クリスマス、それはキリストのようになること

12月 13, 2013

Christmas Is Christlikeness
December 13, 2013

J. R. ミラー

オーディオ所要時間: 10:47
オーディオ・ダウンロード(英語) (9.8MB)

幼子キリストの任務とは、地上の罪と悲しみを天国の神聖さと喜びに変えることでした。その夜、地上は天国とは全くの別世界でした。そこは利己的さと残忍さ、争い、罪、悪行、抑圧、悲しみの場所でした。奴隷となっている人々が何千何百万といました。堕落の不快臭が天まで昇りました。政府は暴君的でした。‥‥ここそこに、祈りを忘れず神を思う人がいくらかおり、清く穏やかな暮らしを送る人もいくらかいました。しかし世界は罪で満ちていました。当然、生まれついての愛はありました。母は子を愛し、友は友を愛していました。しかし、大勢の人は、今私たちが知っている愛という言葉が表す愛は、全く知りませんでした。クリスチャンの愛は、あの最初のクリスマスの夜に生まれたのです。神の愛、神ご自身の愛、神の命の輝きが、イエスがお生まれになった時に地上に降りてきました。クリスティーナ・ロセッティはそれをこのように書き表しています。

クリスマスに愛が下った
それは素晴らしい愛、神々しい愛
クリスマスに愛が生まれた
星や御使いがしるしをくれた

愛が私たちのしるしとなる
愛があなたと私のものになる
神への愛とすべての人への愛
贈り物と願い事としるしの愛

この小さな愛の光は、人々や国々の中を貫き、最後には地上のすべての生命がその光に触れられ、変えられ、清められ、心地よい気分にされ、柔和にされるのです。イエスは、女が少しのパン種を大量の粉の中に入れるとそれがあちこちに混ざって全体が膨らんでいくことについて話された時に、このことも意味しておられました。私たちは‥‥「地には平和、人にはいつくしみがあるように」という御使いの歌を知っています。平和を取り持ち、すべての人の心にいつくしみをもたらすこと、それが人間の体をとられたキリスト降誕の目的でした。

イエス[の誕生]は、こういったいつくしみすべてがその働きを始めるようにしました。クリスチャンたちはこの計画の実行のために、何世紀にも渡って実に多くのことをしてきました。キリスト教国においてはこのいつくしみの行為がとても素晴らしい方法で数多く見られます。親切と思いやりの精神が社会に広く行き渡り、貧しい人や老人や目の不自由な人たち、孤児、病人、恵まれない人たちに、助けの手が差し出されているのです。このすべては人々の中におられる神の愛が拡散することによってもたらされています。‥‥しかし、仕事はまだ終わっていません。全世界はまだ、天国の甘美さ、清さ、美を持つほど変えられていません。今まで多くのことがなされましたが、まだすることがたくさんあるのです。

この主題をもっと現実的なところから見てみましょう。クリスマスをクリスマスとするために、私たち自身がすべき分とは何でしょう? 結局の所、それは私たちにとって最も大切な質問です。私たちは他の誰の分も果たせず、他の誰も私たちの分を果たせません。ある人たちの場合、近所の人の庭を世話するのに忙しく、自分の庭には雑草が生い茂って植物や花の息の根を止めているということがあります。では、私たちが世話をするために神が与えて下さった小さな区画はどうなのでしょう。教会[の使命]が地上の至る所でクリスマスを始めることならば、私たち全員がそれぞれ、小さな土地の一区画を受け持っているわけです。

一人ひとりが、先ずクリスマスを自分の心と人生で始めようとすべきです。クリスマスはキリストのようになることです。天の命がイエスとなって地上に降り、御子が生まれた慎ましい場所で始まりました。それと同じ甘美さ、優しさ、清さ、静けさ、慎ましさをもつ命が私たちの中に幾らかでもあるでしょうか。それはごく実際的な事柄でなければなりません。ある人たちは愛の感情を抱きますが、そのような愛は、彼らの性質、行動、性格をより良くすることができません。クリスチャンの愛こそが、行いとなって表れるのです。

ある人が、足の悪い小さな犬が舗道の縁石を登ろうとするのを見ていました。しかし、哀れな犬はてっぺんまで登ることができません。何度やっても落ちてしまうのです。何百人もの人たちがそこを通りがかり、犬を見てその徒労を笑いました。そんなことがずっと続き、誰も犬を助けはしませんでした。すると、いかついなりの一人の作業員がやってきました。彼はその犬を見て可哀想に思い、縁石の脇に膝をついて小さな犬を抱き上げて舗道に置き、それから何事もなかったかのように立ち去りました。その男性には真の愛の精神がありました。これは、キリストだったらきっとそうしていたであろうことです。この男性が一匹の犬を扱った時に示した愛は、間違いなく、彼が同胞たちに接するときの霊と同じなのです。…

