4月 11, 2026
私たち夫婦は、長い散歩をするのが好きです。日々の運動の一環として、外に出かけて四季折々の自然の美しさを楽しむことが、習慣となりました。散歩のときは、よく手をつなぎます。それは、私たち二人を幸せで心地よい気持ちにしてくれるのです。
私は、手の素晴らしさと、それがいかに驚くべき贈り物であるかについて考えていました。私たちは、困っている人に手を差し伸べて、助けることができます。誰かにそっと触れて、「あなたのことを愛し、気にかけています」と伝えることができます。大切な人の手を握ることで、気持ちを楽にさせ、不安を取り除くことができます。孫と歩きながら、手をつないでいるから大丈夫よ、と安心させることができます。手をつなぐことは、私たちがつながっていて一つであることを示しているのです。手には素晴らしい点がたくさんあって、私たちはそれを見出すべきだし、周りの人々の役に立つ良きことに、自分の手を用いることができます。
聖書には、イエスが、出会った人々に癒やしと慰めをもたらすために、その手を用いられたことが記されています。
「日が暮れると、いろいろな病気になやむ者をかかえている人々が、皆それをイエスのところに連れてきたので、そのひとりびとりに手を置いて、おいやしになった」(ルカ4:40)。
「『幼な子らをわたしの所に来るままにしておきなさい。止めてはならない。神の国はこのような者の国である。』 そして彼らを抱き、手をその上において祝福された」(マルコ10:14,16)。
手で思い出す美しい芸術作品に、アルブレヒト・デューラーの『祈る手』という絵画(1508年)[1] があります。また、多くの美術、音楽、創作物が、誰かの手によって生み出されてきました。彫刻、絵画、音楽、建築など、たくさんあります。その制作過程が苦痛を伴い、骨の折れるものであったにもかかわらず、素晴らしい絵画や情景が生み出されたこともあります。ミケランジェロのシスティーナ礼拝堂天井画や、レオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』もそうでした。ショパンやシューマンといった音楽家たちは、病気や手の不調のため、時にはかなり困難を抱えながらも、演奏や作曲を行いました。数々の傑作に表れているように、そういった人たちの苦しみは、美術や音楽の中に、神の愛の美しさを引き出しています。そして、忘れてはならないのは、日々その手の働きによって、建設やものづくり、農業、その他の労働に携わる人たちのことです。
著名な芸術家や、彼らに与えられた驚くべき才能を思うとき、私の思いは偉大な創造主であり、愛する父である神へと向かいます。神は芸術家であって、その愛に満ちた御手と御言葉の力とによって、万物を創造されました。散歩に出かけるとき、私たちは空や雲、太陽、木々、鳥、花など、神が造られた自然とその美しさを楽しみます。そして、私たちの周りには素晴らしい世界があることを思い起こし、神の御手によって造られたすべてのものに驚嘆します。それらは皆、私たちが楽しみ、大切に世話するために与えられたのです。
以下に挙げるのは、神の御手の働きについて語っている聖書の箇所です。
「もろもろの天は神の栄光をあらわし、大空はみ手のわざをしめす」(詩篇19:1)。
「すべての生き物の命、およびすべての人の息は彼の手のうちにある」(ヨブ12:10)。
「あなたはみ手を開いて、すべての生けるものの願いを飽かせられます」(詩篇145:16)。
私自身の人生について言えば、神が私を見守り、愛の御手で生涯を導いてくださると知っていることは、大きな慰めとなっています。これまで、病院や歯医者へ行くことや、成人した子どもと孫の将来への不安、家計の心配など、さまざまな恐れと不安に直面してきました。私を押しつぶし、落胆をもたらすほどの恐れも、多く経験しました。おそらく、あなたも同じようなことを経験したことがあるでしょう。
そのような状況において、主と御言葉にすがることは、私に慰めと平安をもたらしてくれました。そして、良いことや前向きなことに心を留めることが、困難を乗り越え、最後までやり抜くための勇気と希望を保ち続ける助けになると実感してきたのです。
私に力と平安を与えてくれる聖句を2つ紹介します。
「恐れてはならない、わたしはあなたと共にいる。驚いてはならない、わたしはあなたの神である。わたしはあなたを強くし、あなたを助け、わが勝利の右の手をもって、あなたをささえる」(イザヤ41:10)。
「そうすれば、人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るであろう」(ピリピ4:7)。
私を導いてくれる愛に満ちた御手に、自分の手と人生をゆだねることを学ぶにつれ、心には多くの喜びが、思いには多くの平安がもたらされました。私は、この地上での人生は自分一人で進む旅ではないことを知っています。むしろ、主が共にいて、私を守り、どんなときも導き、必要をすべて満たしてくださるのです。主に触れられると、慰めと癒やしが与えられます。そして、その御手は私を引き上げて支え、尽きることのない主の愛は私に大きな喜びをもたらしてくれます。なんて素晴らしい旅のパートナーなのでしょう。主は、こう約束してくださいました。「わたしは、決してあなたを離れず、あなたを捨てない。いつもあなたがたと共にいるのである」(ヘブル13:5; マタイ28:20)。
心に留めて考えてみるといい言葉をいくつか挙げます。
「宇宙の驚異について知れば知るほど、私たちは神の御手の業をより鮮明に見て取るようになる。」—フランク・ボーマン
「大小を問わず、あらゆるものの中に、神の御手の業が見られる。」—ヘレン・スタイナー・ライス
「人生を愛するのは素晴らしいことだ。人生を、神の御手からの尊い贈り物として受け入れ、思いっきり生きるよう努めなさい。」—ウィルファード・ピーターソン
ここで書いてきた物の見方や考え方が、あなたの心に響き、あなたがいつも神の御手の中で愛され守られていると確信する助けとなれば、さいわいです。
私たちは今日もまた、手をつないで散歩をしました。私の手は、夫の大きくしっかりした手の中ではとても小さく感じられます。こういった瞬間が、私にとっては幸せなことで、自分は愛され、守られているのだと実感し、感謝の気持で満たされるのです。
Copyright © 2026 The Family International