試練は良いもの

10月 1, 2013

Trials Equal Good
October 1, 2013

引用文集

オーディオ所要時間: 11:28
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「正しい人には災いが多い」[1] ゆえに、「神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さる」[2] のを知ることは、確かに心が慰められます。事実、私たちの多くの試練や困難、戦い、誘惑を、勝利に満ちて乗り越えるには、ローマ8:28にあるこの約束を人生の極めて重要な部分とすることが欠かせません。

毎日のすべての出来事をローマ8:28のフィルターにかけないなら、そして落胆や傷やテストや病気や反対や戦いを、常にローマ8:28の視点で見ることをしないなら、私たちは残念なことに主が教えようとしておられる貴重な教訓を逃してしまいます。そして、この貴い約束と原則を絶対的に信頼することから来る平安を自分から奪ってしまうことになるでしょう。

「試練=良いもの」という単純な等式を学ぶなら、人生はもっと豊かに、教訓はもっと大きく、思いはもっと穏やかになり、そして人生の出来事の中に働く主の御手にもっと気づくようになります。問題や試練、戦いや苦難が押し寄せる時に、最悪の事態になることをただ待って見ているか、あるいは、主がそこからもたらされるとわかっているすべての良きものを発見しようと待ち構えることから来る興奮とチャレンジ精神をもってそれを見るかで、大きな違いが生じるのです。—マリア・フォンテーン

*

神はしばしば、闇の中でご自身の最高のわざをなさいます。神はでたらめに試練を送ったりはされません。‥‥うっかりとして試練が私たちの人生に紛れ込むのを許したりもされません。‥‥私たちが経験するすべての試練は、私たちの益となるために神の御手によって造られたのです。試練は神の窯(かまど)です。私たちは粘土であって、神は名陶器師です。

神は闇の中でどのような良きことを成し遂げられるのでしょうか。ここに、神が成し遂げられる何千という事柄の、ほんの幾つかの例を挙げましょう。

 

私たちが神に頼らざるを得なくする。

わたしたちとしては死の宣告を受けた思いでした。それで、自分を頼りにすることなく、死者を復活させてくださる神を頼りにするようになりました。 —2 コリント 1:9[新共同訳]

試練は私たちに、最初から真実であったものを思い起こさせます。つまり、私たちは必死になって神に頼っているということです。神から離れてはまともに動けません。死から人をよみがえらせてくださる神の恵みによらなければ、天国に行くことはできません。神は試練を通して私たちの「自信」を減らし、神への信頼を増されるのです。

 

神は私たちの内に忍耐を生み出してくださる。

あなたがたが、いろいろな試錬に会った場合、それをむしろ非常に喜ばしいことと思いなさい。あなたがたの知っているとおり、信仰がためされることによって、忍耐が生み出されるからである。—ヤコブ 1:2–3

不動の忍耐なくしては、私たちはすぐに芽を出しても根を生やさない種のようです。この世の思い煩いによって息の根を止められてしまうでしょう。神は私たちが、試練や困難によって簡単に動揺することのない、忍耐に満ちた揺るぎない信仰を持つよう望まれます。試練は、私たちの信仰を成熟させ、揺るぎないものとしてくれます。

 

神は、私たちが他の人たちを慰められるように備えてくださる。

ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神、あわれみ深き父、慰めに満ちたる神。神は、いかなる患難の中にいる時でもわたしたちを慰めて下さり、また、わたしたち自身も、神に慰めていただくその慰めをもって、あらゆる患難の中にある人々を慰めることができるようにして下さるのである。—2 コリント1:3–4

私たちは試練を経験する時、それと同時に、独特な方法で神の慰めをも経験します。神の慰めが私たちの人生に流れ込む時、私たちは、試練を耐え忍んでいる他の人たちを慰めるよう、神によって備えられます。まず自分自身が神の慰めを受け取ることがなければ、他の人たちを十分に慰めることはできないでしょう。試練は他の人たちを慰められるよう、私たちを備えます。—スティーブン・アルトロッジ [3]

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私たちの内誰一人として、試練という灼熱の夏を耐え忍ばずに成熟の極みに達せる人はいません。傷を付けられなければエジプトイチジクが熟れることなく、打たれなければ穀物の殻が取れないように、そして砕かれなければ上質の小麦粉ができないように、私たちも苦しみにあうまではほとんど役に立ちません。そのような益から躍起になって逃れようとすべきなのでしょうか。私たちは「主の御心がなりますように」と言って、忍耐を持って待つべきなのです。主は私たちに恵みを与えるために待たれました。私たちも主に栄光を捧げるために待とうではありませんか。—チャールズ・スポルジョン

