イエスの復活(パート1)

3月 26, 2026

The Resurrection of Jesus—Part 1
March 23, 2026

ピーター・アムステルダム

オーディオ所要時間: 09:02
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イエスは公生涯の間、ご自身の死と復活を何度も予告しておられます。マルコの福音書には、イエスが「人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちに捨てられ、また殺され、そして三日の後によみがえるべきことを、彼らに教えはじめ」 られたと書かれています(マルコ8:31)。イエスの言葉の意味は、現代の私たちからすれば、かなりはっきりしているように思えますが、その後の展開を見ると、弟子たちはイエスの言われたことを十分に理解していませんでした。

四福音書それぞれに、日曜の朝早くイエスの墓へ行った女性たちのことが書かれています。ルカの福音書には、その少し前に、女性たちがイエスの体が納められた墓を見に行った後に「帰って、香料と香油とを用意した。それからおきてに従って安息日を休んだ」 と書かれています(ルカ23:56)。マルコの福音書には、こうあります。「安息日が終ったので、マグダラのマリヤとヤコブの母マリヤとサロメとが、行ってイエスに塗るために、香料を買い求めた」(マルコ16:1)。安息日の終わり(土曜の日没の時点)になると店が開くので、イエスの体に塗るための香料を買うことができました。

四福音書すべてに、金曜にイエスの墓の入り口をふさぐために置かれた大きな石が、取りのけられたことが書かれています。また、マタイの福音書には、他には含まれていない詳細が記されています。

すると、大きな地震が起った。それは主の使が天から下って、そこにきて石をわきへころがし、その上にすわったからである。その姿はいなずまのように輝き、その衣は雪のように真白であった。見張りをしていた人たちは、恐ろしさの余り震えあがって、死人のようになった(マタイ28:2–4)。

その時に地震が起こったと書かれているのは、マタイの福音書だけです。マタイによれば、地震が起こったのは、主の使いが天から下って、石を転がしたからのようです。

いずれの福音書にも、石が転がされ、どけられていたことの他に、天的な存在が墓にいたことも記されています。マタイの福音書が「主の使」と述べている一方、ルカの福音書はこう記しています。「中にはいってみると、主イエスのからだが見当らなかった。そのため途方にくれていると、見よ、輝いた衣を着たふたりの者が、彼らに現れた」(ルカ24:3–4)。

マタイの福音書には、墓の見張りをしていた番兵たちが「主の使」を見たことが書かれています。そして、「見張りをしていた人たちは、恐ろしさの余り震えあがって、死人のようになった」と(マタイ28:2–4)。死んだ人(イエス)を見張っていた番兵たちは天使を見て、彼ら自身が死人のようになったわけです。それとは対象的に、死んでいた方が今はよみがえって、生きておられました。

マタイ、マルコ、ルカの共観福音書には、天使が女性たちと話をし、恐れることはないと言ったことが書かれています。そして、イエスが死からよみがえられたという良き知らせを告げています。

この御使は女たちにむかって言った、「恐れることはない。あなたがたが十字架におかかりになったイエスを捜していることは、わたしにわかっているが、もうここにはおられない。かねて言われたとおりに、よみがえられたのである。さあ、イエスが納められていた場所をごらんなさい」(マタイ28:5–6)。(こちらも参照: マルコ16:5–6; ルカ24:5–8

イエスが十字架刑や三日目によみがえられることについて話しておられたことを、この女性たちが思い出したと書かれています。そこで、彼女らは使徒たちのもとに戻って、みんなに報告したのですが、誰も「それを信じなかった」とあります(ルカ24:8–11)。

ヨハネの福音書では、マグダラのマリヤを中心に記されています。墓の入口に置かれた石が取りのけてあるのを見たマグダラのマリヤが先ずしたのは、町まで行って、ペテロと「もうひとりの弟子」(おそらくヨハネ)に、誰かがイエスの体を墓から取り去ったと告げることです。「だれかが、主を墓から取り去りました。どこへ置いたのか、わかりません」(ヨハネ20:1–2)。

ペテロは墓に来ると、「亜麻布がそこに置いてあるのを見たが、イエスの頭に巻いてあった布は亜麻布のそばにはなくて、はなれた別の場所にくるめてあった。すると、先に墓に着いたもうひとりの弟子もはいってきて、これを見て信じた。しかし、彼らは死人のうちからイエスがよみがえるべきことをしるした聖句を、まだ悟っていなかった」(ヨハネ20:3–10)。

