8月 11, 2026
私は大学の寮で使う物を探しに、リサイクルショップへ行っていました。レジ係の女性は、ものすごく不機嫌で、これまで見たこともないほど怒っているように見えました。私の前には6人並んでいて、1人進むたびに、彼女はいっそういら立っているようでした。
そのうえ、私が買う商品に値札が付いていなくて価格確認になったため、彼女の怒りはついに限界に達し、その矛先は私に向けられました。
ところが、彼女がレジを打っている間、私の心に小さなささやきを感じたのです。魂の静かな促しでした。
私はイエス様と交渉しようとしました。財布の奥には少しのお金がありますが、それはこの人にあげるお金ではないはずです。もっと優しくて親切な人、少なくとも感謝してくれそうな人に渡すべきではないですか? こんなに意地悪で怒っている人ではなく・・。
けれども、神はその思いを変えさせてはくださいませんでした。その小さな促しも消えませんでした。…
それで、私は会計を済ませ、しぶしぶ財布の奥からそのお金を取り出しました。そしてレシートを受け取る時に、そっと彼女へ手渡したのです。
彼女は、その思いがけない行為に驚いていました。
片手で折りたたまれたお札を握りしめると、彼女は一瞬動きを止めました。そしてもう一方の手でマスクを少し下ろし、さっきまでの大きく厳しい声とは違う、かすかな声で一言だけ尋ねました。「どうして?」 私は短く答えました。「心の促しよ。」
また少し沈黙が流れました。何かをかみしめるような静かな時間でした。すると彼女は私の手を握り、今度は私のほうが驚かされました。「今日は私の75歳の誕生日なの。でも誰からも連絡がないのよ。姉妹からも、子どもたちからも、この店の誰からも、誰一人ね。こんなに悲しい誕生日は覚えがないわ。誰も私の誕生日を覚えていてくれなかった。」
その時、私はまたあの小さな促しを感じました。そして古びた倉庫の天井にある、ジーッという音を立てながら点滅する壊れかけの照明を見上げました。まるで、雲の上の存在のイエス様を、一生懸命見上げれば見つかるかもしれないかのように。照明がちらちらと瞬きました。私は言いました。「誰かは覚えていてくださったんですよ。」 イエス様が見えたわけではありませんが、あの小さな心の促しが、主は彼女を見られたのだと告げたのです。
彼女は涙をこらえながら下唇をかみました。そして私は、彼女があごの下に下ろした顔と心を隠していたマスクの下に、深い傷と優しさが隠されていることに気づきました。
私たちは皆、マスク、あるいは仮面をつけて生きているのではないでしょうか。
今日が誕生日だという話は私の隣にいた人たちにも伝わり、さらに二人のお客さんも会話に加わりました。言葉は安っぽく足りないように感じることがあります。けれども、今日はそうではありませんでした。店内には、小さな「ハッピーバースデー」の歌が広がりました。彼女はそこに立ち尽くし、胸に手を当てて歌詞を一言一言受け止めていました。その言葉は彼女の心に届きました。怒りは消え去り、希望が生まれました。あの心の促しは、目に見えるものとなったのです。
私たちは、人がどんな苦しみや葛藤を抱えているのか、知るよしもありません。物事は、見た目どおりとは限らないのです。
私たちは何もかもが逆さまの世界に生きています。憎しみに憎しみで応えたくなったり、やり返したくなったり、人を遠ざけたくなったりします。… でも、それよりも良い道があります。
私は今日、必要なのは寮で使う物だと思っていました。でも本当に必要だったのは、何が大切なのかを思い出すことだったのです。もしかしたら、あなたもそうなのでしょうか。
急いで批判することなく、神にはすぐに従いましょう。聖霊が導いてくださると信頼しましょう。
愛に導かれた人の心は、決してあなたを誤った道へ導くことはありません。—作者不詳 [1]
ヨハネ3章16節は、「イエスが愛されたように愛する」とはどういうことかを教えています。「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった」のです。神からの愛は、犠牲的に与える愛です。イエスのように愛するとは、持っているもの全てを握る手をゆるめるということです。人の役に立つなら、お金も、時間も、持ち物も、惜しまず与えるということです。 … 兄弟姉妹が困っていて、自分に助けられるものがあるなら、それを分かち合うようにと聖書は教えています(ヤコブ2:15–17; 1ヨハネ3:16–17)。
