男と女として創造された人間

1月 15, 2026

The Creation of Humankind as Male and Female
December 8, 2025

ピーター・アムステルダム

オーディオ所要時間: 10:20
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創世記1章の天地創造の説明によれば、宇宙とその中にあるすべてのもの、つまり太陽や月や星や惑星、海陸、そして獣、魚、鳥も、すべて人間より先に創造されました。人間は最後に造られたのです。聖書には、神が最初の男であるアダムをまず造り、それから最初の女であるエバ(イブ)を造られたと書いてあります。

人類の起源について、キリスト教は、神が歴史において最初の男女を造られたという聖書の教えを忠実に信じています。どの程度の時間をかけて神が世界や人類を創造されたかという話は別として、アダムとエバの創造や存在は、神話や文学手法として捉えられてはいません。むしろ、彼らは世界の歴史上実在した人たちであるというのが、キリスト教の標準的見解です。

旧約聖書には、アダムと旧約聖書に出てくる他の歴史的人物とのつながり、結びつきが書かれています。人類の初めの幾世代と、それに続く旧約時代の人物との家系的つながりが描かれているのです。(そこに書かれた系図には、すべての世代が含まれておらず、主要な代、もっとも重要な代だけが記録されているという可能性はあります。その場合、それらの系図に記されたよりも多くの時間が経っており、より多くの代が存在したということになります。)

新約聖書には、アダムは歴史的人物であることがはっきりと述べられています(1コリント15:45; 1テモテ2:13)。アダムとエバや創世記の記述の史実性について、J・I・パッカーは次のように述べています。

やや比喩的な文体で話が書かれているものの、創世記を読むには、それを歴史的なものとして捉える必要があります。創世記には、アダムが系図の上で族長たちとつながっており、さらに族長たちによって人類全般とつながっていることが記されています(5、10、11章)。つまり、アダムはアブラハム、イサク、ヤコブと同じように時空的歴史の一部だということです。[1]

次の聖句には、男と女が造られたことが具体的に述べられています。最初の節は創世記1章からで概要が書かれ、その後のものは2章と5章からで、もっと詳しく書かれています。

神は言われた。「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。…」 神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された(創世記1:26–27 新共同訳)。

主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった(創世記2:7 新共同訳)。

主なる神はそこで、人を深い眠りに落とされた。人が眠り込むと、あばら骨の一部を抜き取り、その跡を肉でふさがれた。そして、人から抜き取ったあばら骨で女を造り上げられた。主なる神が彼女を人のところへ連れて来られると、人は言った。「ついに、これこそわたしの骨の骨、わたしの肉の肉。これをこそ、女(イシャー)と呼ぼう。まさに、男(イシュ)から取られたものだから(創世記2:21–23 新共同訳)。

神は人を創造された日、神に似せてこれを造られ、男と女に創造された。創造の日に、彼らを祝福されて、人と名付けられた(創世記5:1–2 新共同訳)。

男と女、つまりアダムとエバは二人とも神にかたどられ、神に似せて、造られました。そして造られた時点で、神は二人をまとめて「人」[英語ではMan]と名付けられたのです。以前は、英語で人類(男女ともに)を指す場合、「man」あるいは「mankind」という言葉が一般に用いられました。今ではあまり使われなくなり、それよりも「humankind」や「humanity」という言葉がもっとよく使われるようになっています。[訳注:manには「人間・人類」以外に「男」という意味もあるため。]

先に引用されたように、創世記1章26–27節にはこう書かれています。「神は言われた。『我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。』 … 男と女に創造された。」 神が男性と女性を等しく神のかたちに造られたということは、男女の平等性を表しています。男女とも等しく人間なのです。

父、子、聖霊がその本質において等しく神であるのと同様、男と女もその本質において等しく人間です。人格性においても重要性においても同等です。神学者ウェイン・グルーデムは、その点を次のように説明しています。

私たちが等しく神のかたちに造られているというのなら、神にとっては男性と女性が等しく重要であり、等しく大切であるというのは確かなことです。私たちは永遠に、神のみ前において、同等の価値があります。男性も女性も「神のかたち」に造られていると聖句で言われているのだから、優越感や劣等感を持ったり、または、どちらかがもう一方より「優れている」とか「劣っている」とか考えたりする余地は全く残らないはずです。… もし神が私たちは同等の価値を持っていると考えておられるなら、それで問題は解決です。なぜなら、神による評価は、永遠にわたって個人的価値の真の尺度だからです。[2]

聖書に登場する女性

新約聖書はかなりの男性優位社会に生きる信者たちによって書かれたものの、それは神との関係における女性の平等性を教えています。ひとつ主要な例をあげれば、聖霊は男女両方に平等に注がれました。