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私は疑わない。洋上にある私のすべての船が
折れたマストと破れた帆で戻って来ても。
私は信じる。一見悪と見えるものを
私にとって必ず善となるようして下さる御手を。
ぼろぼろの帆に泣き
望みが粉々に砕けても、それでも私は叫ぶ
「私はあなたに信頼します」と。

私は疑わない。悲しみが雨のように降り注ぎ
問題が巣の周りの蜂のように群がっても。
私は信じる。私が目指す高みは
苦悩と痛みによってのみ達しうると。
私は自分の十字架にうめき、震えるが
最も辛い損失を通して
最大の勝利を見るだろう。
—エラ・ウィーラー・ウィルコックス

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神が私たちに一つ一つの試練を与える時の半分の慎重さと正確さでさえもって、患者に薬を与える医者はいない。神は天秤の上に粉粒ひとつ分でさえ余分に置かれることを許されない。—ヘンリー・ワード・ビーチャー

*

困難、テスト、試練、悲嘆、苦しみ、落胆は、多くの原因や理由があって生じるが、それらがなぜ来るのか、その理由は何なのかに関わらず、あなたは万事が共に働いて、わたしを愛する者にとって益となることを信じて安心できる。あなたがわたしを愛しているので、これらの試練でさえ、わたしの手に取って、祝福に変えることができる。

もしあなたが、今日という日、今という時、今感じている苦しみを超えて、わたしが見るように見ることができたなら、なぜ試練が祝福であるのかが理解できるはずだ。なぜこの損失や心の痛みが、そして激しく誘惑され試されている今の時が、あなたにとって祝福となるのかが理解できるはずだ。

理解の秘訣、理解への鍵は、「時とともに」という言葉にある。わたしの手があなたの人生にかざされ、万事が共に働いて益となると信じるなら、時とともに、あなたが信仰によって信じていることを理解し、見ることができるようになる。そしてそれはあなたの人生において現実となるだろう。—イエス、預言で語る

*

私には救命具がある。それは私の最も貴重な持ち物。

人生の海を航海してきて、私は何度も水平線に嵐が起きようとしているところを、気をつけて見ていた。私は救命具をつかみ、しっかりとつなぎ止める。それから、迫ってくる容赦ない暴風に備える。

嵐が襲い、私の小さな舟は猛り狂う波に翻弄される。波は私を飲み込んで溺れさせようとするが、私には救命具があるので、自分は生き延びると分かっている。いや、生き延びるどころではない。おそらくアザができ、たたきつけられているだろうが、それでも勝利を持って再び立ち上がるのだ。

時には嵐が背後から忍び寄る。荒れ狂う波に不意を襲われて舟は転覆し、私は氷のような水の中に投げ込まれる。喉がつまり、水を吐き出し、息をしようとあえぐが、私は渦の中に巻き込まれてしまう。もがけばもがくほど、水は私をしっかりと捕らえて離さない。

孤独で、無力で、敗北した私は最期を待つ。希望は溶けたろうそくのように消えかかる。これが最後と水中に沈むと、嵐の音の中に声が聞こえる。「救命具をつかみなさい! それが唯一の望みだ。」

闇の中で目を凝らすと、何かが水に浮いているのが見える。私の救命具だ。一番必要とする時に、いつもそこにある。それを体に結びつけると、私はすぐに浮かんだ。

闇はまだ私を包んでいる。海は今も逆巻き、泡を立て、怒り狂う波が私を引きずり下ろそうとする。雨は依然として私の頬を突き刺す。しかし、私は再び浮いている。救命具に対して完全な信頼と安心を抱いて、私は嵐が収まるのをじっと待つ。

この救命具の秘密とは何だろうか。答えはとても単純なので、あなたはそれを軽く払いのけてしまうかもしれない。それはこの聖書の節だ。「神は、神を愛する者たち・・と共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。」[4]

万事、そう、嵐も、雨も、風もすべて、私たちの益となるためにある。

いつの日か、どうにかして、私たちはそれを理解するだろう。—ステラリス・ジェイド

2013年10月アンカーに掲載 朗読:ジョン・マーク
音楽・ダニエル・ソッジ


1 詩篇 34:19.

2 ローマ 8:28.

3 http://blogs.christianpost.com/guest-views/god-often-does-his-best-work-in-the-darkness-15992より抜粋

4 ローマ 8:28.

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