イエスは、分け隔てなく人々を愛されました。… 富める人も貧しい人も、若い人も年配の人も、宗教家も異邦人も、皆イエスのもとへ集まりました。それは、イエスが彼らを愛しておられたからです(マルコ10:1; マタイ9:35–36; ルカ18:18)。
イエスのように愛するとは、人によって接し方を変えないということでもあります。… 私たちは、すべての人は神のかたちに造られた尊い存在であることを覚え、一人一人を尊厳と敬意をもって扱わなければなりません(1ヨハネ2:9–10; 4:20–21)。私たちは、人種的偏見や社会的地位による差別意識、宗教的優越感を心から取り除くよう努めるべきです。そのようなものはどれも、イエスのように愛したいと願う者の人生にはふさわしくありません。—GotQuestions.org [2]
あなたがあまり好意を感じない人や、愛されるに値しないと思うような人にも愛と思いやりを示す時、あなたは人間的な愛を超えた、わたしの愛をその人に与えている。実際、そうする時のほうが、親しい人に愛を示す時よりも、わたしの愛がもっと現れているのだ。それは偽善でも見せかけでもない。逆に、「自分を愛するようにあなたの隣り人を愛しなさい」というわたしの戒めを実践している。あなたはわたしの言葉に従い、わたしの愛によって善を行っているのだ。
たとえ誰かを特に好きになれなくても、そのことが、わたしの愛でその人を愛する妨げになってはいけない。わたしにとって、悪すぎる人は一人もいない。また、わたしの愛が届かない人もいない。そして、あなたにもそのことを人々へ伝えてほしいのだ。たとえあなた自身はそう感じなくても、わたしはその人を愛している。あなたが愛と思いやりを示す時、あなたはわたしの愛をその人に届けているのだ。
分け隔てなく愛ある親切を示す時、あなたはわたしの愛を表している。わたしは、あなたが愛と思いやりを示した相手を祝福するだけでなく、あなた自身も祝福する。自分の気持ちに関わらず、わたしの愛を与え続けるなら、あなたはわたしの愛を運ぶ使者となり、わたしの意思を行っているのだ。—イエス
「正しいことをし続けなさい!持っているものを他の人と分かち合いなさい。このような犠牲は神を本当に喜ばすからだ」(ヘブル13:16 ERV訳)。
この節の真ん中にある言葉に注目してください。
「持っているものを他の人と分かち合いなさい。」
神が与えてくださったものを喜んで分かち合って生きる時、私たちは神がどれほどそれを喜ばれるかを知ることができます。「このような犠牲は神を本当に喜ばすからだ。」
私たちの周りには、励ましを必要としている人が大勢います。あなたには、その人の心を元気づけるために何ができるでしょうか。優しい言葉をかけることかもしれません。ささやかな食事を分かち合うことかもしれません。耳を傾けて話を聞いてあげることや、信仰をもって祈ることかもしれません。物であれ心であれ、自分が持っているものを惜しみなく、喜んで分かち合う人になると心に決めましょう。
時間であれ物であれ金銭的なものであれ、たとえそれが小さな犠牲であっても、主はそれを喜んでくださいます。今週、キリストが豊かに与えてくださった恵みの一部を、喜んで誰かに分け与え、祝福する者となりましょう。—カレン・エーマン [3]
2026年5月アンカーに掲載 朗読:ガブリエル・ガルシア・バルディビエソ 音楽:マイケル・フォガティ
1 “Soul Nudges and Heart Tingles,” The Everyday Good, August 12, 2022, https://www.theeverydaygood.com/post/soul-nudges-and-heart-tingles
2 “What does it mean to love like Jesus?”GotQuestions.org, https://www.gotquestions.org/love-like-Jesus.html
3 Karen Ehman, “Share Your Stuff; Serve the Lord,” Proverbs 31, October 12, 2020, https://proverbs31.org/read/devotions/full-post/2020/10/12/share-your-stuff-serve-the-lord
Copyright © 2026 The Family International