神の属性(性質)

8月 27, 2013

Attributes of God
August 27, 2013

引用文集

オーディオ所要時間: 10:54
オーディオ・ダウンロード(英語) (9.9MB)

神の属性は、神がどのような方なのかを私たちに教えてくれる。—ウィリアム・エイムズ

*

神は霊。だから、私は神との親密な交わりを求めよう。
神は全能。だから、神はどんなことについても私を助て下さる。
神は遍在。だから、いつも私と共にいて下さる。
神は全知。だから、私はどんな質問や懸念も神の下に携えて行ける。
神は統治者。だから、私は喜んで御心に服従する。
神は神聖。だから、私は清さと崇敬と礼拝をもって神に身を捧げる。
神は絶対的な真理。だから、私は神が言われることを信じ、それに沿って生きる。
神は義なる方。だから、私は神の基準に沿って生きる。
神は公正な方。だから、神は私を公平に扱われる。
神は愛。だから、神は無条件に私の幸福を顧みて下さる。
神は憐れみ深い。だから、私が心から罪を告白すれば、それをゆるして下さる。
神は忠実。だから、私は神がいつも約束を守って下さると信頼できる。
神は決して変わることがない。だから、私の将来は安全で、いつまでも続く。
—ウィリアム・R・ブライト博士

*

神の性質に優劣はないが、その中でも憐れみは正義よりもさらに明るく輝く。—ミゲル・デ・セルバンテス

*

「神の性質とは?」

(注:以下の文中のリンクをクリックすると、実際の聖句を読むことができます。リンク先から元の場所に戻ることもできます。また、聖書の言葉は、特に明記されていない場合、日本聖書協会の口語訳聖書から引用されています)

神の言葉である聖書には、神がどのような方であるか、またどのような方でないかが書かれています。聖書の権威なしに神のいかなる性質を説明しようとしても、それは一つの意見に過ぎません。そして、特に神の性質を理解しようとするのに、意見だけでは不正確なものなのです。(ヨブ42:7)神がどのような方であるかを理解しようとすることの大切さは、どれだけ言っても言い足りません。理解しようとしないなら、神の御心とは正反対の偽りの神々を立て、それを追い求め、拝むことになりかねません。(出エジプト20:3-5

私たちが知ることのできるのは、神がご自身について明かすことを選ばれた部分だけです。神の性質、あるいは資質の一つは「光」であり、それは神はご自身の情報をご自分で明かされるという意味です。(イザヤ60:19; ヤコブ1:17)神がご自身に関する知識を明かされたという事実は、ないがしろにすべきではありません。(ヘブル4:1)被造物、聖書、肉体となられた御言葉(イエス・キリスト)が、神がどのような方かを知るのを助けてくれます。

最初に、神が私たちの創造主であり、私たちは神の被造物の一部であって(創世記1:1; 詩篇24:1)、神の姿に似せて造られたことを理解しましょう。人間は他の被造物の上に置かれ、それらを治める権威を与えられています。(創世記1:26-28)創造は堕落によって損なわれましたが、それでもなお、そこには神の荘厳さを垣間見ることができます。(創世記3:17-18; ローマ1:18-20) 創造の広大さ、複雑さ、美しさ、秩序を考えれば、神がどれほど偉大であるかを感じ取ることができます。

神の名前の幾つかを見てみると、神がどのような方であるかを知る助けとなります。次のようなものです。

エロヒム- 強き方、神聖な方(創世記1:1
アドナイ- 主、僕に対して主人という意味合いがある(出エジプト4:10,13
エル・エリオン-いと高き方、最強の方(創世記14:20
エル・ロイ- 顧みられる強き方(創世記16:13
エル・シャダイ- 全能の神(創世記17:1
エル・オラム- 永遠なる神(イザヤ40:28
ヤハウェ -主「わたしはある」、永遠に自存する神という意味(出エジプト3:13, 14

神は永遠です。それは、神には始まりがなく、神の存在は決して終わることがないという意味です。神は不滅であり、無限です。(申命記33:27; 詩篇90:2; 1テモテ1:17) 神は不変、つまり変わることがありません。つまり、神は絶対的に頼ることができ、信頼できる方であるということです。(マラキ3:6; 民数記23:19; 詩篇102:26,27) 神は無比の方であり、活動し存在するもので神のような方は誰もいません。神に匹敵する者は何もなく、神は完璧です。(サムエル下7:22; 詩篇86:8; イザヤ40:25; マタイ5:48) 神は計り知れず、深遠で、神秘的であり、神を完全に理解することは到底できません。(イザヤ40:28 ; 詩篇145:3; ローマ 11:33,34

