6月 20, 2026
少し前にある人が、他の人たちを助けるためにチームで行っている活動を遂行する上で直面した、かなりトラウマになりそうな体験について話してくれました。私はそれを聞いて、イエスに従う私たちの人生において、忍耐がいかに重要であるかを考えさせられました。
私たちは、主が示してくださることに対して信仰を持たなければなりません。主が送ってくださる所に行き、主が私たちにとどまることを望んでいる場所にとどまっているには、主に従う忍耐が必要です。主に道を導いていただくには、信頼を要します。人生にどんな困難が訪れようとも、そういった時こそ、忍耐の訓練場であることが多いのです。なぜなら、イエスが言われたように、「小事に忠実な人は、大事にも忠実である」からです(ルカ16:10)。
この人生においてどんな未来が待ち構えているのかを知っている人は、一人もいませんが、どんな形で聞こえてくるものであれ、主の声に従い、信仰を持って忍耐し続ける必要があります。私だったら耐えられるかどうか分からないような、忍耐力や信仰が極限まで試される状況に直面しても、それに耐え続けている人がいます。しかし、どんな困難に直面したとしても、解決策は同じなのです。イエスに目を向け、御心を求め、何であれイエスが示してくださることを忠実に実行することです。
イエスは、私たちがイエスにしがみつくなら、忍耐するために必要なものを与えると約束されています。冒頭で紹介した人のように、私たちの多くが想像もできないようなトラウマや苦痛、苦悩に直面している人たちを救い、ケアしながら、かなり悲惨な状況下で活動している人がいます。そのように他の人を助ける人たちにとっても、トラウマになりかねないことがあるし、時には相手の苦悩によって心が引き裂かれることもあります。それでも、彼らは戦い続け、与え続け、たゆまず活動を続けるのです。
ある人々が耐えている計り知れない喪失感や苦悩を、他の人が完全に把握することはできません。しかし、神を愛する者が、どんなことが起こっても神にすがることができるのは、信仰から生まれる忍耐力のおかげだと、私は信じています。
どんな苦境に直面しても、必ず通用する原則があるように思えます。ですから、私がこれから挙げようとしている例は、ある人たちが直面しているはなはだしい試練に比べれば小さなことに思えるかもしれませんが、原則は同じです。違うのは、その苦境の困難さの度合いと、それを乗り越えるための忍耐力の高さです。忍耐の成長における一歩一歩が、次の戦いとその結果としての勝利に備えます。私が話していることの一例を挙げると、エドガー・ゲストの『Don’t Quit!(諦めないで)』という詩があります。この詩に表現された考え方は、私たちが直面するどんな困難にも適用できることでしょう。
物事が悪い方向に行く時(時々そうなるものだよ)
重い足取りで歩いている道が、ずっと上り坂に見える時
手持ちのお金は少なく、借金がふくらむ時
笑顔でいたいのに、ため息をついてしまう時
心配事がのしかかり、落ち込む時
必要なら休もう、でも、諦めてはならない
成功は失敗が裏返ったもの
疑いの雲の端に輝く銀色の光
どれだけ成功に近いのかは分からない
遠く見える時、実は近いのかもしれない
だから、強烈な一撃を食らっても、戦い続けなさい
そういう時にこそ、諦めてはならないのだ
ある人が、忍耐することの大切さと価値について理解するようになったという、分かりやすい話を見つけました。私たちも、神が私たちに求めておられると信じていることに、この原則を適用することができます。
ある男性が、街角でトラクト配布をしましたが、数ヶ月経っても結果が出なかったので、諦めて、ビジネスに人生を捧げることにしました。その数年後、彼は同じ街角を通りかかり、トラクトを配っている若者を見かけました。
「彼は、自分のやっていることで誰かに変化が起こると思っているんだな。そんな努力は無駄だと気づくのに、どれくらいかかるのだろう。」
興味が湧いたので、彼はその青年に話しかけてみました。「あなたのやっていることは立派だと思いますが、一つ知りたいことがあります。なぜ、この特定の場所でトラクトを配っているのですか。」
「実は、何年か前に、この場所でトラクトを配っている人がいて、私にも1枚くれたんです。すぐにではなかったのですが、ある日、それを読んでみた後、イエスを救い主として受け入れました。そして、イエスが人生を変えてくださったんです。その人がくれたトラクトを、あなたも読んでみませんか。」
彼は、その青年から、かつて自分が多くの人に配っていたトラクトを手渡されました。自分の努力が誰かの人生を変えるとは思いもせずに配っていた、あのトラクトを。
考えさせられる話です。もし、1人の人生が変えられたなら、他に何人の人がその小さなトラクトを通して主を受け入れたことでしょう。
イエスが示してくださったことをする上での忍耐は、祈りの生活、仕事やミニストリーを忠実に行うこと、誰かの世話をすること、平凡に見えたり犠牲が伴ったりする仕事、かなり諦めたくなるほどの困難にも表れます。イエスのために生きる上で忍耐を示すことは、神への無条件の信仰と信頼を宣言することです。そして、忍耐し続けることで、私たちは自分の周りの世界を変えることができ、そうやって世界を変えることができるのです。
忍耐してやり抜く上での代価について、あるメンバーと話し合っていた時、彼はある詩を引用してくれたのですが、それを通して、主が私に語りかけておられるように感じました。主には不可能がなく、私たちが忍耐を続けられるように助けることもできるということを、再認識させてくれたのです。面白いことに、この詩もまた、エドガー・ゲストの作でした。私はこの詩で励まされたので、皆さんにも紹介したいと思います。
