イエスからの言葉(特に表記がある場合を除いて)
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キリストにある者はだれでも、新しい人となっています。古い人生は過ぎ去りました。新しい人生が始まったのです。—2 コリント 5:17 [1]
古いものは過ぎ去った。見よ、すべてが新しくなった! わたしはあなたを新しく造られた者とした。地面にぴったりくっついて土を這い、それほども現世的な芋虫がさなぎになり、変態して、諸々の天を飛び交う蝶になって出て来るが、あなたもそのようである。わたしはあなたにも同じように、あなたが上にあるものを思う時、天国の領域まで飛んで行ける美しい翼を与えた。[2] わたしはあなたの思いと心を天の方に向けている。
見よ、古いものは過ぎ去った! 過去のものはもはや、ない。過去のものは死に、過ぎ去った。さなぎが開く時、そこに芋虫はいない。それは過去のものとなった。それは変わったのであり、新しい命が生まれたのだ。天に向かって飛び、もはや地上からではなく、上から物事を理解したり見たりする、新しい命だ。
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私たちのほとんどは、キリストを救い主として受け入れた日や、さらには時間までも覚えています。改宗した時の状況がどうであったかにかかわらず、私たちの罪がゆるされ、永遠の故郷が定まった時というのは、素晴らしい経験でした。
しかし、キリストの死とよみがえりは、単に私たちを永遠の滅びから救う以上のことをしてくれました。主の救いの力は、私たちの日常生活においても生きて活発に作用しているのです。私たちがまだ罪の内に死んでいた時には、キリストにあって生きることから来る自由を経験することはできませんでした。この自由が私たちに罪に対する勝利と、聖霊を通して天の父と日々の交わりをするための力を与えてくれます。
この自由はまた、イエスとのさらに深い関係のために私たちを備えます。その関係は私たちを毎日主に引き寄せ、私たちの願いや目標を、主のものと一致するよう変えるのです。
救われた後の、自由と信仰の旅路を決して見失ってはいけません。—作者不明 [3]
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雪の結晶のことを考えてみなさい。何と複雑なデザインだろうか。何と美しいことか。雪の結晶は無数にあるが、同じものは一つもない。それぞれに独自のデザインがある。わたしの子どもたちもまた然りである。各自が特別な存在であり、各自が異なっている。各自がわたしの心にとても愛しい存在で、それぞれが深い愛情をもって世話され、注意を払われている。各自が、自分の人生のための、わたしの完璧な計画に従っている。だが、わたしを知り、愛することによって完全な喜びや幸福や充実感を見いだすというゴールは、どの子どもにとっても同じであるべきだ。
わたしを信じたすべての者がよみがえり、わたしと相まみえる日がまもなくやって来る! その時、わたしたちは笑い、喜び、一つに溶け合わされるであろう。この世の物事はかすみのように消え去り、わたしたちは、わたしの愛と喜びと幸福の内に、永遠に一つになる。
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見よ、色づいた麦が風で波打っている。黄金色の畑は、実もたわわに成っている。わたしがあなたの心に蒔いた良い麦だ。黄金色の穀物が豊かに成っているのがわかるだろう? 一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それは一粒のままで、黄金色の実が成ることはない。だが死ねば、多くの実を結ぶ。[4] 実を豊かに産するわたしの色づく畑となりなさい。そしてわたしの言葉を成らせ、あなたのパンを飢えた者に与えなさい。
見よ、光り輝く黄金のひまわりを。太陽に顔を向け、東から西へ、太陽の行く方を常に向いている。太陽の金色の光を求めている。太陽から出る金の陽光を体の隅々まで取り込み、それを忠実に求め、その顔は、自らが吸収する陽光を反映している。陽光を浴び、それを飲み込んでわたしの光を反射する黄金のひまわりになりなさい。そして他の人たちにも同様にするよう励ましなさい。
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よく聞きなさい。「きょうか、あす、これこれの町へ行き、そこに一か年滞在し、商売をして一もうけしよう」と言う者たちよ。あなたがたは、あすのこともわからぬ身なのだ。あなたがたのいのちは、どんなものであるか。あなたがたは、しばしの間あらわれて、たちまち消え行く霧にすぎない。むしろ、あなたがたは「主のみこころであれば、わたしは生きながらえもし、あの事この事もしよう」と言うべきである。—ヤコブ 4:13–15
将来を思い煩ったり、恐れたりしてはならない。あなたの時と命はわたしの手の内にあるから。わたしは宇宙の創造主であって、すべての権威はわたしに与えられている。あなたは自分の生と死について、わたしに信頼できる。あなたの将来や家族、あなたの愛する人たちの世話について、わたしに信頼できる。
あなたは自分自身と、自分の価値のなさと、多くの欠点や短所や罪深さを見る時に、恐れや疑いを経験する。しかし、わたしは言おう。山に向かって目を上げなさい。あなたの助けが来るところへと。目を上げて、わたしを見てごらん。
あなた自身やあなたの弱さ、罪や短所など忘れなさい。わたしと、わたしの慈しみや憐れみ、そしてあなたへの愛に目を向けてごらん。恐れないで、信じなさい。疑わないで、信頼しなさい。わたしの愛に信頼し、わたしが宇宙の神であり、あなたを救い、いやし、新しい命によみがえらせることのできる神であるという事実に信頼を寄せなさい。
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神は、何かずっと良いものと交換することなしに、あなたの人生から何かを取り去られることは決してありません。
その時はそう思えないかもしれませんが、後になればわかるようになります。そして、神の知恵と慈しみにあなたは驚嘆することでしょう。あなたをとりこにしていた悪い習慣を神が取り去る時、神はそれをより良い生き方と交換されます。神があなたのゴシップやののしり言葉や陰口を取り去るなら、神はその代わりに愛と励ましと賛美の言葉を与えられます。もし神があなたの自己中心的な動機を取り去るなら、神はその代わりに御心を行うことの興奮と喜びを与えて下さるでしょう。
神のゴールは単に私たちの人生から悪いものを取り去ることではありません。神はそれを良い物と交換されたいのです。神のご計画は、聖霊によって私たちの内側を作り替えることです。聖書にはこうあります。「あなたがたはこの世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい。 」[5] 神の御心とはそういうものです。善であり、喜びであり、完全なことなのです。それ以下のもので満足するべきでしょうか。
人々はイエスが何をされなかったかによって、[イエスに]惹き付けられたのではありません。イエスがされたことによって、惹き付けられたのです。彼らは主の内に、それまで見たこともなかった人生の質を見ました。そして、自分でもそれを経験したかったのです。キリストを見た時、彼らは喜びと平安と優しさを見ました。そして何よりも、神の愛を見たのです。 —ビリー・グラハム [6]
1997年初版 2013年11月改訂、再版
朗読:ジェリー・パラディーノ 音楽:マイケル・ドーリー