神は公正な方です。神は人をひいきして偏り見ることがありません。(申命記 32:4; 詩篇 18:30) 神は全能です。神にはすべてが可能で、したい事は何でもすることができますが、神の行動は常に、その他の性質に沿ったものとなります。(黙示録 19:6; エレミヤ 32:17,27) 神は遍在されます。それはどこにでも存在するという意味ですが、神がすべてというわけではありません。(詩篇 139:7-13; エレミヤ 23:23) 神は全知であられ、それは、過去と現在と将来をご存知であり、また、私たちがその時々に何を考えているかもご存知であるという意味です。 神はすべてをご存知なので、神の裁きは常に公平なのです。(詩篇 139:1-5; 箴言5:21

神は唯一です。神は他にいないというだけでなく、神おひとりだけが、私たちの心の最も深い必要と切なる願いを満たせるのです。神おひとりだけが、私たちの崇拝と崇敬に値する方です。(申命記 6:4) 神は義なる方です。神は悪行を見逃すことはできず、実際見逃すことがないという意味です。神は義であり正義であるゆえに、私たちの罪がゆるされるためには、イエスが私たちの罪を負い、神の怒りを受けなければなりませんでした。(出エジプト 9:27; マタイ 27:45-46; ローマ 3:21-26

神は統治者です。つまり、神は最高権威を持っておられます。神の被造物すべてを合わせても、神のご計画を妨げることはできません。(詩篇 93:1; 詩篇 95:3; エレミヤ 23:20) 神は霊であって、目には見えません。(ヨハネ 1:18; ヨハネ 4:24) 神は三位一体であられます。三位がひとつのうちにあり、同等の権威と栄光を持つ、同じ存在であられます。神は真理です。神は高潔であられ、偽りを言うことができません。(詩篇 117:2; サムエル上15:29

神は神聖であり、あらゆる道徳的な汚れから離れており、それに敵対しておられます。神はすべての悪を見られ、それを怒られます。神は燃え尽くす炎と言われています。(イザヤ6:3; ハバクク 1:13; 出エジプト3:2, 4-5; ヘブル 12:29) 神は恵み深く、神の恵みは慈しみであり、優しさであり、憐れみ、愛です。神の恵みがなければ、神の神聖さにより私たちは神の御前から疎外されてしまいます。感謝することに、そうなってはいません。神は私たち一人ひとりを個人的に知りたいと願っておられるからです。(出エジプト 34:6; 詩篇 31:19; 1 ペテロ 1:3; ヨハネ 3:16, ヨハネ17:3

神は無限の存在であることから、人間はこの神レベルの[神の性質とは何かという]質問に対して完全な答えを出すことはできませんが、神の言葉を通して、神とは何なのか、どのような方なのかの多くを知ることができます。私たちが皆、引き続き主をたずね求めることができますように。(エレミヤ 29:13)—Got questions ウェブサイト[1]

*

神がご自身の羊たちのために命を捨てられた時ほど、神の愛がはっきりと現れたことはありません。また、罪が罰せられずにやりおおせ、律法が軽しめられるよりも、神が罪の呪いに苦しむ方を選ばれた時ほど、神の義の炎が赤々と燃え立ったことはありません。神のすべての性質は十字架に集中していました。涙を流した目でイエスの傷を見た人は、神の永遠の摂理や創造の莫大さが人に現すことのできるすべてにまさって、そこに神を見るのです。—C・H・スポルジョン

*

神の性質、特質、性格、属性について学ぶ時に、私たちは最初から、神についてのあらゆることを知ることは決してできないと理解すべきです。私たちは有限なる存在であり、知識についても限りがあります。神は無限なる存在であられ、知識も限りがないので、両者の隔たりは決して埋められないでしょう。キリスト教の教義は、神は理解を超えていると教えています。つまり、神は、「完全に理解されることができない」のです。[2] だからといって、神が全く理解不能ということではありません。ただ、神は完全に、何一つ残さず理解されることはないということです。

