アンディー計画

5月 8, 2013

Project Andy
May 8, 2013

アナ・テレサ・コルツ

母国とその伝統的な社会から抜け出して、私は自ら、美と深みに満ちた美しいパラダイスに身をうずめました。それは地中海沿岸にあり、私はそこで4年間、クリスチャンのボランティアセンターでの活動に没頭したのです。それは私の人生の重大基点で、色々な経験や奇跡が混じり合って私を造りかえた時期でした。けれども、特に一つ、私を変えた経験があります。それはある若い男性の話で、ここでは彼をアンディーと呼ぶことにしましょう。

すべては、何もかもが色づく春に始まりました。駐車場には試合をしている子どもたちの笑い声がこだましていました。バスケットのリングにボールがぶつかり、私たちの会話が一瞬途切れました。

「7人しかいないから、もっとプレーヤーが必要だ」と父が言いました。私たちは互いにボールをパスし合いながら、どうしようかと話し合いました。

そこに、「ねえ、一緒にやってもいい?」と、地元の大学生数人が片言の英語で話しかけてきました。

「もちろん!」 というわけで、試合が始まりました。2時間後には汗だくになっていましたが、それと見合うだけの勝利も獲得しました。

父は「いいプレーだった」と言って相手チームのメンバーと握手しました。素晴らしい笑顔をした背の高いメンバーが、「ハイスクールのチームにいたんです。バスケが大好きで。でも、腕を折って、しばらくバスケはやめていました。」

二人は30分ほど話して電話番号を交換し合い、その後別れました。

男子たちはそれから時々都合の良い午後に会って、駐車場でバスケットボールをするようになりました。ある日、父がアンディーを私たちのボランティアセンターに連れてきました。私たちはよく来客や支援者たちをお茶に呼んでもてなし、政治や哲学などの会話をしたものです。それがそこの習慣で、そのやり方にならっていました。その日、1時間か2時間するとアンディーは家に帰る時間になり、私たちはまた、それぞれの予定に戻るはずでした。

ところが、アンディーはなかなか帰りません。時間が経つにつれ、居心地がよくなったようです。何かにつけていつまでもケラケラと笑い続けるのです。それに、彼は話すのもやめられないようです。話題はおもに女の子のことや、自分の男らしさについてです。無礼にならないようにお別れを告げることを何度か試み、忙しいことをほのめかしさえしたけれど、それでも話し続けるのです。ついに彼が帰った時にはもう夜になっていました。その時までには耳鳴りがしていました。私は、そのずっと前に自分はうまく場をすり抜けて私に下手なもてなし役を任せた父の所に行きました。

「親友が一人もいない可哀想な子じゃないか」。父はしょうがないじゃないかという風に肩をすくめました。

アンディーは翌日も来ました。そして次の日も。また、その次の日も。何度か彼と聖書の言葉を読もうとしたり、意味ある話題に会話を向けようとしたり、人生についての質問をしたりしました。でも、彼は一分ごとに立って伸びをしたがったり、意味なく笑ったりするのです。

それで、数人で集まってその状況について話し合いました。私たちはアンディーのことは歓迎したいし、できれば神について教えたいと思っていました。でも、実際、がんばろうとはしたものの、私たちの忍耐はなくなりかけていました。アンディーはマナーも悪いし、軽薄だし、私たちのミッションにも興味がありません。誰も口に出したがりませんでしたが、「これは時間の無駄ではないのか」という疑問がありました。私たちは彼をもてなすことに疲れ、彼に望みなしのケースというレッテルを貼ろうとしていたのです。その時は、神には何か別の計画があるかもしれないという考えは浮かびませんでした。もしかしたらアンディーと出会ったのは、私たちに何かを教えるためではないのかとは。

私たちは毎日の生活にアンディーを交え始めました。体が不自由な人たちや親のいない子どもたちのセンターに寄贈品を配りに行ったり、市の祭日に披露する音楽ショーやエンターテイメントなどのプロジェクトやイベントに連れて行ったのです。おそらく夏休みに何もすることがなかったからなのか、あるいは単なる好奇心ゆえなのか、アンディーは私たちについてきました。

