幼な子のように

5月 21, 2013

As a Little Child
May 21, 2013

引用文集

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よく聞きなさい。心をいれかえて幼な子のようにならなければ、天国にはいることはできないであろう。この幼な子のように自分を低くする者が、天国でいちばん偉いのである。また、だれでも、このようなひとりの幼な子を、わたしの名のゆえに受けいれる者は、わたしを受けいれるのである。—イエスの言葉、マタイ 18:3–5

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幼な子らをわたしの所に来るままにしておきなさい。止めてはならない。神の国はこのような者の国である。よく聞いておくがよい。だれでも幼な子のように神の国を受けいれる者でなければ、そこにはいることは決してできない。—イエスの言葉、マルコ 10:14–15

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赤ん坊は、信仰と、神から聞くことを表す良い実例です。母親を求めて泣いている赤ん坊を拒むことなど、到底考えられません。あの小さな赤ん坊は、場合によっては私たちよりも信仰があると言えます。泣けば誰かが聞いてくれると期待しているのですから。神は赤ん坊に、呼べば答えてもらえると知る能力を授けられました。赤ん坊は答を期待し、それを受け取ります。

乳首が口に含ませられると、赤ん坊は自動的に乳を吸い始めます。あなたの場合も、何かを求めて神に呼ばわれば、神はそれをあなたの口に含ませてくださいます。けれども、吸い始めない限り、何も受け取れません。吸い始めるという信仰がなければならないのです。多くの場合、赤ん坊が少しの間吸い続けてからでないと母乳は出ません。赤ん坊にとって、吸うことはいわば信仰を表す行為なのです。

何が、乳房から母乳を引き出しているのでしょう。真空状態です。赤ん坊は乳を吸う時、口の中に真空状態を生じさせ、それが乳を引き出します。ですから、あなたも心の中に真空を生じさせなければなりません。「主よ、ここに空っぽの空間があります。あなたがそれを満たしてください」と言って。

何の力がその真空を満たすのでしょう。実は、赤ん坊ではありません。赤ん坊はただ、口の中を減圧して真空を生じさせるだけで、そうすると、口の中の方が乳房の中よりも圧力が低くなります。そうやって、母親の乳房から赤ん坊の口の中へと、母乳が流れるわけです。祈ることで、あなたは真空を生じさせます。そこには満たされるべき空間ができます。それは、あなたが主の助けを求めているということです。真空が生じると、主の圧力がそこを満たします。力は内側ではなく、外側から来ます。あなたはただ真空を生じさせただけですが、その真空がパワーを引き出したのです。—デービッド・ブラント・バーグ [1]

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ある友人が教えてくれたのですが、二人の少女の会話を耳にしたそうです。二人は遊び友達で、硬貨を数えていました。一人が言いました。「私、5セントあった」。もう一人が言いました。「私は10セントよ」。すると、最初の子が言いました。「違うでしょ。5セントしかないじゃない。私と同じよ」。もう一人の子が口早に答えました。「でもね、パパが今晩帰って来たら、5セントくれるって言ってたの。だから、10セントあるのよ」。まだ見ていなくても、その子は信じていたので、それで十分でした。父親がそう約束してくれたから、もうそのお金は自分のものだと見なしたのです。—作者不詳 [2]

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私たちは、幼い子どものようになって神の御許に行くべきです。 … 神にすがりつき、助けを求め続けるのです。神がせよと言われることはすべて、私たちがそれをするのを助けてくださいます。神はいつでもその用意ができていて、私たちを待っておられます。そして、大喜びでそうしてくださるのです。しかし、私たちは幼い子どものように身を低くして行かなければなりません。誠実になり、見栄を張らず、正直になり、心を開くのです。神と、神の絶えざる助けがなければ、私たちは決して従順の新たな段階を歩めないのですから。

第1ヨハネ4:4で、使徒はこう書いています。「子たちよ。あなたがたは神から出た者であって、彼らにうち勝ったのである。あなたがたのうちにいますのは、世にある者よりも大いなる者なのである」。

これをはじめとした数多くの聖句で「子たち」と訳されているギリシャ語の言葉には、「愛しい人たち」という意味もあります。神はあなたや私に、私たちは神にとって愛しい幼な子であることを知ってほしいのです。

第1ヨハネ4:4で、使徒は敵を打ち負かし、勝利することについて語っています。この場合も、私たちが幼な子のようになって、学び、依存し、頼り、信頼することによってのみ、達成されるということに気づくべきだと思います。