神についてのあらゆることを理解することはないとしても、私たちは、神についてご自身が私たちに啓示して下さったことを知ることはできます。私たちの周りの世界、神の被造物を通して、一般的に知っていることもあれば、聖書という、神が人類に対してご自身を啓示された主要な手段を通してより特別に学ぶこともあります。聖書では、神が人類に対して、ご自身について語っておられますが、そのように神がご自身について言われたことは真実です。しかし、神はご 自身についてすべてを語ることはされなかったので、誰も、神についてのあらゆることを完全に理解することはできません。神がその被造物や御言葉を通して伝えられたことは、神が人類に対してご自身について啓示されたものなのです。そのような啓示は、神について非常に多くのことを教えてくれ、そこから私たちが学ぶことのゆえに、私たちは神を愛し、賛美し、信頼するようになります。—ピーター・アムステルダム[3]

2013年8月アンカーに掲載; 読み:ジョン・マーク
音楽:マイケル・ドーリー


1 http://www.gotquestions.org/attributes-God.html.

2 Wayne Grudem, Systematic Theology, An Introduction to Biblical Doctrine (Grand Rapids: InterVarsity Press, 2000), 150.

3 2011年8月初版.

ヨブ42:7 主はこれらの言葉をヨブに語られて後、テマンびとエリパズに言われた、/「わたしの怒りはあなたとあなたのふたりの友に向かって燃える。あなたがたが、わたしのしもべヨブのように正しい事をわたしについて述べなかったからである。

出エジプト20:3-5 あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない。あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない。上は天にあるもの、下は地にあるもの、また地の下の水のなかにあるものの、どんな形をも造ってはならない。それにひれ伏してはならない。それに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神であるから、わたしを憎むものは、父の罪を子に報いて、三、四代に及ぼし、

イザヤ60:19 昼は、もはや太陽があなたの光とならず、夜も月が輝いてあなたを照さず、主はとこしえにあなたの光となり、あなたの神はあなたの栄えとなられる。

ヤコブ1:17あらゆる良い贈り物、あらゆる完全な賜物は、上から、光の父から下って来る。父には、変化とか回転の影とかいうものはない。

ヘブル4:1 それだから、神の安息にはいるべき約束が、まだ存続しているにかかわらず、万一にも、はいりそこなう者が、あなたがたの中から出ることがないように、注意しようではないか。

創世記1:1 はじめに神は天と地とを創造された。

詩篇24:1 地と、それに満ちるもの、世界と、そのなかに住む者とは主のものである。

創世記1:26-28 神はまた言われた、「われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造り、これに海の魚と、空の鳥と、家畜と、地のすべての獣と、地のすべての這うものとを治めさせよう」。神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。神は彼らを祝福して言われた、「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ。また海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ」。

創世記3:17-18 更に人に言われた、「あなたが妻の言葉を聞いて、食べるなと、わたしが命じた木から取って食べたので、地はあなたのためにのろわれ、あなたは一生、苦しんで地から食物を取る。地はあなたのために、いばらとあざみとを生じ、あなたは野の草を食べるであろう。

ローマ1:18-20 神の怒りは、不義をもって真理をはばもうとする人間のあらゆる不信心と不義とに対して、天から啓示される。なぜなら、神について知りうる事がらは、彼らには明らかであり、神がそれを彼らに明らかにされたのである。神の見えない性質、すなわち、神の永遠の力と神性とは、天地創造このかた、被造物において知られていて、明らかに認められるからである。したがって、彼らには弁解の余地がない。

創世記1:1 はじめに神は天と地とを創造された。

出エジプト4:10,13 モーセは主に言った、「ああ主よ、わたしは以前にも、またあなたが、しもべに語られてから後も、言葉の人ではありません。わたしは口も重く、舌も重いのです」。モーセは言った、「ああ、主よ、どうか、ほかの適当な人をおつかわしください」。

創世記14:20 願わくはあなたの敵をあなたの手に渡されたいと高き神があがめられるように」。アブラムは彼にすべての物の十分の一を贈った。

創世記16:13 そこで、ハガルは自分に語られた主の名を呼んで、「あなたはエル・ロイです」と言った。彼女が「ここでも、わたしを見ていられるかたのうしろを拝めたのか」と言ったことによる。

創世記17:1 アブラムの九十九歳の時、主はアブラムに現れて言われた、「わたしは全能の神である。あなたはわたしの前に歩み、全き者であれ。

イザヤ40:28 あなたは知らなかったか、あなたは聞かなかったか。主はとこしえの神、地の果の創造者であって、弱ることなく、また疲れることなく、その知恵ははかりがたい。

