将来の展望が変わるかどうかを見てみなさい。あなたの霊的視力は増して、はっきりと見えるようになるので、きっとそれが気に入ることだろう。
今年のクリスマスシーズンには、賛美の多目的メガネをかけこなして、流行の先端を行ってみてはどうだろう。自分に対してもっと自信が持てるし、わたしがあなたの元に送るすべての事柄をもっとはっきりと理解し、明確な見通しを持てるようになるだろう。わたしの賛美関連製品はユニークで、いつだって最先端を行っている。
あなたが多少の努力さえすれば、わたしがあなたのためにしたクールなことを思い出して、顔に笑みを浮かべるような、そんなクリスマスシーズンとなることを約束する。そのためには、一日を通して少し時間を取り、わたしに向かって賛美を送りなさい。一日を通して賛美の言葉をちりばめ、人生で経験する良いことのゆえにわたしに感謝しなさい。このシーズンに落ち込んだとしても、わたしがいかにそれを使って益と変えるかについて、わたしを賛美することだってできる。ポジティブなことを探すなら、いかにしてあなたの霊にその滋養分が染み込み、あなたに活気を与え、将来の見通しを変えるかに驚くことだろう。
賛美はこのクリスマスにあなたが遭遇する困難への究極的な解決策ではないと、あなたは思うかもしれない。しかし、あなたは賛美のメガネをかけられるのに、そうしていないので、視界が多少曇っていることがある。そのメガネはあなたの感じ方を劇的に変えることができ、あなたは、わたしがあなたのためにこのクリスマスシーズンをどれほど様々な方法で素晴らしいものにしたのかが見えるようになるだろう。—イエス、預言で語る
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和解の季節
何年も前に、「幸せの黄色いリボン」(原題:Tie A Yellow Ribbon Round The Old Oak Tree)というバラードが流行しました。その歌ができる前にも、似たような帰郷の様子が描かれたクリスマスの話がありました。
その話では、家出をしたある少年がクリスマスに汽車で帰郷します。彼は前もって両親に、家に戻りたいという手紙を書いたのですが、自分の帰りが望まれるかどうか不安でした。汽車は少年の家のすぐそばを通るので、彼が戻って良い印として、農場の裏にある大きなニレの木に赤い布を巻いてくれるよう、父親に頼んでおきました。
あと数マイルで到着という時、家出した少年は隣の席に座っている年配の男性に自分の心配事を話しました。年配の男性はその十代の少年に、昔家を出たある青年のように喜んで迎え入れられるに決まっていると言いました。そして、彼は放蕩息子についてのイエスのたとえ話をしたのです。[2]
案の定、汽車がなつかしい家に近づくと、父がつけた赤い目印が見えてきました。しかし、一枚の布がかかっているだけではなく、どの枝にも一つずつ布がついていて、何十という赤い布が風になびき、家を出た少年に、すべてはクリスマスにゆるされたという知らせを声高く告げていたのです。—作者不詳
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愛の季節
クリスマスは「喜びの季節」、また「励ましの季節」と言われている。しかし、クリスマスがやってくると、喜びや励ましとはほど遠いものだといった経験はないだろうか。行き詰まって、一日が忙しさで満たされてしまうのだろうか? 長い一年が終わり、あなたに降り掛かった数えきれない問題や困難に疲れ果てているのだろうか? クリスマスでプレッシャーがもう一つ増えて、時間が取られてしまうことがまた一つ増えたように思えるのだろうか?
クリスマスシーズンのイベントの数々を緻密にスケジュールしながら、ありとあらゆる質問や懸念があなたの頭の中をかけめぐる。あなたの愛する人たちは、彼らのクリスマスを特別なひとときにするためにあなたが注いだたくさんの努力をありがたく思ってくれるだろうか? あなたは彼らの期待に応えられるだろうか? あなたの計画は望み通りに実現するのだろうか? これは幸せなクリスマスとなるのだろうか?
わたしは今年のクリスマスに穏やかさと平安を感じられるよう助けたい。クリスマスシーズンを生き伸びられればと願う代わりに、実際にそれを楽しんで欲しい。しかし、それには交換条件がある。あなたは忙しい生活上の何かを手放して、もっと良いもののための場所を作り出さなければならない。
あなたは毎年のクリスマスは、先回のクリスマスよりももっと大がかりで、もっと良くなっていなければならないと思って、不安を抱きながら、そのゴールに向かって一瞬一瞬を無駄にせず準備に精を出す。しかし、時には少ない方がもっと良いことがある。あなたはいったん立ち止まって、そんなに走り回ることが必要かどうか、考えただろうか? それは本当にあなたや愛する人たちのクリスマスシーズンをもっと幸せなものにしているのだろうか? それとも、完璧なプレゼントを選んだり、非の打ち所のない飾り付けをしたり、お祝いのディナーのために最高級の食材を集めようと、人生の真に大切なことを犠牲にしているのだろうか?
「完璧なクリスマス」にしようとして狂ったように動き回るのをやめれば、クリスマスを楽しむ時間がもっと見つかるだろう。ストレスやプレッシャーが減れば減るほど、あなたと愛する人たちが共に過ごす時が幸せと喜びにもっと満たされるだろう。
クリスマスは、飾り付けやプレゼントやお祭り騒ぎ中心にならず、愛がその中心にある時に、最も楽しめる。愛がクリスマスの本質だ。家族や友だちと充実した時間を過ごすのがクリスマスだ。あなたがたが分かち合う愛をいとおしみ、祝うのがクリスマスだ。残念ながら、愛はクリスマスの慌ただしさの中で見失われてしまいがちになっている。
クリスマスはお祭りの時だが、それ以上の意味がある。それは人類に与えられた最高の贈り物を祝う時だ。それは2000年前にわたしを地上に下らせた、あなたへの愛だ。それは、あなたの世界で歩み、あなたの一員となり、あなたのために生き、また死ぬよう、わたしを突き動かした愛だ。愛はその時も今も、わたしの存在の核心だ。わたしがしてきたたことすべては、あなた個人への愛ゆえであり、また人類全体への愛のためなのだ。
今年のクリスマスに、愛のための時間を取りなさい。—イエス、預言で語る
2013年12月、アンカーに掲載 朗読:ジョン・マーク 音楽:Christmas Momentsアルバムより承諾を得て使用