クリスマスに孤独を感じていますか?

12月 21, 2025

Are You Lonely This Christmas?
December 16, 2025

引用文集

オーディオ所要時間: 13:03
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長い年月を経て、クリスマスは私にとってさまざまな意味を持つようになってきました。幼い頃には、特別な家族の休日であり、日曜学校でクリスマス物語を読み、雪の中を歩いて帰り、新しい本をもらう、そんなものでした。

イエスを救い主として受け入れた後、クリスマスは、イエスの誕生と人々への善意とのメッセージを他者に伝えるという意味を持つようになりました。

さらにその後、結婚して子どもが生まれると、クリスマスは、家族で新しい伝統をつくることになりました。飾りつけをし、プレゼントを贈り合い、にぎやかで温かい雰囲気の中でクリスマスディナーを準備する、そんな時期になったのです。

これらの過去のクリスマスは、どれも温かい思い出を呼び起こします。ノーマン・ヴィンセント・ピールがいみじくも述べたように、思い返すと、まるでわたしの世界に魔法の杖がそっと振られたようで、すべてがソフトで美しく感じられるのです。

しかし、離婚をし、子どもたちが巣立って家庭環境が変わったとき、私は「空の巣症候群」というものを実感することになりました。そして、クリスマスを一人で過ごすとこともです。それは決して簡単に慣れることのできるものではありませんでした。

初めて迎えた一人きりのクリスマスの朝、私は小さなアパートの部屋で、飾りつけはしてあるのに静まり返った家で目を覚ましました。その日遅くに息子家族の家に行く予定だったので、ディナーに持っていく料理を準備し、ツリーの下に置くプレゼントも持っていって配る予定です。自分の家でクリスマスを主催せず、子どもや孫たちに囲まれないのは初めてのことで、寂しさが心に押し寄せてきました。

その日の家族との時間はとても楽しく、息子や孫、そして息子の妻の家族と過ごす時間を心から楽しみました。でもそれは空っぽのアパートに帰る時までのことでした。一人で運転して帰る道はつらく、家に着くと、私は寂しさに涙を流しました。

静まり返ったリビングで、コーヒーテーブルにあったクリスマスをテーマにしたギフトブックを手に取りページをめくっているうちに、イエスが天の故郷を離れ、この世に愛と希望を届けに来られたことを思い出しました。そして、孤独なクリスマスを過ごしているのは私だけではないと気づいたのです。私は涙を拭って電話を手に取り、以前から親しくしていた高齢の女性に電話をかけました。話してみると、彼女もまた一人で過ごしていたことがわかり、電話で話せることをとても喜んでくれました。その後、まだ話していなかった子どもたちや外国にいる親戚にも電話をすると、彼らの中にも必ずしも「完璧なクリスマス」を過ごしたわけではない人たちがいたのです。誰かに手を差し伸べることで気持ちが軽くなり、私は来年のクリスマス、そしてこの先すべてのクリスマスは、このことを忘れないようにしよう、と心に決めました。

それ以来、私のクリスマスは毎年違うものになりました。ある年はボランティアとして、高齢の方々の家に行き、一緒にツリーや部屋を飾りました。年齢を重ねると、飾りつけが大変になる人も多いのです。孫たちとクッキーを焼き、あまり来客の来ないご近所さんに配った年もありました。また、電話やビデオ通話だけでも、違いがあるもので、私自身も笑顔になり、離れて住む人たちも笑顔になったものでした。

人生にはさまざまなことが起こります。子どもが巣立ったり、離婚や死別などで、クリスマスを一人で迎えることになるかもしれません。これは決して容易い変化ではなく、孤独の涙がこぼれることもあるでしょう。それでも、状況は違えど、クリスマスを一人で過ごすことが必ずしもネガティブな経験になる必要はありません。たとえ一人でも、私たちは決して本当の意味で一人きりではありません。イエスはいつも私たちと共におられます。そして、私たちが手を差し伸べ、他の人々に自分を与えるなら、充実感と喜びが私たちに戻ってくるのです。—リリア・ポッターズ

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古風であろうが現代的であろうが、私の考えるクリスマスは、とてもシンプルなものだ。それは、人を愛すること。考えてみれば、それをするのに、クリスマスまで待つ必要があるのだろうか?—ボブ・ホープ

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ひとりでいることと孤独とは別物です。ひとりでいても孤独を感じない人もいれば、人でいっぱいの部屋にいても孤独を感じる人もいます。ですから、孤独とは心の状態であり、他の人から切り離されていると感じることで引き起こされる感情なのです。…

ダビデほど、孤独を深く味わった人はいなかったかもしれません。… 実の息子が彼に反旗を翻し、イスラエルの人々も息子の側についたため、彼は都を追われ、家も家族も後に残して逃れなければなりませんでした。孤独と苦しみの中にあったダビデは(詩篇25:16)、神に立ち返り、憐れみと神の介入を必死に求めるほかありませんでした(詩篇25:21)。なぜなら、ダビデの唯一の希望は神にあったからです。…

孤独の理由が何であれ、クリスチャンにとっての解決法はいつも同じです。それはキリストとの慰めに満ちた交わりです。この主との愛に満ちた関係は、牢獄で苦しんだ無数の人々、さらには主のために死に至った人々にも確信を与え、励まし、支えてきました。主は、「兄弟よりも親密な友人」(箴言18:24 新改訳2017)であり、友のために自分の命を捨ててくださる方(ヨハネ15:13–15)です。そして、世の終わりまで私たちと共にいると約束された方なのです(マタイ28:20)。—GotQuestions.org [1]