出エジプト3:13, 14 モーセは神に言った、「わたしがイスラエルの人々のところへ行って、彼らに『あなたがたの先祖の神が、わたしをあなたがたのところへつかわされました』と言うとき、彼らが『その名はなんというのですか』とわたしに聞くならば、なんと答えましょうか」。神はモーセに言われた、「わたしは、有って有る者」。また言われた、「イスラエルの人々にこう言いなさい、『「わたしは有る」というかたが、わたしをあなたがたのところへつかわされました』と」。

申命記33:27 とこしえにいます神はあなたのすみかであり、下には永遠の腕がある。敵をあなたの前から追い払って、『滅ぼせ』と言われた。

詩篇90:2 山がまだ生れず、あなたがまだ地と世界とを造られなかったとき、とこしえからとこしえまで、あなたは神でいらせられる。

1テモテ1:17 世々の支配者、不朽にして見えざる唯一の神に、世々限りなく、ほまれと栄光とがあるように、アァメン。

マラキ3:6 主なるわたしは変ることがない。それゆえ、ヤコブの子らよ、あなたがたは滅ぼされない。

民数記23:19 神は人のように偽ることはなく、また人の子のように悔いることもない。言ったことで、行わないことがあろうか、語ったことで、しとげないことがあろうか。

詩篇102:26,27 あなたはいにしえ、地の基をすえられました。天もまたあなたのみ手のわざです。これらは滅びるでしょう。しかしあなたは長らえられます。これらはみな衣のように古びるでしょう。あなたがこれらを上着のように替えられると、これらは過ぎ去ります。しかしあなたは変ることなく、あなたのよわいは終ることがありません。

サムエル下7:22 主なる神よ、あなたは偉大です。それは、われわれがすべて耳に聞いたところによれば、あなたのような者はなく、またあなたのほかに神はないからです。

詩篇86:8 主よ、もろもろの神のうちにあなたに等しい者はなく、また、あなたのみわざに等しいものはありません。

イザヤ40:25 聖者は言われる、「それで、あなたがたは、わたしをだれにくらべ、わたしは、だれにひとしいというのか」。

マタイ5:48 それだから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。

イザヤ40:28 あなたは知らなかったか、あなたは聞かなかったか。主はとこしえの神、地の果の創造者であって、弱ることなく、また疲れることなく、その知恵ははかりがたい。

詩篇145:3 主は大いなる神で、大いにほめたたえらるべきです。その大いなることは測り知ることができません。

ローマ 11:33,34 ああ深いかな、神の知恵と知識との富は。そのさばきは窮めがたく、その道は測りがたい。「だれが、主の心を知っていたか。だれが、主の計画にあずかったか。

申命記 32:4 主は岩であって、そのみわざは全く、その道はみな正しい。主は真実なる神であって、偽りなく、義であって、正である。

詩篇 18:30 この神こそ、その道は完全であり、主の言葉は真実です。主はすべて寄り頼む者の盾です。

黙示録 19:6 わたしはまた、大群衆の声、多くの水の音、また激しい雷鳴のようなものを聞いた。それはこう言った、「ハレルヤ、全能者にして主なるわれらの神は、王なる支配者であられる。

エレミヤ 32:17,27 17『ああ主なる神よ、あなたは大いなる力と、伸べた腕をもって天と地をお造りになったのです。あなたのできないことは、ひとつもありません。 27 「見よ、わたしは主である、すべて命ある者の神である。わたしにできない事があろうか。

詩篇 139:7-13 このような知識はあまりに不思議で、わたしには思いも及びません。これは高くて達することはできません。わたしはどこへ行って、あなたのみたまを離れましょうか。わたしはどこへ行って、あなたのみ前をのがれましょうか。わたしが天にのぼっても、あなたはそこにおられます。わたしが陰府に床を設けても、あなたはそこにおられます。わたしがあけぼのの翼をかって海のはてに住んでも、あなたのみ手はその所でわたしを導き、あなたの右のみ手はわたしをささえられます。「やみはわたしをおおい、わたしを囲む光は夜となれ」とわたしが言っても、あなたには、やみも暗くはなく、夜も昼のように輝きます。あなたには、やみも光も異なることはありません。