ある日、子どもの病院で毎週行っているアートセラピーに彼を連れて行きました。いつものように塗り絵の本や風船やギターを腕いっぱいに抱え、ほほえみながら病室から病室へと回りました。

廊下の一番向こう端で、私たちは医療器具につながれたベッドが2台ある、薄暗い病室に入りました。すると、ドアの所でアンディーが急に立ち止まって私の腕をつかむのです。

「どうしたの?」

するとアンディーはそわそわした様子で一人の患者を見て、小声で言いました。「あの女の子‥‥」 その子は包帯をぐるぐる巻かれて、古く色褪せた人形を抱いていました。目はうつろに天井をながめています。彼女の体は白血病に蝕まれていて、長くても10才までしか生きられないのでした。

アンディーは聞こえないぐらいの小声で、「夕べ、あの女の子を夢で見たんだ。このすべてを夢で見た」と言いました。

その女の子はまるで合図があったかのように私たちの方を見ました。そして、アンディーをまっすぐ指差したのです。「そこの人! こっちに来て!」 アンディーの顔から血の気が引きました。女の子は落ち着いた声で、確信を込めて言いました。「あなたのこと、知ってるわ。私たち、夢で会ったもの」。

アンディーは体を震わせながら女の子のベッドのはじに腰掛けました。二人は話し始め、夢の内容を告げ合い、すぐに会話に夢中になって、まるで親友同士のように笑ったり言葉を交わしたりしていました。

病院を出る時間になると、アンディーの目は涙でうるんでいました。私たちが次々と投げかける質問に答えることはおろか、階段を下りるのもやっとだったのです。彼は、じっくり考える必要があるので、もう家に帰る、と言いました。

秋が近付いたある午後、アンディーがひょっこり顔を出しました。彼とはしばらく会っていなかったし、連絡もなかったので、これは思いがけない訪問でした。

私たちは皆でリビングルームに腰掛けました。アンディーはいつになく静かでした。少し様子が変です。彼の体の中にもっと大人の誰かが入り込んだかのようでした。彼は、ものの感じ方がいかに変わったかを私たちに話し始めました。病院でのあの日以来、彼は何度も夢でイエスと会話をしたそうです。そして、私たちのことをどれだけ愛していて、私たちの友情と絆をどれだけ大切に思っているか、私たちがいかに彼に愛というものを示したか、神の愛についていかに学びたいかを語りました。

私は涙を隠すために顔を背けずにいられませんでした。まるで自分が詐欺師のように思えました。私の愛の手本はとてもお粗末だったし、私の信仰は作り物のようだったのですから。いつか祈っている時に、主が私に、アンディーは変わるという希望を持ち続けるように、そしてアンディーは主にとって大切であると、心に強く語りかけたのを覚えています。けれども、私たち人間の希望は気まぐれで、愛は条件付きなのですね。自分のことでさえ自信を持てないのに、どうして人の可能性を見ることなどできるのでしょう。

その日から物事は変わりました。アンディーはただイエスと歩んだだけでなく、彼は主の一部を手に取り、自分の新しい旅路の足跡にそれをまき散らしています。彼のまなざしには否定できない輝きが生まれ、そのきらめきはそれから何年も燃え続け、ますます明るくなるばかりでした。

それから6年後の今、アンディーは私たちのボランティアグループに欠かせない、活発なメンバーとなっています。私に言わせれば、最も献身的なメンバーの一人です。彼は他の大学生たちの意欲をかき立て、活気を与える役割を果たし、出会う人皆に神の愛と目的を分け合っています。また、最初は本当に片言の英語しか話せませんでしたが、ほんの1年3ヶ月でほぼ流暢に話せるようになりました。最近では昔のアンディーと新しいアンディーが同じ人物だとはわからないほどです。その二人は別人なのです。

私たちは親友同士になりました。私はもう地中海地方には住んでいませんが、そこに行くたびにアンディーに会っています。すると、まるで神がウィンクしておられるように感じるのです。そして私は、空が真っ青に広がり、春の鳥があたりの空気に魔法をかけていたような、駐車場でのあの日のことを、そして天国の計画は私たちの計画よりもずっと偉大であったことを思い出して、内心ほほえむのでした。

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