クリスチャンの交わり

10月 21, 2026

Christian Fellowship
September 17, 2026

ピーター・アムステルダム

オーディオ所要時間: 14:15
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交わりといえば、私たちクリスチャンの多くは、他のクリスチャンと集まって、祈りや礼拝をしたり、歌ったり、聖書を読んだり、説教を聞いたり、話したり、食べたりなど、霊的に高められ励まされる交流のことを考えます。そうした活動は、クリスチャンの交わりにおける大切な部分ではありますが、聖書には、交わりについてより広い概念が記されており、それは交わりの意味をさらに深く理解する手がかりとなります。

この世界が創造される前から、神は、父、子、聖霊という三位一体の交わりの内に存在しておられました。神は御言葉によって、ご自分は三つの異なる固有の位格をもった、一つの神性、一つの本質であることを明らかにされました。父は神であり、御子も神であり、聖霊も神なのですが、神はただ一つです。これが、キリスト教信仰の基本的信条の一つとなっています。三つの異なる位格である、父、子、聖霊が、共に相互間の愛情深い関係の内に永遠に存在しておられます。

神はアダムとエバを創造なさった時に、二人をご自分の形に似せて造られました(創世記1:27)。彼らは他との関係をもつ存在として創造され(創世記2:18)、互いとの関係以外にも、神との友愛や交流も楽しみました。しかし、彼らは、神に背いた時に自分を恥じて神から隠れ、彼らが持っていた神との交わりが絶たれてしまいました(創世記3:8–10)。そのように、アダムとエバは神に背き、その結果人類の堕落が始まったのですが、それにもかかわらず、神はイエスの生涯と死を通して、人類と神との交わりを取り戻すための道を開かれたのです。

イエスの死と復活により、神は、信じる人たちの心の中に、ご自分の永久的な住まいをお造りになることによって、人類が得ることのできる交わりの性質を変えられました。イエスは弟子たちに、こう教えられたのです。「もしだれでもわたしを愛するならば、わたしの言葉を守るであろう。そして、わたしの父はその人を愛し、また、わたしたちはその人のところに行って、その人と一緒に住むであろう」(ヨハネ14:23)。神との交わりは今、イエスとの個人的な関係を中心としたものになりました。「わたしはわたしの父におり、あなたがたはわたしにおり、また、わたしがあなたがたにおることが、わかるであろう。わたしのいましめを心にいだいてこれを守る者は、わたしを愛する者である。わたしを愛する者は、わたしの父に愛されるであろう。わたしもその人を愛し、その人にわたし自身をあらわすであろう」(ヨハネ14:20–21)。

神との個人的な関係

クリスチャンの交わりで最も大切な側面とは、御子イエスを通しての、神との個人的なつながりであり、交わりです。使徒ヨハネは、こう書きました。「わたしたちが見たもの、聞いたものを、あなたがたにも告げ知らせる。それは、あなたがたも、わたしたちの交わりにあずかるようになるためである。わたしたちの交わりとは、父ならびに御子イエス・キリストとの交わりのことである」(1ヨハネ1:3)。

私たち信者が持つことのできる神との交わりは、いずれ、神がご自分の民の中に宿られるという新しい段階に移っていきます。

「また、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意をととのえて、神のもとを出て、天から下って来るのを見た。また、御座から大きな声が叫ぶのを聞いた、『見よ、神の幕屋が人と共にあり、神が人と共に住み、人は神の民となり、神自ら人と共にいまして、…』」(黙示録21:2–3)。

クリスチャンの交わりは、信者一人ひとりが神との関係や交わりを持つことによって可能になります。それが、クリスチャン間の交わりの土台なのです。まず、神は、イエスが私たちのために犠牲を払い、死んでくださったことを通して、私たちとの交わりを回復させてくださいます。そして、私たちが御言葉に沿った生き方をする時に、他の信者たちとの交わりが可能になるのです。ヨハネがこう書いている通りです。「しかし、神が光の中にいますように、わたしたちも光の中を歩くならば、わたしたちは互に交わりをもち、…」(1ヨハネ1:7)。

信者仲間と共に、信仰にあずかる

神との交わり以外にも、交わりのもう一つの側面があり、それは様々な方法で私たちの信仰にあずかることです。使徒パウロは、信者たちが互いに持つ関係を、幾つかのギリシャ語で表していますが、それらはすべて、共にあずかるという概念を表しています。彼が主に使ったのは、「コイノニア」とその派生語群です。これらの言葉は、誰かと何かを共有していることを表し、[英語の]新約聖書の様々な箇所で、communion(交わり)、fellowship(交わり)、close relationship(親しい関係)、participation(あずかる)などと訳されています。新約聖書でこれらの言葉が強調しているのは、現在一般に使われている「誰かと」あずかっているというよりも、むしろ「何かに」あずかっているということです。

聖書での使われ方を見てみると、コイノニア関連の言葉は、通常、「分かち合う」という意味で使われています。この「分かち合う」という概念が、以下に挙げるような数多くの聖句で、神の御仕事や祝福、さらには苦難においても、仲間となる、共にあずかる、共有するなどと表現されています。「あなたがたは … 苦しい大きな戦いによく耐え … このようなめに会った人々の仲間にされたこともあった」(ヘブル10:32–33)。「福音のために、わたしはどんな事でもする。わたしも共に福音にあずかるためである」(1コリント9:23)。