エレミヤ 23:23 「主は言われる、わたしはただ近くの神であって、遠くの神ではないのであるか。

詩篇 139:1-5 聖歌隊の指揮者によってうたわせたダビデの歌。主よ、あなたはわたしを探り、わたしを知りつくされました。あなたはわがすわるをも、立つをも知り、遠くからわが思いをわきまえられます。あなたはわが歩むをも、伏すをも探り出し、わがもろもろの道をことごとく知っておられます。わたしの舌に一言もないのに、主よ、あなたはことごとくそれを知られます。

箴言5:21 人の道は主の目の前にあり、主はすべて、その行いを見守られる。

申命記 6:4 イスラエルよ聞け。われわれの神、主は唯一の主である。

出エジプト 9:27 そこで、パロは人をつかわし、モーセとアロンを召して言った、「わたしはこんどは罪を犯した。主は正しく、わたしと、わたしの民は悪い。

マタイ 27:45-46 さて、昼の十二時から地上の全面が暗くなって、三時に及んだ。そして三時ごろに、イエスは大声で叫んで、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と言われた。それは「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。

ローマ 3:21-26 しかし今や、神の義が、律法とは別に、しかも律法と預言者とによってあかしされて、現された。それは、イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、すべて信じる人に与えられるものである。そこにはなんらの差別もない。すなわち、すべての人は罪を犯したため、神の栄光を受けられなくなっており、彼らは、価なしに、神の恵みにより、キリスト・イエスによるあがないによって義とされるのである。神はこのキリストを立てて、その血による、信仰をもって受くべきあがないの供え物とされた。それは神の義を示すためであった。すなわち、今までに犯された罪を、神は忍耐をもって見のがしておられたが、それは、今の時に、神の義を示すためであった。こうして、神みずからが義となり、さらに、イエスを信じる者を義とされるのである。

詩篇 93:1 主は王となり、威光の衣をまとわれます。主は衣をまとい、力をもって帯とされます。まことに、世界は堅く立って、動かされることはありません。

詩篇 95:3 主は大いなる神、すべての神にまさって大いなる王だからである。

エレミヤ 23:20 主の怒りは、み心に思い定められたことをなし遂げられるまで退くことはない。末の日にあなたがたはそれを明らかに悟る。

ヨハネ 1:18 神を見た者はまだひとりもいない。ただ父のふところにいるひとり子なる神だけが、神をあらわしたのである。

ヨハネ 4:24 神は霊であるから、礼拝をする者も、霊とまこととをもって礼拝すべきである」。

詩篇 117:2 われらに賜わるそのいつくしみは大きいからである。主のまことはとこしえに絶えることがない。主をほめたたえよ。

サムエル上15:29 またイスラエルの栄光は偽ることもなく、悔いることもない。彼は人ではないから悔いることはない」。

イザヤ6:3 互に呼びかわして言った。「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、万軍の主、その栄光は全地に満つ」。

ハバクク 1:13 あなたは目が清く、悪を見られない者、また不義を見られない者であるのに、何ゆえ不真実な者に目をとめていられるのですか。悪しき者が自分よりも正しい者を、のみ食らうのに、何ゆえ黙っていられるのですか。

出エジプト3:2 2 ときに主の使は、しばの中の炎のうちに彼に現れた。彼が見ると、しばは火に燃えているのに、そのしばはなくならなかった。4-5 主は彼がきて見定めようとするのを見、神はしばの中から彼を呼んで、「モーセよ、モーセよ」と言われた。彼は「ここにいます」と言った。神は言われた、「ここに近づいてはいけない。足からくつを脱ぎなさい。あなたが立っているその場所は聖なる地だからである」。

ヘブル 12:29 わたしたちの神は、実に、焼きつくす火である。

出エジプト 34:6 主は彼の前を過ぎて宣べられた。「主、主、あわれみあり、恵みあり、怒ることおそく、いつくしみと、まこととの豊かなる神、

詩篇 31:19 あなたを恐れる者のためにたくわえ、あなたに寄り頼む者のために人の子らの前に施されたあなたの恵みはいかに大いなるものでしょう。

1 ペテロ 1:3 ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神。神は、その豊かなあわれみにより、イエス・キリストを死人の中からよみがえらせ、それにより、わたしたちを新たに生れさせて生ける望みをいだかせ、

ヨハネ 3:16 神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。

ヨハネ17:3 永遠の命とは、唯一の、まことの神でいますあなたと、また、あなたがつかわされたイエス・キリストとを知ることであります。

エレミヤ 29:13 あなたがたはわたしを尋ね求めて、わたしに会う。もしあなたがたが一心にわたしを尋ね求めるならば、

Copyright © 2024 The Family International