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私はクリスマスのことを考えないようにしていました。その日が来るのが怖くて、どこかから天使が現れて、すべてを解決してくれないだろうかと願っていたのです。孤独を紛らわそうと、今日もただ普通の日、何も特別な日なんかじゃないというふりさえしました。

でも、どうしても避けることはできませんでした。クリスマスは至るところにあふれているのに、私は一人ぼっちでした。話す相手も、笑い合う相手も、「メリークリスマス」と言ってくれる人もいません。刻一刻と気分は沈んでいき、それが何よりも怖かったのです。

気分を明るくしようとして、私は楽しい思い出で心を埋めることにしました。ふと思い出したのは、日曜学校の先生のことです。気さくで親しみやすく、子どもたちとたくさんの時間を過ごし、どんなことも楽しくしてしまう才能の持ち主でした。よく「イエス様は私の人生の喜びだ」と語っていました。幼い頃を振り返ると、彼の、「ただイエス様を連れて行きなさい」という言葉が脳裏をよぎりました。

本当にそんなことができるのでしょうか。考えてみました。私は一人だし、私のことなど誰も気づかないでしょう。それで、その時、私はその日一日、イエスを友達にしようと決めました。

それから私たちは何でも一緒にしました。暖炉のそばでホットチョコレートを飲み、街を歩きながら世界の美しさについて語り、笑い、通りすがりの人に手を振りました。どこへ行っても、まるでイエスの腕が私を抱きしめているようで、イエスが私に語りかける声が聞こえてくるようでした。耳には聞こえないささやき声で、イエスは私を愛している、そう、私を、そして永遠に私の友でいてくれると告げたのです。どういうわけか、私はそのとき、もう二度と孤独になることはないと知ったのでした。

そのクリスマスの夜、眠りにつこうとしていた私は、とても幸せで、穏やかで、満ち足りた気持ちでいっぱいでした。奇妙にも思えましたが、同時にそうでもないようにも感じました。私はその1日をイエスと過ごしたので、他の人たちも私と同じくらい幸せなクリスマスを過ごしていますように、と願いました。—ヴィヴィアン・ピーターソン

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「見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである。」 —イエス、マタイ28:20

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私たちはなぜ、楽しい休暇の思い出を作ろうと必死で頑張っているのに、結局は失敗したと感じてしまうのでしょうか? … 一年で一番素晴らしいシーズンのはずなのに。では、グリンチのような不機嫌さや、チャーリー・ブラウンのような悲しさをどうやって追い出し、クリスマスの喜びを取り戻せばよいのでしょうか。

私は、聖書に記されている賢者たちの物語に勇気づけられています。彼らは輝く星を何百マイルも追ってイエスを探していましたが、その途中でヘロデ王のエルサレム宮殿に立ち寄ります。

しかしヘロデ王は彼らに、イエスはそこにはおらず、ベツレヘムにいるのだと告げなければなりませんでした。

「彼らは王の言うことを聞いて出かけると、見よ、彼らが東方で見た星が、彼らより先に進んで、幼な子のいる所まで行き、その上にとどまった。彼らはその星を見て、非常な喜びにあふれた」(マタイ2:9–10)。

非常な喜びにあふれた。

この言葉に、私は深く心を留めます。ESV訳では、「彼らはこの上なく大きな喜びをもって喜んだ」と書かれています(マタイ2:10)。

これこそ、このクリスマスシーズンに、私たちのために願うことです。ホリデーシーズンの混乱で乱れてしまった焦点をもう一度合わせ、世の光であるキリストに視線を向け直すことです。そうすれば、はるか昔の東方の三博士たちのように、歓喜に満ちて、祝い賛美することができるのです。

クリスマスの喜びを求める祈りを捧げます。これは私たちの目を再び王であるイエスへと向ける、シンプルな道筋です。この言葉があなたを導き、何度でも主の御前に立ち返らせてくれますように。

「主よ、あなたはなんと創造的な方でしょう。天の星さえ用いて、人々をあなたの御前へと導かれました。どうかこのクリスマスシーズンに、私たちをあなたに近づけてください。失望を祈りへのきっかけに変え、祝祭のひとときを、讃美の道へと導いてください。

本当の喜びを与えてくださるのは、ただあなただけです。ですから、心を静め、歩みをゆるめ、どんな星よりも明るく輝く光であるイエスよ、あなたに目をとめていられますように。賢者たちが大きな喜びに満たされたように、私たちの心をあなたの誕生の不思議で満ちあふれさせてください。

あなたを求める私たちの目に再びきらめきを、心に救いの喜びを回復させてください。今日も、そして毎日、あなたを求め続ける私たちを。主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。」 —アシェリタ・チウチウ [2]

2025年12月アンカーに掲載 朗読:ジェリー・パラディーノ 音楽:『Christmas Moments』アルバムより、許可を得て使用


1 “What does the Bible say about loneliness?” GotQuestions.org, https://www.gotquestions.org/loneliness.html

2 Asheritah Ciuciu, “A Prayer for Christmas Joy,” Proverbs31.org, December 2, 2024, https://proverbs31.org/read/devotions/full-post/2024/12/02/a-prayer-for-christmas-joy

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