神がこう仰せになる。終りの時には、わたしの霊をすべての人に注ごう。そして、あなたがたのむすこ娘は預言をし、若者たちは幻を見、老人たちは夢を見るであろう。その時には、わたしの男女の僕たちにもわたしの霊を注ごう。そして彼らも預言をするであろう(使徒2:17–18)。

聖霊の賜物について語るとき、パウロもペテロも、それが「各自・それぞれ」に与えられると語っており、それは男女ともに賜物をいただけるということを示しています(1コリント12:11)。

イエスが地上におられたとき、女性にとって不利な社会的禁制をあえて破られました。人前で女性と話したり、サマリヤの女性と二人きりで話をしたり(ヨハネ4:4–26)、パリサイ人シモンの家で髪の毛の覆いを取り、イエスに触れた女性の行動を是認したり(ルカ7:36–44)、婦人たちがご自分や弟子たちとともに旅をするようにさせたり(ルカ8:1–3)—こういったことはすべて、当時のユダヤ社会においては文化的に受け入れられないことでした。

パウロは、教会においては誰もが平等であり、男女とも等しいことを指摘しました。「キリストに合うバプテスマを受けたあなたがたは、皆キリストを着たのである。もはや、ユダヤ人もギリシヤ人もなく、奴隷も自由人もなく、男も女もない。あなたがたは皆、キリスト・イエスにあって一つだからである」(ガラテヤ3:27–28)。

クリスチャン著作家であるエイミー・オア=ユーイングは、イエスが女性を受け入れられたことや初代教会における女性の役割について、このような見解を与えています。

当時の文化規範とは対照的に、イエスは大いなる神学的真理を女性にも明かすことを常としました。ヨハネによる福音書で、キリストが実は誰であるのかを最初に見出したのは、井戸のそばにいたサマリヤの女でした。これがどれほど過激なことであったかを過小視すべきではありません。イエスは、女性を教えたり、彼女らが弟子になるのを許したりすることで、文化的タブーをくつがえなさったのです。

実際のところ、イエスの教えの中に見られる手本として、またその教えを受ける者として、イエスの活動において女性が充分にかつ生き生きと、その役割を果たしていたことは明らかです。この21世紀にあっては、まったく適切で当然のことのように思えるかもしれませんが、1世紀のパレスチナにおいて、それがどれほど過激なことであったかを覚えていなければいけません。イエスは故意に女性を認め、仲間に入れられたのです。[3]

異なる役割

男性と女性は、等しく神のかたちに造られ、人格性と本質において同等であっても、聖書によれば異なった役割を担っています。女性が造られた時についての節には、役割の違いに関する概念が述べられています(創世記2:18–24; 1コリント11:3)。

役割の違いに関するしるしをいくつか挙げると、アダムが最初に造られたこと、動物に名前をつける責任を与えられたり、エバに「女」という呼び名を付けたりしたこと、二人が罪を犯した後に神が最初に話をされたのがアダムであったこと、アダムが人類の代表であるように見られていること(ローマ5:12–18)などがあります。これは、アダムが指導者となる立場を与えられたことを示しています。

役割においてはアダムとエバとの間で違いはあったものの、関係においては和合があったようです。ルイスとデマレストは、それをこのように説明しています。

堕落の前、アダムとエバは創造者であり扶養者である方との完全な交わりを享受していました。明らかに、彼らが朝夕、その造り主と出会いに行くのは普通のことだったようです(創世記3:8)。人類最初の夫婦は、お互いとの誠実で愛情深い関係も享受していました。堕落の前に、互いへの疑念や羨望・嫉妬・憎しみがあったという兆候は見られません。男性と女性は、神のように、互いへの尊敬・愛・信頼に満ちた関係にあったのです。[4]

結論を言えば、神はご自身にかたどり、ご自身に似せて、男と女を造られました。そのようにかたどられ、似せられた様は、罪によって損なわれてはいるものの、今も残っています。神の目には、男性も女性も平等なのです。結婚関係において、クリスチャン夫婦は二人の同等な人間として結び合わされ、仲むつまじく、またお互いへの理解と愛とをもって、主がそれぞれに与えられた役割を果すように努めるべきです。そして、キリストによって新しく造られたものとして、私たちはよりキリストに似たものとなり、自分たちの関係に神を映し出すべきです。「わたしたちはみな … 栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられていく」(2コリント3:18)。

初版は2012年7月 2025年12月に改訂・再版 朗読:ジョン・マーク


1 J. I. Packer, Concise Theology (Tyndale House Publishers, 1993), 81.

2 Wayne Grudem, Systematic Theology, An Introduction to Biblical Doctrine (InterVarsity Press, 2000), 456.

3 Amy Orr-Ewing, Isn’t the Bible Sexist?

4 Gordon R. Lewis and Bruce A. Demarest, Integrative Theology, Vol. 2 (Zondervan, 1996), 206.

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