心の中で本当にクリスマスを始めたいなら、自分を忘れ、他の人のことを考えることを学ばなければなりません。他の人たちに何をしたかではなく、他の人たちが自分に何をしてくれたかを覚えているべきです。他の人たちに売った恩について考えるのをやめて、自分が人々にどんな恩を負っているのかということ、キリストとこの世界に対して、命と愛を捧げるだけの恩を負っていることを思い出すべきです。‥‥もう、小さな王座に座って人々から称賛や注目や保護をもらい、頭を下げて仕えてもらえるものと期待すべきではありません。そうではなく、自分の方から、愛の慎ましい場所に下りて行って、他の人たち、最も身分の低い人にさえも、最も謙虚な方法によって仕え始めるべきなのです。これこそ、私たちの主がなさったことです。

ある素晴らしい作家がクリスマスを取っておくについて書いた、ある本にはこのような段落があります。これは引用するだけの価値があるでしょう。「あなたは身をかがめて小さな子どもたちの必要や願いを考えようとするでしょうか。年を取りつつある人たちの弱さや孤独を忘れずにいるでしょうか。あなたのことをどれだけ愛しているかを友だちに聞くのをやめて、自分が友だちを十分愛しているかどうか自問するでしょうか。他の人たちが心にどのような荷を負っているかを念頭に置くでしょうか。同じ家に住んでいる人たちが何を本当にほしがっているのかを、相手が言ってくるまでまたずに、自分から理解しようとするでしょうか。自分のランプがもっと明るく輝き、煙が減るよう手入れをして、前に掲げるでしょうか。それによって、あなたの後ろに影ができるように。また、あなたの醜い考えを葬り、親切な思いに門を開き、そのための庭を造るでしょうか。あなたは一日だけでもそれらのことをする気はありますか? そうならば、クリスマスを取っておくことができます。」

私たちはまず、自分の心の中でクリスマスを行うべきです。それからでないと、他の人の心にクリスマスを与えることはできません。不機嫌な人、利己的な人、独断的で横暴な人、無慈悲な人、ゆるさない人は、自分自身、クリスマスの霊を持つことはできず、友や隣人のためにクリスマスの祝福を増し加えることもできません。クリスマスは自分の心から始めるべきです。でも、そこで終わりではありません。私たちは他の人たちのためにクリスマスを作り出す者となるべきです。そうでなければ自分たちのために真のクリスマスを作り出すことはできません。喜びを分かち合わなければなりません。クリスマスを自分のためだけに全部取っておこうとするなら、その素晴らしさの半分を逃してしまいます。…

ある善人がこんなことを言っている話があります。「毛布や石炭やクリスマスディナーをあげることができないのに、いったいどうやって人々を助けられるのだろう。どうしたらいいのかわからない。」 多くの人にとっては、まさにその通りです。彼らは物を与えること以外に人を助ける方法を知りません。でも、親切には、ディナーや衣服や壁にかける絵や食器を送ったりするよりも、もっと良い方法があるのです。たとえ使えるお金がなくとも、その人は寛大な支援者かもしれません。私たちは、同情や励ましや元気づけることで他の人を助けることができます。

私たちの知る限り、イエスは人々を暖かくする毛布や、火にくべる燃料や、クリスマスディナーや、子どものおもちゃを送ったことはありません。それなのに、イエスほど人を助けた人はいません。イエスは人々の人生に自分の身を置くことで人々の荷を負うという、素晴らしい力を持っていました。真の同情によって喜んで助けることにはとてつもない力があり、イエスはすべての悲しみとすべての過酷な状況を同情されました。主は人々を愛されました。それが、主の助ける力の最大の秘密でした。主は人の苦しみを感じ取られました。主は人間のすべての病いをご自分にも負われたのです。ある人は言いました。「もし私が神だったら、この世界の悲しみで心が引き裂かれてしまうだろう。」‥‥この人は、それこそまさにキリストの心に起こったことなのだと理解していなかったのです。それはこの世界の嘆きゆえに、憐れみと愛と悲しみのゆえに引き裂かれたのです。だからこそ、主はこの世の罪の贖い主になることができました。主は人々の素晴らしい助け手です。物を与えることによってではなく、霊的な助けを与える助け手です。クリスマスにプレゼントをするのは良いことです。慎重に、思慮深く選び、良いことをしたいと願って送るなら、益となるでしょう。しかし、私たちは、さらに進んだ方法で助け手になることも追い求めようではありませんか。

 

J・R・ミラー著 「Christmas Making」(The University Press, Cambridge, Mass., 1910)より。
朗読:ジョン・マーク

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