良い親は子どもが苦しむのを見るよりは、自分が苦しむ方がましだと感じるものです。父なる神がイエスを送って、神の子どもである私たちのために死なせられた時、この「子育ての原則」が実行されていたことがわかります。

「しかし、彼を受けいれた者、すなわち、その名を信じた人々には、彼は神の子となる力を与えたのである」。[3]

子どもは継承者であり、相続人です。—ジョイス・メイヤー [4]

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私たち現代人は、疲労しきり、過度に気難しくなっています。専門家にはなっても、手本にはなっていません。 … 幼な子のようにではなく哲学者のように、赤ん坊ではなく学者のように思われたがっています。 … 神が知恵ある者や賢い者に隠して幼な子にあらわされたというあの奥義を私たちは見逃しています。私たちはなおも、知恵や権力があって身分の高い者になろうとしています。しかし、知恵や権力があって身分の高い者で、神に選ばれた人はあまりいません。人は幼な子のようになることができるものの、実際にそうする人はあまりいません。神学者でさえ、深い真理を見逃すことがよくありますが、神の聖徒の中にいる素朴な人が、隠された教訓を受け取ってそれを適用し、天国の最善に至るまで突き進んだということが幾度あったことでしょう。—チャールズ・E・カウマン夫人 [5]

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神を知れば知るほど、私たちは臆することなく神に信頼するようになります。神学における進歩が大きければ大きいほど、私たちの信仰はもっと素朴に、もっと幼な子のようになります。—J・G・マッケン

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祈りは … 偉大なる父の心は子が受け取れる以上に与えたいと切に願っておられるという期待を込めて、子が父を呼ばわる声です。「このように、あなたがた地上の親が、自分の子供には、良い贈り物をすることを知っているとすれば、天の父はなおさら、求めて来る者に良いものを下さらないことがあろうか」。—バージニア・ブラント・バーグ

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私たちは子どものような信仰と、子どもっぽい信仰を区別すべきです。子どものような信仰は、愛情深い天の父としての神に対する、心からの信頼であって、イエスは私たちにそのような信仰を勧めておられます。しかし、子どもっぽい信仰とは、未熟で無分別な信仰であり、そのような信仰は私たちに勧められていません。逆に、パウロはこう言っています。「物の考えかたでは、子供となってはいけない。‥‥考えかたでは、おとなとなりなさい」。[6] 「単純な」信仰が、無分別で無知な信仰を意味するのなら、私たちは少しもそれをほしがるべきではありません。… クリスチャンの信仰は、無関心で頭を働かせることのない信仰ではなく、活き活きとして探究心のある信仰です。アンセルムスが言っているように、私たちの信仰は理解しようと努める信仰であるのです。—ウィリアム・レーン・クレイグ [7]

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愛する子よ、まだ知らぬ明日を恐れてはいけない
人生が新たに求めるものを怖がってはいけない
知らないことは、悲しむ理由にはならない
あなたが知らないことでも、わたしは知っているのだから

今日、あなたには隠された意味が見えない
わたしのいましめの意味が。しかし、あなたは光を得るだろう
わたしの約束に頼り、信仰によって歩みなさい
進むにつれ、すべてが明白になるだろう

あなたは一歩だけ、と言う。それなら、大胆にその一歩を進みなさい
信仰によって見るべきなのは、一歩先で十分だ
その一歩を踏めば、次にすべきことが告げられる
主は一歩一歩、あなたを導いているからだ

恐れを抱いて立ってはいけない、あなたの敵が待ち構えていても
あらゆる危険に挑み、不従順を犯してはいけない
あらゆる障害に囲まれても、進み行きなさい
強い神であるわたしがあなたの道を開くから

だから、あなたに任された任務を喜んで行いなさい
わたしの約束があれば、あなたの知るべきことは
これから先、いつでも、あなたのすべての旅路において
わたしが先を行くということ
フランク・J・ エクスレイ

2013年5月アンカーに掲載。朗読:ベサニー・ケリー。
音楽:マイケル・ドーリー。


1 Hearing from Heaven (Aurora Production, 2010).

2 Otterbein Teacher—Encyclopedia of Illustrations, #3352.

3 ヨハネ 1:12.

4 Enjoying Where You Are on the Way to Where You Are Going (FaithWords, 2002).

5 Streams in the Desert, Volume 2 (Zondervan, 1977).

6 1 コリント 14:20

7 http://www.reasonablefaith.org/in-intellectual-neutral#ixzz2IN6sfr9t.

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