キリストの愛がしてくれたこと

10月 24, 2013

What Christ’s Love Did
October 24, 2013

引用文集

オーディオ所要時間: 10:42
オーディオ・ダウンロード(英語) (9.7MB)

そして、希望は失望に終ることはない。なぜなら、わたしたちに賜わっている聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからである。わたしたちがまだ弱かったころ、キリストは、時いたって、不信心な者たちのために死んで下さったのである。正しい人のために死ぬ者は、ほとんどいないであろう。善人のためには、進んで死ぬ者もあるいはいるであろう。しかし、まだ罪人であった時、わたしたちのためにキリストが死んで下さったことによって、神はわたしたちに対する愛を示されたのである。—ローマ 5:5–8

*

あなたはその救の盾をわたしに与え、あなたの右の手はわたしをささえ、あなたの助けはわたしを大いなる者とされました。—詩篇 18:35

*

イエスが開かれた愛の新時代のことを考えると、興味深いものです。当然、主が来られる前にも世界に優しさは存在しました。母の愛が存在しました。深く、真実で、親切な友情が存在しました。最も神聖な絆で結ばれた恋人たちもいました。異教徒たちの中にさえ、ほとんど天国に行けるに足るだけ美しい優しさを持つ心はありました。愛情が天使のごとき優しさを持って与えられた聖なる場所もありました。

それでも、世界全体で見ると、残酷さが満ちていました。富者は貧乏人を抑圧し、強者は弱者を押しつぶしました。女性は奴隷で男性は暴君でした。病人、足の不自由な人、目の見えない人、年老いた人、体の不自由な人、精神に障害を持つ人に手に差し伸べられる手もなければ、未亡人、孤児、家のない人への気遣いもありませんでした。

そこにイエスが来られ、33年間、人々の中を行き巡って親切な行いをされました。イエスは優しい心を持っておられ、その優しさが語る言葉から流れ出しました。イエスは優しさで脈打つ言葉を語られました。・・・イエスの唇からこぼれる言葉にある鼓動には、不確かさというものは少しもありませんでした。それらは同情と優しさで脈打っていたのです。

人々はいつも、イエスが友であることを知っていました。イエスの生涯は人を助けようとする心で豊かに満ちていました。いかなる悪い行いや残酷さも、イエスの優しさを損なうことはありませんでした。イエスはどこへ行くにも親切さを振りまいておられたのです。

ある日、人々はそんな優しい手を十字架に釘付けにしました。・・・それは貧しい人たちや悲しんでいる人たちにとって大きな痛手であり、多くの家庭に悲しみがあったに違いありません。けれども、イエスがじかに行われたミニストリーはその死によって終わったものの、主の生涯が与えた影響は続いていったのです。イエスはこの世に新たな愛の手本を示されました。他のどの教師も教えなかった、忍耐と柔和さの教訓を教えられました。イエスは人間の愛情に新たな意味を与え、愛を神の国の掟とされたのです。

人が塩辛い海水に一握りの香辛料を入れて水を甘くするように、イエスの教えはこの世界の、愛や親切さのない人生に落ちました。するとそれは すぐに優しさに変わり始めたのです。福音が及んだ所はどこでも、偉大なる教師のこれらの言葉が伝えられ、人々の心に落ちて、そこに優しさ(と愛の)祝福を残したのです。—J・R・ミラー [1]

*

あなたのことが好きで、あなたを愛し、信じた方、心頑なな人間が知らなかった親しい関係を持とうとした方であるキリストと共に時を過ごすのは、素晴らしいことだったに違いありません。人は主とともにいるとき、自分は大切な存在だと感じました。何と言っても、キリストを直に知っていた人たち(弟子たち)は、素晴らしい偉業を為し、揺るがぬ献身を証明したのです。神の目を覗き込み、そしてまなざしを返されて、人間とはたった一人の個人に至るまで、計り知れない価値や美を持った存在、お互いや神と親しい関係を持つに値する存在であると知らされるのは、心躍ることだったでしょう。それを理解したことで、弟子たちの間に、たくさんの群衆も冷やかしに満ちた侮辱も、牢獄も、拷問も、死刑も消し去ることのできない喜びや情緒的健康が生涯に渡って続いたのです。彼らは最後まで、死に至るまでさえ忠実でした。

自分を愛してもいない人のために、拷問を受けたり逮捕されたりしに行く人はいません。誰かが自分を愛しているなら、その人の名によって、その人のために、その人ゆえに、あらゆることをするでしょう。そして、その人が、今の私たちを造り上げるのです。—ドナルド・ミラー [2]

*

新約聖書は、タルソのサウロの改心について私たちに告げています。言うまでもなく、彼はクリスチャンにとってはテロリストでした。神は寛大な愛によって彼を追い求め、えり抜きの使徒とされました。かつての(パウロの)友は今や彼の命を脅かすようになりました。そこで弟子たちは、彼を苦しめようとする人たちから逃れられるようにと、彼を籠に入れて町の城壁から下ろしました。

