6月 24, 2026
2年間、夫のブライアンと私は、自分たちの土地に水が湧くよう祈り続けていました。ただ何となく祈っていたのではありません。「あればいいな」という程度の祈りでもありませんでした。本当に必要だったのです。地質を調査し、色々な人に尋ね、助言に耳を傾けた末、ついに井戸を掘るのに最適だと思われる場所を選びました。
ところが、その後6か月もの間、工事を引き受けてくれる掘削会社を探し続けることになりました。多くの会社は「折り返し連絡します」と言いながら連絡をくれず、多くは音沙汰なしになりました。ようやく引き受けてくれる会社が見つかっても、私たちにはまだ十分な資金がないと分かると、あっさりと姿を消してしまいました。
私たちは融資を申し込みました。しかし返事は「ノー!」でした。却下されたことは予想以上に心に痛みを与えました。それでも私たちは祈り、別の町で再び申請しました。すると、ある女性が私たちにぴったり合った条件で融資が通るよう力を尽くしてくれたのです。これが第一の奇跡でした。
その後まもなく、主は私たちをある人に導いてくださり、その人が評判の良い掘削業者を紹介してくれました。そして、その業者は約束どおりに来てくれました。これが第二の奇跡でした。
1日目—感謝祭
作業員たちが掘削日として指定した日は、ちょうど感謝祭の日でした。彼らにとっては何の意味もない日でした。この国では祝日ではなく、ただの平日だったからです。しかし私にとっては、神様が個人的に、静かにうなずいてくださっているように思えました。このプロジェクトに対する神の御加護の小さな証しのように。そして、それが私に希望を与えてくれたのです。
ただ一つ問題がありました。作業員たちは、雨が降ったら作業はしないとはっきり言ったのです。しかも天気予報では、その週はずっと雨、特にその日は降水確率100%でした。
その朝、会社からここの天気を確認する電話がありました。曇りでしたが雨は降っていなかったため、彼らは3時間かけてこちらに向かうことになりました。しかし到着まであと1時間ほどというところで雨が降り始めたのです。それでも彼らは来てくれ、到着すると機材を設置し、そのまま待機しました。
私は降り続く雨を見つめながら、心が沈んでいくのを感じました。「主よ、本当に?」 私は何人かの友人に電話をし、一緒に祈ってくれるようお願いしました。特に、神様が天気を変えて雨を止めてくださるよう祈ってほしいと。
私たちは祈りました。すると雨が止んだのです。作業員たちが働いている間中、一日中天気は持ちこたえました。そして彼らが作業を終えて帰った瞬間、再び雨が降り始めたのです。これが第三の奇跡でした。
作業は2日間の予定でした。掘削そのものは1日目で終わりました。しかしがっかりしたことに、穴からはまったく水が出てきませんでした。帰り際、作業員たちは私たちを励まそうとして言いました。「希望を捨てないで。井戸は時々休ませないといけないことがあるから。24時間待ってみましょう。まだ水が出る兆候があるかもしれません。」 私たちはその言葉に望みをつなぎました。
しかし、1日目の騒音、不安、待ち時間、ずっと見守っていたこと、そして水が一滴も出ないというストレスで、私たちはすっかり疲れ果てていました。さらに悪いことに、その晩私は犬の散歩中に畑のどこかで携帯電話を失くしてしまったのです。しかもまた雨が降っていました。身分証明書も携帯と一緒だったため、事態は深刻でした。
すでに暗くなり始めていました。泥だらけの畑で携帯を見つけることなど到底無理に思えました。ブライアンも探しに出ましたが、望みなしでした。その夜、私たちは空っぽの井戸も、失くした携帯も、傷ついた心も、すべて主に委ねて祈りました。
2日目—雨、エアリフト、そして神からの問いかけ
翌朝早く、作業員たちが戻って来る前に、ブライアンと私は再び野原へ出て携帯電話と身分証明書を探しました。雨はまだ降っていました。寒く、地面はぬかるんでいました。私たちは範囲を広げるために手分けして探すことにしました。
雨に濡れ、一人で野原を歩きながら、私の心にあるすべてが祈りとして溢れ出ました。疲れ、失望、なぜ今こんな時に携帯まで失くしたのかという思い、そして井戸工事の暗い見通し、そのすべてが。
そのとき、一筋の光が差し込むように、主が私の心の暗闇を貫き、信仰を持つようになったばかりの頃に経験した最初の奇跡を思い起こさせてくださいました。当時、友人が海辺で鍵を失くしました。私は神様が本当におられるのか知りたくて、私の祈りに耳を傾けてくださるのか試すような気持ちで、おそるおそる祈りました。すると祈ったその瞬間、波が私の足元から引いていき、失くした鍵が濡れた砂浜にまっすぐ立った状態で現れたのです。しかも私のつま先から数ミリのところで、きらきらと光っていました。あり得ないことでした。それでも実際に起こったのです。
私はその決定的な奇跡を思い出して微笑みました。すると、主のはっきりとしたささやきが私の心に響きました。「ローザ、あなたの携帯電話を泥だらけの野原で見つけさせることと、井戸を水で満たすこととでは、どちらがわたしにとって簡単だと思うかね。あなたはどう思う?」
涙で目がいっぱいになりました。どう答えればよいのでしょう。私は小さい声で答えました。「主よ、どちらも同じくらい簡単です。あなたには不可能なことは何もありません。」
まさにその瞬間、遠くからブライアンの叫び声が聞こえました。携帯電話が見つかったのです。主に答えたそのときに。
