8月 19, 2026
「天から雨が降り、雪が落ちてまた帰らず、地を潤して物を生えさせ、芽を出させて、種まく者に種を与え、食べる者にかてを与える。このように、わが口から出る言葉も、むなしくわたしに帰らない。わたしの喜ぶところのことをなし、わたしが命じ送った事を果す」(イザヤ 55:10–11)。
私は、二つの大きな湖とたくさんの森に囲まれた、田舎の小さな村で育ちました。森は私たちの遊び場で、子どもの頃はほとんどの時間をそこで過ごしていました。よくモミの木の枝で小さな小屋を作り、カウボーイやインディアンごっこをして遊んだものです。夏になると、みんなでどちらかの湖に集まり、ひんやりと気持ちのよい湖水で泳いだり遊んだりしました。自然は私の生活の一部であり、そこで私はたくさんの美しさと自由を知り、体験したのです。
大人になってからも、傘を差して雨の中を歩くのがとても好きでしたし、冬が来れば、柔らかな雪が顔に舞い降りる感触が大好きでした。季節の移り変わりも、それぞれの季節がもたらす天候の変化も、楽しんでいました。何か特別なものに包まれているように感じ、そのすべての中に身を置いて、自然の美しさと力を味わいたいと思っていたのです。
昨年は、秋の終わり頃に、あっという間に冬がやって来ました。辺りは何もかも灰色で暗く沈んでいました。そんなある日、雪が降り始め、私の中にいる小さな子どもが、コートを着て外へ飛び出し、美しく舞い降りる雪を楽しみたいという衝動に駆られたのです。
もう夕方で、辺りは暗くなり始めていましたが、地面を覆う白い雪と、空を舞う美しい雪のおかげで、すべてが明るく見えました。外にいるのが本当に気持ちよく、なんて素敵なひとときだろうと思いました。もう少し先まで歩いてみることにしました。その頃には、私のブーツも、歩いている道も雪に覆われていました。まるで本物の冬のワンダーランドにいるような気分でした。しばらくすると風が吹き始め、ふんわりとした雪が吹雪へと変わりました。そろそろ家に帰る時間です。
私は早く帰りたくて、少し足を速めました。吹雪はますます激しくなり、雪が目に吹きつけてきます。そんな中、道の向こうから誰かがこちらへやって来るのが見えました。若い男性で、ショートパンツにレギンス、薄手のジャケットという格好です。彼はジョギングをしながら、楽しそうに電話で話していました。吹雪などまるで気にならない様子です! このおかしな出会いに、私は思わず微笑みました。彼とすれ違ったことで、あとひと踏ん張りする元気が湧き、冬の散歩の最後のひとときを楽しむことができました。無事に家に着き、雪を払い落とすと、暖かな家に戻れたことが本当にありがたく感じられました。
自然や季節の移ろいを振り返ってみると、私はそのすべてを楽しんでいると言えます。太陽の光も雨も、寒さも雪も、それらすべてが、私たちの生活や自然に、実に豊かな美しさをもたらしてくれることを、心から歓迎しています。強風や吹雪でさえ、それぞれの役割と目的を果たしているのです。聖書にもこうあります。「天が下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある」(伝道の書3:1)。もちろん、嵐がやみ、再び太陽が顔を出して大地を暖めてくれる時には、心からありがたく思います。
私の人生も、変化の連続でした。時にはつらいこともありましたが、一つ一つの変化は、最終的には良い結果へとつながっていきました。当初はそうは思えないこともありましたが、最後には、悪いように見えたものからも良い結果がもたらされたのです。神の言葉にもこうあります。「神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている」(ローマ8:28)。
私が言っているのは、自分自身が経験した病気や体調不良、子どもが遭った大きな事故、人間関係の難しさ、新しい土地に移って一から生活を始めたこと、大家族を育てる喜びと苦労、そして成長した子どもたちが家を出てそれぞれの人生を歩み始めた時に流した涙などです。私は、変化を通してこそ成長できるのだと学びつつあります。人生の段階を一つずつ進み、それぞれの季節の中で新しい何かを見いだし、そこから次のステップへと踏み出すための備えをしていくのです。
自然のさまざまな変化は、人生に訪れる出来事を受け入れるための準備を整えてくれたのだと思います。私は、たとえつらい時でも人生に感謝し、「ありがとう」と言うことを学びました。今では、すべてを御手の内に置いておられる、愛する父なる神がおられることがはっきりと分かります。神はすべてを見ておられ、理解し、どんな状況においても私たちにとって何が最善なのかをご存じなのです。
周りのすべてが変わっていくからこそ、私は学び、成長し、前へ進むことを選べます。昨日はもう過ぎ去ったのですから、そこにとどまったり、もしこうしていたなら、などと後悔したりする必要はありません。過ちから学んだことを糧とし、その先にあるものを楽しみにすることができます。私は、自分が犯した過去の過ちを責め続けるのではなく、自分自身と人を許し、流れに身を任せつつ、その先に訪れる良いことを楽しみにすることを学びました。年齢を重ねた今、私は変化を受け入れ、それが最善の結果をもたらすと信頼するようになっています。なぜなら、神を愛する人々にとっては、すべてのことが最終的には共に働いて益となるからです。
私たちの生活、体、人間関係、そして私たちの身の回りに起こる変化は、その先に何が待っているのか分からないため、恐れや不安を感じさせることがあります。夫も私も年齢を重ねている今、そのことを私自身の生活の中ではっきりと感じています。体のあちこちが痛むことも多くなり、以前ほどのエネルギーはなく、もっと休息を取り、ゆっくり過ごす時間も必要になりました。それでも私たちは二人とも、人生に与えられている数多くの祝福を思い起こし、愛する子どもたちや孫たち、そして友人たちといった、本当に大切なものに目を向けることを学んでいます。皆、かけがえのない、とても大切な存在です。
感謝の心を持ち、さらには期待を抱きながら変化に向き合うことで、私たちは二人とも、一日一日を楽しみに迎えられるようになりました。困難や「強風」に直面する時は、必要な助けを求めて、真実な父なる神に目を向けることを思い出させてくれます。また時には神が誰かを送ってくださり、その人が励ましとなって、もうひと頑張りする力を与えてくれることもあります。そして私たちもまた、助けを必要としている誰かの励ましとなることができるのです。父なる神から目を離さずにいれば、そこから必ず良いものが生まれます。なんという安心であり、祝福でしょう!
私は、人生にも自然にも、次にどんな変化が訪れるのかを楽しみにしています。そして、もし嵐に遭うことがあっても、それには良い目的があり、私をさらに強く成長させてくれるのだということを覚えていたいと思います。私はいつも愛され、神の御手の中で守られています。それを知っているというのは、なんと素晴らしいことでしょう!
「変化は恐れるべきものではありません。むしろ歓迎すべきものです。なぜなら、変化がなければ、この世の何ものも、成長することも花開くこともなく、誰一人として、本来なるべき自分へと前進することもできないからです。」—B・K・S・アイアンガー
「人生とは変化です。時にはつらく、時には美しい。でも多くの場合、その両方が混在しています。」—クリスティン・クルック
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