その後、2人の弟子たちは自分の家に帰りました。彼らが去ると、外に立って泣いていたマリヤは、墓の中をのぞき、天使たちがいるのを見ました。「白い衣を着たふたりの御使が、イエスの死体のおかれていた場所に、ひとりは頭の方に、ひとりは足の方に、すわっているのを見た。すると、彼らはマリヤに、『女よ、なぜ泣いているのか』と言った。マリヤは彼らに言った、『だれかが、わたしの主を取り去りました。そして、どこに置いたのか、わからないのです』」(ヨハネ20:11–13)。

四福音書すべて(そして使徒行伝)に、イエスが復活の後に弟子たち(男女共)に姿を現された時のことが記されています。マタイによれば、何人かの女性の弟子たちが、イエスの遺体に香料を塗ろうとして墓に行ってみると、墓が空になっていました。そして、天使がそこにいて、「使徒たちのところに行って、イエスが生きておられること、そして、ガリラヤへ行かれるので、そこでお会いできることを伝えなさい」と言われたのです(参照: マタイ28:6–7)。

イエスが生きておられることを弟子たちに伝えなさいと天使から言われた後、彼女らは「恐れながらも大喜びで、急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走って行った」 とあります(マタイ28:8)。「恐れながら」立ち去ったとあるのは、天からの使者の訪問を受けて、畏怖の念を抱いていたことを示しています。

天使と会って、弟子たちに伝えるメッセージを受け取った女性たちは、行く途中で、復活したイエスご自身に出会いました。

すると、イエスは彼らに出会って、「平安あれ」と言われたので、彼らは近寄りイエスのみ足をいだいて拝した。そのとき、イエスは彼らに言われた、「恐れることはない。行って兄弟たちに、ガリラヤに行け、そこでわたしに会えるであろう、と告げなさい」(マタイ28:9–10)。

活されたイエスに会って、彼女らがどれほど喜び、驚いたかは、想像もつかないほどです。ひれ伏してイエスを拝したとありますが、それは、イエスはただの人間以上の方であると、彼女らが認識していたことを示しています。また、この記述から、イエスの復活の体は実際の体であって、ただの幻影や幻覚ではなかったことが分かります。女性たちは、イエスは神なのだと理解しました。

イエスは、天使がしたのと同じく、「恐れることはない」 と命じた上で、「行って兄弟たちに、ガリラヤに行け、そこでわたしに会えるであろう、と告げなさい」 と言われました。

マタイの福音書では、イエスの死と復活に関わる重要な出来事すべてに女性たちが居合わせています。イエスが死なれた時には十字架のそばにいたし、墓へ行ったのも、復活の主に会ったのも、女性たちが最初でした。

マタイの福音書で、女性たちが指示されたとおりに、ガリラヤへ行くべきことを伝えようと、弟子たちのもとへ向かっている間に、数人の番兵が都に行き、起こったことを祭司長たちに報告しました(マタイ28:11)。通常、番兵は上官に出来事の報告をするものですが、このローマの番兵たちの場合、ポンテオ・ピラトから、ユダヤ教指導者たちの言うとおりにするよう命じられていたので、彼らは祭司長たちに報告しに行ったのです(マタイ27:64–65)。おそらく、番兵たちはローマ軍の上官に報告する必要がなくて、ホッとしたことでしょう。監視中に墓から遺体がなくなるのを阻止することができなかったと、告白しなければいけなくなるからです。

番兵たちの報告を聞いて、祭司長たちと長老たちとが最善策と考えたのは、彼らに金をつかませて、起こったことについて嘘を言わせることでした。彼らが「兵卒たちにたくさんの金を与え」 たと書かれています。番兵たちは賄賂を受け取り、起こったことについて嘘を言うことに同意しました(マタイ28:12–14)。ローマの番兵が警備中に眠り込むことは、重大な職務怠慢なので、弟子たちが夜中に来て、彼らが寝ている間に「彼を盗んだ」と上官に報告することは、かなりの危険を伴うものでした。しかし、多額の金の申し出を受けて、危険を犯す価値があると考えたのでしょう。「そこで、彼らは金を受け取って、教えられたとおりにした。そしてこの話は、今日に至るまでユダヤ人の間にひろまっている」(マタイ28:15)。

マタイの福音書が書かれた頃(おそらく紀元70年以降)までの35年間ほど、弟子たちが夜中に来て、番兵たちが寝ている間にイエスの体を墓から盗み出したという、この作り話が広まっていました。そのように、イエスの復活を隠そうとする試みがあったにもかかわらず、2千年以上たった今でも、世界中で毎年20億人以上が復活祭を祝っているのです。

初版は2022年6月 2026年3月に改訂・再版 朗読:ジョン・マーク

 

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