これらの聖句や他の聖句から分かるように、広い意味での交わりは、祝福、試練と患難、慰め、恵みといった、福音の様々な側面にあずかることと関係しています。それはまた、神が与えてくださった真理を通して、共に神の性質にあずかることであり、それは使徒パウロが書簡の中でこう書いているとおりです。「いのちと信心とにかかわるすべてのことは、主イエスの神聖な力によって、わたしたちに与えられている。それは、ご自身の栄光と徳とによって、わたしたちを召されたかたを知る知識によるのである。また、それらのものによって、尊く、大いなる約束が、わたしたちに与えられている。それは、あなたがたが、世にある欲のために滅びることを免れ、神の性質にあずかる者となるためである」(2ペテロ1:3–4)。

交わりには、他のクリスチャンと共に集うことだけでなく、共に福音にあずかり、何らかの形でキリスト教伝道に携わることも含まれます。つまり、すべての人に良き知らせを伝え、人々をキリストによる救いへと導き、弟子を作るという大宣教命令を、神や他の人々と共に遂行していくことです(マタイ28:18–20)。

使徒パウロはまた、コイノニアという言葉を、クリスチャン間にあるべき団結ときずなを表すために用いました。異邦人(非ユダヤ人)がクリスチャンになるには、まず割礼の者となるべきかどうかという、エルサレムで起こった議論について、パウロは、イエスの兄弟であるヤコブや、使徒のペテロとヨハネが、パウロとバルナバに「交わりの手」を差し伸べたと言いました(ガラテヤ2:9)。これは、エルサレムにいた使徒たちはユダヤ人への宣教を続ける一方で、パウロの宣教はそれとは異なり、異邦人への宣教であるものの、彼らは引き続き同じ信仰を持つ兄弟として団結していることを意味します。これは、たとえ異なる宣教活動に携わっていたり、キリスト教信仰の根幹に関わるわけではないような教理について異なる神学的見解を持っていたりしても、あらゆる宗派のクリスチャンが団結と交わりを保つことの重要性を示しています。

ギリシャ語原文での全般的な使い方を考慮に入れると、クリスチャンの交わりは、「信仰体系全体にあずかること」と言えます。それには、神と他のクリスチャンとの交流、また、大宣教命令を実践し、私たちの周りの世界や現代文化に対する塩となり、光となるための共同の取り組みが含まれます。

もちろん、他のクリスチャンと集うことは交わりの大切な一部ですが、交わりには、単にクリスチャン同士で親睦を深めること以上の意味があります。霊的交わりには、他のクリスチャンたちと集って、心を分かち合い、信仰を強め、神のために人生を生きるよう励まし、弟子としての生き方に関する問題や解決策について話し合い、互いに祈り合い、兄弟姉妹から神の御旨に沿った助言を求めることが含まれます。また、それには、聖句を読むことや、賛美、祈り、聖餐にあずかることも含まれます。そのような交わりは、大勢のクリスチャンが集まることによっても、ただ二人または三人が主の御名によって集まることによっても、生まれるものです(マタイ18:20)。

ドナルド・ホィットニーはこのように書いています。「どのような社会的な場で交わりが行われるにせよ、それは言葉と行いの両方でキリストの命を分かち合うことが含まれているべきです。私たちは、共に集う時にキリストに倣って生きることで、互いのクリスチャンとしての生き方を励まします。霊的な事柄についてキリストがされるように話す時、私たちは互いに信心深く生きるようにと促し合っているのです。」[1]

他のクリスチャンとの交わりを持つには、時間を作って集まり、信仰生活や主との歩み、礼拝、祈りの生活に共にあずかり、キリストにあって互いを励まし合うことが必要です。ヘブル書の著者も、このように書いています。「愛と善行とを励むように互に努め、ある人たちがいつもしているように、集会をやめることはしないで互に励まし、…」(ヘブル10:24–25)。

交わりは、神との親しい関係を育むことから始まります。その後、祝福を他の人々と分かち合い、信者仲間と協力し合い、集い合うといった、信仰生活の様々な側面に共にあずかっていくのです。これらを実施するなら、私たちは、初代教会の信徒らが持っていた親密なつながりと一体感を表すのに用いられていた言葉のイメージに倣って、自分たちの交わりを形成することになります。つまり、彼らは、「聖徒たちと同じ国籍の者であり、神の家族」(エペソ2:19)、また、「信仰の家族」(ガラテヤ6:10 新改訳2017)と呼ばれていたのです。神の家族の身分を授けられたものとして(ガラテヤ4:4–6)、彼らは愛と優しさ、あわれみ、謙虚さをもって振る舞うことが求められていました。

「そこで、あなたがたに、キリストによる勧め、愛の励まし、御霊の交わり、熱愛とあわれみとが、いくらかでもあるなら、どうか同じ思いとなり、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、一つ思いになって、わたしの喜びを満たしてほしい。何事も党派心や虚栄からするのでなく、へりくだった心をもって互に人を自分よりすぐれた者としなさい。おのおの、自分のことばかりでなく、他人のことも考えなさい」(ピリピ2:1–4)。

私たちが神や他の人たちと持つ交わりは、信仰に生きることや、私たち個人そして他の人たちの人生において実を結ぶ上での、大切な部分です。キリストの体の肢体(一員)として、主が光の中にいますように、私たちも光の中を歩むよう励むべきです。そうすれば、私たちは互いにより豊かで深い交わりを持つことができるようになるでしょう。

初版は2014年6月 2026年9月に改訂・再版 朗読:ジョン・ローレンス


1 Donald S. Whitney, Spiritual Disciplines for the Christian Life (Colorado Springs: Navpress, 1991), 241.

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