12月 15, 2025
キリスト教が始まったばかりの頃から、クリスチャンはしばしば、地域社会における「善を促進する力(世のため人のためとなる力)」として知られることを通して、世界に手を差し伸べてきました。必ずしも人々がキリスト教の信仰を受け入れたり信条を理解したりするとは限らないし、迫害や中傷を受けたりもしたけれど、彼らの親切な行いや良きわざはすべての人の前で輝き、当時の世界に良い影響を与えました。使徒ペテロは書簡にこう書いています。「[信者でない人]の中にあって、りっぱな行いをしなさい。そうすれば … あなたがたのりっぱなわざを見て、かえって、おとずれの日に神をあがめるようになろう」(1ペテロ2:12)。
キリスト教が及ぼした影響についての今回の記事では、病院や学校の誕生に伴ってキリスト教が世界にもたらした良い影響を取り上げていきます。[1]
イエスの死と復活後の最初の3世紀の間、クリスチャンは断続的に厳しい迫害に直面していたため、彼らにできる病人の世話と言えば、家に連れて行って介抱をすることくらいでした。キリスト教が合法となり、自由に実践できるようになると、クリスチャンは324年以降、病人や死を間近にした人たちを施設で世話できるようになりました。325年のニカイア公会議では、司教座聖堂のある各都市にホスピス[2] を設けるようとの指示が司教たちになされました。ホスピスの目的とは、病気の人の世話だけではなく、貧民や巡礼者に宿泊場所を提供することです。
それは、次のイエスの教えと合致したものでした。「『[あなたがたは、わたしが]裸であったときに着せ、病気のときに見舞い、獄にいたときに尋ねてくれた …。』 そのとき、正しい者たちは答えて言うであろう、『主よ、いつ、わたしたちは、あなたが空腹であるのを見て食物をめぐみ、かわいているのを見て飲ませましたか。いつあなたが旅人であるのを見て宿を貸し、裸なのを見て着せましたか。また、いつあなたが病気をし、獄にいるのを見て、あなたの所に参りましたか。』 すると、王は答えて言うであろう、『あなたがたによく言っておく。わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである』」(マタイ25:36–40)。
使徒ペテロは、「不平を言わずに、互にもてなし合いなさい」(1ペテロ4:9) と言い、使徒パウロは教会の指導者たちに対して、「監督は、… もてなし」をしなければならない(1テモテ3:2)と指示しました。「もてなし」[3] の一環として、教会の指導者たちは、助けを必要とする旅人やクリスチャン仲間を迎え入れることが期待され、それには、病気の人や死を間近にした人を世話することも含まれていました。
最初の病院施設は、369年頃にカッパドキア地方(現在のトルコ東部に位置)のカイサリア(カイザリヤ)で教父バシレイオスによって建てられました。次に建てられたのは、近くの属州にあるエデッサで、375年のことです。西洋で最初に病院が建てられたのは390年頃のローマで、それは初代教会の著名な教父ヒエロニムスに師事した裕福なやもめファビオラによるものでした。398年、ファビオラはローマの南西約80キロの場所に別の病院を建てています。また、初代教会の別の教父であるクリュソストモス(347– 407)は、4世紀の終わりから5世紀初頭にかけて、コンスタンティノープルに幾つかの病院を建てさせました。
6世紀には、病院は修道院の一部としてよく見かけるようになっていました。9世紀には、カール大帝の治世の間、数多くの病院が建てられました。1500年代中頃には、37,000のベネディクト修道院で病人の世話がなされており、その頃までには、かなりの数の病院がヨーロッパにできていました。
聖地エルサレムをイスラム教の支配から解放するために、1096年から1291年にかけて8度の戦争を戦った十字軍の行動には、厳しい意見を受けて当然のものもありますが、彼らが行った称賛すべき1つのことは、パレスチナその他の中東各地に病院を建設したことです。また、彼らは医療活動を行う修道会を幾つか創設し、キリスト教徒もイスラム教徒も分け隔てなくすべての人に医療奉仕を行いました。
アメリカ合衆国における最初の病院の1つは、1700年代初頭にクエーカー教徒によって設立されたもので、1800年代初頭までは、ここも含めて2つしか病院がありませんでした。1800年代後半になると、数多くの病院が、通常は地元の教会やキリスト教諸派によって建てられました。病院名は、バプテスト病院、ルーテル病院、メソジスト病院、長老派病院など、資金を出した教派にちなんで付けられることが多くあり、他にも聖ヨハネ病院、聖ルカ病院、聖マリア病院などもありました。
キリスト教の影響を受けたもう1つの分野は、すべての子どもへの公教育です。今日では、無料で通える公立学校が一般的になっていますが、以前は必ずしもそうだったわけではありません。1500年代になるまで、ヨーロッパにおける教育、特に小学校レベルの教育は、ほとんどの場合、教会による維持・運営のもと、司教座聖堂学校において行われていました。残念なことに、教会の学校に通う人は非常に少なかったため、全体的に見て、読み書きのできる人はほとんどいませんでした。
マルチン・ルター(1483–1546)は、学生たちが男女共に、地元の言語によって小学校で教育を受け、中等学校や大学ではラテン語によって教育を受けられるような国家による学校制度を提唱しました。[4] ルターの同労者フィリップ・メランヒトン(1497–1560)は、ドイツの市当局に働きかけ、最初の公立学校制度を始めさせました。ルターはまた、市当局は子どもたちが学校に行くよう強いるべきだと提唱しました。時がたつにつれて、義務教育に関するルターの考えは、他の国々でも根付いていきました。今日、すべての子どもが学校に通うべきだという概念は、ほとんどの国の法律に取り入れられており、世界人権宣言も、教育は基本的人権であると明言しています。