その日の午後、作業員たちが戻ってきて、工事の後半に取り掛かりました。前日と同じように、彼らが到着すると雨は止みました。作業中はずっと晴れており、彼らが作業道具をまとめて帰ると、再び雨が降り始めました。
作業員たちは井戸のケーシングを設置し、井戸に水が溜まり始めているかを確認するためエアリフト作業を行いました。しかし、水はありませんでした。上がってきたのは乾いた土埃だけです。工事そのものは完璧でした。配管もすべて正しく設置されていました。それでも井戸からは水が出てこなかったのです。
私には、彼らが乾いて埃だらけの井戸の穴で作業する様子を見守っていることが耐えられませんでした。私の心は、掘削によって舞い上がる埃のように、粉々に砕かれているように感じました。私は水が出るように必死に祈っていました。そして、ここまで来るために主が数多くの奇跡を行ってくださるのを見てきました。それなのに、なぜ今になって何も起こらないのでしょうか。
私は気持ちを何とか保ちながら、取り乱さないよう必死に努めつつ、掘削作業員たちから離れたところで落ち着きなく歩き回っていました。そのとき、壊れたレコードのように頭の中で一日中繰り返されていた聖書の一節が、再び心に浮かびました。「貧しい者と乏しい者とは水を求めても、水がなく、その舌がかわいて焼けているとき、主なるわたしは彼らに答える、イスラエルの神なるわたしは彼らを捨てることがない」(イザヤ41:17)。
それでも、なお水は出ませんでした。作業員たちでさえ、何と言ってよいかわからない様子でした。彼らは道具を片付けながら励ましの言葉をかけようとしていましたが、その言葉も次第に途切れていきました。できる限りのことをすべてやり尽くしていたのです。
その夜、ブライアンと私は疲れ果てて床に就きました。ほとんど言葉も交わしませんでした。話すことがなかったからではありません。どちらも、相手の信仰を揺るがしかねない言葉を口にしたくなかったからです。私たちは、自分たちの信仰を壊さないように、まるで壊れやすい宝物を扱うかのように、慎重に、大切に守っていたのです。
3日目—ノア
3日目の朝、私はノアの物語を思いながら目を覚ましました。ただ何となく思い出したのではなく、そのことが頭から離れなかったのです。まるで誰かに揺り起こされたかのように、私ははっとして目を覚まし、ベッドの上で身を起こしました。そして、ある考えが頭の中で大きく響いていました。ノアが箱舟を完成させ、家族とすべての動物たちがその中に入った後も、雨はすぐには降らなかった、雨が降るまで7日間待ったのだ、と。しかし私は、そのような細かなことを覚えていませんでした。もしかすると、自分が希望を持ちたいあまりに勝手に作り出した考えなのではないかと思いながら、聖書でその箇所を調べてみました。すると、その通りでした。
彼らは確かに7日間待ったのでした。完成した箱舟の中での7日間。沈黙の7日間。従順に従った後の7日間の待機。ノアは120年もの歳月をかけて箱舟を建造しただけではありませんでした。すべてが終わり、もう何一つやるべきことがなくなった後でさえ、なお待たなければならなかったのです。そして雨は確かに降りました。ただ、それは彼らが期待していたタイミングではありませんでした。
山上のエリヤ
その日から、ブライアンは彼自身の静かな信仰の旅を始めました。毎朝、彼は井戸の水位を測りました。忍耐強く、忠実に、主が真実な方であることが証明されるのを待ち続けたのです。それは、山の上でエリヤがしもべを何度も遣わし、ほんのわずかな雲の兆しを探させた姿に似ていました。
4日目になると、ブライアンは勝利に満ちていました! 簡易測定器にわずかな湿り気があったのです。ほんのわずかな湿り気にすぎませんでしたが、彼にとっては、それで十分でした。彼はまるで、すでに豊かな水をたたえた井戸を手にしているかのように振る舞い、何度も私に言いました。「ほらね? 主が成し遂げてくださったんだ!」 井戸がまだ97%も空の状態だったにもかかわらず、彼は主の約束を信頼していました。彼は毎日水位を測り、ほんのわずかな増加でさえ記録し、喜び祝いました。
そしてゆっくりと、一日また一日と、水位は上昇していきました。今では、井戸は完全に満水になっています。神様は、まだ何の証拠も見えない時から現れ続けた彼の信仰を尊んでくださったのです。
その後
水は湧き出ました。突然ではなく、劇的な形でもありませんでした。誰も見ていないところで、静かに、一日また一日と水位が上がっていったのです。そしてある意味で、それこそが最も困難なことでした。なぜなら、証拠が現れる前に信仰が求められたからです。井戸が乾いたままで、作業道具は片付けられ、作業員たちにももはや励ましの言葉が残っていなかったときに。聖書の言葉が頭の中で繰り返される一方で、現実は何も変わらないように見えたときに。沈黙の重圧が心にのしかかっていたときに。
今振り返ると、当時は気づかなかったことが理解できるようになりました。神は、私たちの緊張感や苦しみを急いで取り除こうとはされませんでした。むしろ、そのただ中に私たちと共にいてくださったのです。私たちは、神の御言葉と、「もう一日だけ信じ続けよう」という決意以外に何も残っていない状況の中で、神を信頼することを学びました。
待つことは本当に辛いものでした。沈黙もまた現実でした。しかし、神がそこにおられなかったことは一度もありませんでした。
それは決して井戸だけの話ではなかったのです。
Copyright © 2026 The Family International