誰かが「そんなことはできっこない」と言うと
彼は含み笑いでこう答えた
「そうかもね」、彼はそう言いつつも
自分がやってみるまで断言はしない人
かすかに笑みを浮かべて、事にあたった
心配するそぶりは見せずに
歌いながら、できっこないことに取りかかった
そして、やり遂げたのだ
嘲笑する人がいた、「ああ、絶対にできないよ
少なくとも、誰もやったことがないんだから」
でも、彼は上着を脱ぎ、帽子をとって
あっという間に、それをやり始めた
顎を上げ、わずかに笑い
疑うことも、言い訳することもなく
歌いながら、できっこないことに取りかかった
そして、やり遂げたのだ
できっこないという人は何千人もいる
失敗を予言する人は何千人もいる
あなたを待ち構える危険について
一つ一つ指摘してくる人は何千人もいる
でも、少し笑みを浮かべて、事にあたろう
上着を脱いで、やってみよう
歌いながら、できっこないことに取り掛かるんだ
そうすれば、やり遂げられるから
私が話していた人は、何年も前に、主のために進み続けることもできないような状況に直面した時、この詩に出会ったと説明してくれました。それはまさに、彼が気付かされる必要のあることだったと。彼はその詩を暗記し、それが、困難な時を忍耐して切り抜けるのを助けてくれたそうです。
イエスは、あらゆるものを用いて、私たちが人生でどんなことに遭遇しても、忍耐強く乗り越えるのを助けてくださいます。言うまでもなく、神の約束こそが、私たちが立っているべき究極の土台です。しかし、主は他にも、戦い続けることを思い出させ、そうするよう励まし、動機付けるさまざまなものを使われるのです。
主が私たちに求めておられることを忍耐強く行えるようにしてくれる重要な心の持ち方の1つが感謝です。非常に困難な状況下では、感謝の力を見失いがちになります。しかし、実際のところ、もし神がこれ以上賜物や祝福を与えてくださらなかったとしても、私たちは神にお返ししようとしてもできないほどに恩を感じていることでしょう。それが、純然たる事実です。
たとえ今、私たちがどんなことに直面しているのであれ、忍耐して神に従うべき理由は数え切れないほどあります。私たちには、どんな時にも愛情深い腕の中に私たちを留めておくことを喜ばれる、完璧な神がおられます。私たちが最も必要とするものを与えてくださるし、その赦しとあわれみは、とこしえからとこしえに続きます。
現在の状況は希望がなく、絶望的に見えるかもしれませんが、それでも事実が変わることはありません。疑いそうになったら、その誘惑と戦わなければならないのですが、そのような時には、信仰と忍耐の助けによって、諦めないで頑張ることができます。
忍耐の力については、聖書にある数多くの話を始め、さまざまな証言や物語、本、映画などに、良い例が見られます。多くの場合、そこに描かれているのは、状況や不正によってもたらされた、敗北が確定しているような、どうしようもないほどの難局です。そのように劇的な状況においては、神の人、あるいはヒーローやヒロインが、状況に圧倒され、煙や混乱、廃墟などに姿を消していきます。
すると、私たちにはすべてが失われたように見え、心が沈んで絶望しそうになります。なぜなら、そのような事態を切り抜けられる人がいるのか、想像もつかないからです。しかし、煙と廃墟の中から、垣間見えるものがあります。希望の光が見え始めるのです。そして、もくもくと立ち上がる煙の中から、ボロボロで血だらけになった勝者が現れ、絶対に諦めまいと、戦い続けるのです。
それは、忍耐力がどんなものかをよく表しています。そのような例は、多くの人を鼓舞すると思います。なぜなら、イエスが私たちの心に植えてくださった真理の種は、私たちがイエスにしがみつき、忍耐強く戦い続けるなら、私たちの内にある主の力が状況を乗り越えていくのだと気づかせてくれるからです。
人は、信仰という名の偉大で圧倒的な資質を持っていなければならない、と感じることもあるかもしれません。この「信仰とは何か」という主題については、別の記事でさらに掘り下げていこうと思いますが、要するに、神への信仰とは、ただ神があなたに対して抱いておられる愛を信じ、信頼することです。
私たちの信仰は、ここで私が定義したように、たとえ、成功していないようであっても、また、今すぐに目に見え、測定できるような進歩を遂げていないようであっても、イエスのための奉仕を忍耐強く続けるために必要なものです。たった今ここで、最後までやり遂げるべきだと主が明言されるのであれば、私たちはやり続けることができるということです。私たちは長い間(あるいは次の世まで)、忍耐によって何が成し遂げられたのか分からないかもしれません。だからこそ、聖書には、「わたしたちは、見えるものによらないで、信仰によって歩いているのである」と書かれているのです(2コリント5:7)。
戦いのさなかにある時、私たちが信仰によって進み続けるのを主は望んでおられるということを、もう二度と聞きたくないと感じることもあるでしょう。私たちは皆人間であり、進み続けるのが苦しく感じる時があるものです。時には、しばらく絶望に沈んでしまうことさえあるかもしれませんが、そのような状態に陥った時の答とは、もう一度起き上がることです。「七転び八起き」という日本のことわざのように。
初版は2023年3月 2026年6月に改訂・再版 朗読:レノア・ウェルシュ
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