私にとって苦しみは内面的なものでした。神はある人たちを送ってくださり、彼らは私を愛と説得の籠に入れて、私自身ではよじ上ることのできない壁を持ち上げ、向こう側に下ろしてくれました。それが、あるがままの状態の私たちを受け入れて下さるキリストの恵みです。

イギリスの詩の愛好家なら、フランシス・トムソンの波瀾万丈の人生を覚えているでしょう。父親は彼にオックスフォード大学で学ばせたかったのですが、彼はアヘンで道を踏み外し、何度か落第しました。彼を知っている人は、彼の命さえ救われたなら、彼の内面には天才の素質が眠っていることを知っていました。

フランシス・トムソンがついにキリストに追われることに屈した時、彼は、変化の瞬間の背後にある年月を描いた、不朽の名作「天の猟犬」を書きました。

いく夜もいく日も、神から逃げた。
いく年の門をもくぐり、神から逃げた。
心の中の迷路のような道を通って
神から逃げた。そして涙の霧の中に
神から隠れ、笑いの川を
将来の展望に向かって急ぎ上った。
そして、深い恐怖の巨大な闇へと下った。
私を追いかけるあの強い足から逃げた。
追っているのは神の愛であることを知ってはいたが
それでも私はひどく恐れた。
神を得ると、他には何もなくなってしまうのではと。

私が逃げるのをやめて、神の強さによって神の愛に包まれたその日はなんと素晴らしい日であったことか。—ラビ・ゼカライアス [3]

*

ある夜、突然私の心に激しい願いが沸き起こりました。私は見えない力に向かって声を立てて泣かずにはいられなくなりました。私の砕けた体はあまりに弱く、ささやき声以上の声を出すことはできなかったので、熱心なささやきをもって、私は嘆願しました。「神がどこかに存在するとしたら、どうか私に姿を現して下さい。あなたがそこにおられて私の夫の言葉や夫がいかにして祈るかを聞かれたなら、私に姿を現して下さい。」 それは自分自身を超えた何かの力に駆り立てられているかのようでした。・・・

それは珍しいことでした。単純な理由ですが、私は以前からずっと、少々独善的だったからです。非常に道徳的な生活を送り、それをかなり誇りにしていました。自己満足していたのです。過去の人生を振り返って、自分がした人道救済活動を思い出すと、かなり満足できました。だって、私はある種の救援活動をして自分の命を危険にさらしたのではありませんか? 死の門の前に立ち、大きな恐れに襲われた時でさえ、私は人に対する犠牲的な奉仕の年月を思い出して、深い満足に浸ったものです。でも、今、それらは私にとって「汚れたぼろ布」[4] のように見えます。まるで突然私の目が開かされて、生まれて初めて自分の人生の真の姿を見たかのようでした。過去の仕事は無であるかのように見えました。えきれないほどになって、私はとうとう泣き出しました。私の奉仕は神に対してしたのではなく、動機も神があがめられるようにとのものではありませんでした。罪と自己の重荷が増し加わり、耐えがたくなって、ついに泣き出しました。

できることならば、その時私の心の中で起こったことをそのまま皆さんに告げたいのですが、それは絶対に不可能です。新しい誕生は、主ご自身によって為される神秘的で超自然的なわざであり、主がそれをどのように行われたかを告げることは、私にはできません。でも、神は私の心を完全に変えてくださいました。・・・私はもうひとりではありませんでした。家族の誰かが病床の脇に立っているかのように、その部屋に主の存在を感じたからです。そして私は幼い子どもが親にするように、主に向かってごく自然に語りかけていました。私は主にすべてを話しました。主は聞かれ、理解して下さったことを、私は知っていました。言葉には言い尽くせず、人知では計り知れない甘美な平安と、さわやかな安らぎが私の悩める霊を覆ったからです。私は幻を見たわけでも、声を聞いたわけでもありません。五感で証明できるものは何もありませんでした。しかし、心の中で「静かにささやく声」[5] を聞き、神との、正真正銘の個人的なつながりができたことで、私は心からこう言うことができました。「私は、自分の信じて来た方をよく知っており、また、その方は私のお任せしたものを、かの日のために守ってくださることができると確信している。」[6] 私の不信はすべて逃げ去りました。神は実在されます。そして私は「キリスト・イエスにあって新しく造られた者」[7] となったのです。ー「光が差し込んだ」のです!—バージニア・ブラント・バーグ [8]

2013年10月アンカーに掲載 朗読:ベサニー・ケリー
音楽:ダニエル・ソッジ


1 A Gentle Heart (New York: Thomas Y. Crowell & Company, 1896).

2 Searching for God Knows What (Nashville: Thomas Nelson, 2010).

3 Jesus Among Other Gods (W Publishing Group, 2000).

4 イザヤ64:6参照.

5 列王記上19:12参照.

6 2テモテ1:12(新改訳).

7 2コリント5:17参照.

8 From http://virginiabrandtberg.org/the-hem-of-his-garment/the-light-breaks-in.html.

Copyright © 2024 The Family International