ろう者(聾者:音声言語獲得前に失聴した人)に非音声言語を教えることが考案されたのは、主に3人のクリスチャン男性、シャルル・ミシェル・ド・レペー神父、トーマス・ギャローデット、そしてローラン・クレークによります。レペーは神父であり、1775年にパリで、ろう者に教えるために手話を開発しました。彼の目標は、ろう者がイエスのメッセージを聞けるようにすることでした。[5] トーマス・ギャローデットとローラン・クレークは、レペーの手話をアメリカにもたらした人たちです。
ローラン・クレークは、フランスのリヨン近くの村に生まれ、1歳の時に聴力を失いました。パリ国立聾学校に通い、卒業後はそこで教師となりました。ろう者を助けたいと考えていたトーマス・ギャローデット牧師は、手話を学ぶためにクラークの学校に通うようになりました。2人はアメリカ合衆国で最初の聾学校を開くことを決心しました。ギャローデットは、ろう者との仕事の仕方を学ぶためにヨーロッパへ再び渡る前に、耳の不自由なある少女にこう語りました。「戻ってきたら、聖書のことや神様のこと、キリストのことをたくさん教えてあげたいと思っている。」 この2人の男性は1817年に聾学校を設立しました。1864年、ギャローデットの息子が設立した最初の聾大学は、ワシントンDCにあって、後にギャローデット大学に改称されています。
イエスの死と復活後の数世紀に、目の不自由な人をどのように世話していたのかについては、あまり知られていません。4世紀には、クリスチャンたちが盲人のための施設を幾つか運営していました。630年には、エルサレムに施設が建てられています。13世紀になると、キリスト教王ルイ9世がパリに盲人のためのホスピス[収容施設]を建てました。1830年代には、幼少時に視力を失っていた献身的なフランス人クリスチャンであるルイ・ブライユが、盲人が読むことのできる方法を開発しました。ブライユはある時、軍が用いていた、闇の中でも伝達事項を解読できるよう盛り上がった点を使ったシステムに出会ったのです。ブライユはこれを元に、盲人が読むために使えるよう、裏側から打って盛り上げた点を用いた彼自身の点字システムを開発しました。死の床で、ブライユはこう語っています。「私の地上での使命は終わったと確信している。昨日、この上ない喜びを味わった。神が私の両目を永遠の希望の光彩で輝かせてくださったのだ。」[6]
ヨーロッパに現存する最古の総合大学は、1158年に創立されたイタリアのボローニャ大学であると一般的に認められています。当初は教会法を扱っていました。ヨーロッパで次に来るのは、1200年に創立されたパリ大学です。もともとは神学校でしたが、1270年に医学部が設置されました。ボローニャ大学から、イタリア、スペイン、スコットランド、スウェーデン、ポーランドにある幾つもの大学が生まれました。パリ大学からは、オックスフォード大学や、ポルトガル、ドイツ、オーストリアにある大学が生まれ、イギリスのキリスト教系カレッジであるエマニュエル・カレッジ(ケンブリッジ大学内のカレッジの1つ)からは、アメリカのハーバード大学が生まれています。[7]
アメリカの名門大学の1つであるハーバード大学が設立されたのは、牧師を養成するためでした。当初の校訓は(ラテン語で)「キリストと教会のための真理」であり、会衆派教会によって設立されています。他にも、アメリカにはキリスト教の諸教派によって設立された著名校があります。たとえばイェール大学(会衆派)、ノースウェスタン大学(メソジスト)、コロンビア大学(イングランド国教会)、プリンストン大学(長老派)、ブラウン大学(バプテスト)などです。
これで分かるように、キリスト教は教育施設や病院の歴史と発展において重要な役割を果たし、それによって世界をより良い場所としてきたし、今日でもそうし続けています。神はあらゆる時代のクリスチャンに「世の光」になるよう呼びかけておられます。主は弟子たちにこう言われました。「あなたがたの光を人々の前に輝かし、そして、人々があなたがたのよいおこないを見て、天にいますあなたがたの父をあがめるようにしなさい」(マタイ5:14–16)。私たち一人ひとりが他の人と福音を分かち合い、主が出会わせてくださる人たちに霊的・実際的な面のいずれか、あるいはその両方の面で、助けの手を差し出し、他の人たちに神の愛をもたらし、できる方法は何でも使ってその人の人生をより良くする手助けのために自分の分を果たすなら、私たちの証と活動は成長し、「燭台の上のろうそく」のようになって輝き、人々を主に引き寄せる「山の上に建てられた町」の役割を果たすようになるでしょう(マタイ5:14–15)。
初版は2019年4月 2025年11月に改訂・再版 朗読:ルーベン・ルチェフスキー
1 Points from this article were taken from How Christianity Changed the World, by Alvin J. Schmidt (Grand Rapids: Zondervan, 2004).
2 訳注: 近代のホスピスとは異なり、当初のホスピスは緩和ケアを主体とするものではありませんでした。
3 訳注: これらの聖句で「もてなし」と訳されているギリシャ語「フィロクセノス」に対応するラテン語の言葉に由来して、英語の「ホスピス」「ホスピタリティ(もてなし・歓待)」「ホスピタル(病院)」という言葉が生まれました。
4 Martin Luther, “Preface,” Small Catechism, in The Book of Concord, ed. Theodore G. Tappert (Philadelphia: Fortress Press, 1959), 338.
5 Harlan Lane, When the Mind Hears (New York: Random House, 1984), 58.
6 Etta DeGering, Seeing Fingers: The Story of Louis Braille (New York: David McKay, 1962), 110.
7 Schmidt, How Christianity Changed the World, 187
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