最初のクリスマス: 誰が、何を、いつ、どこで、なぜ、どのように

12月 25, 2025

The First Christmas: Who, What, When, Where, Why, and How
December 25, 2024

ローリ・リンチ

クリスマスが記念しているものは、キリスト教信仰の根幹をなすものです。同時に、これはクリスチャンや欧米人、あるいは余分の収入を稼ぎたい商売人だけのものではありません。地上のすべての人に関わりがあることであり、その意味を理解すれば、人生の送り方も人生観も、根本から変わり得ます。

最初のクリスマスの物語を理解するには、背景をいくらか知っておくことが大切です。

この物語は、神が万物を創造されたときから始まります。聖書には、神は陸地や草木、太陽と月、動物、そして人間を造られたとあります(参照: 創世記1章)。神はまた、目には見えない霊の世界で神の御心を行う天使たちも創造されました(コロサイ1:15–16)。すべては完璧で、誰も罪を犯さず、悪いことをしませんでした。

しかし、残念なことに、神が創造された天使のひとりであるルシファーが、自ら神になろうとして、神に背いたのです(イザヤ14:12–14)。彼は悪魔(サタン)となり、神の御業とご計画をぶち壊そうと、懸命に動き出しました。まず、神に創造された最初の人間であるアダムとエバをだまして、罪をこの世に入りこませたのです。これによって、人類も被造物全体も変わってしまいました。そして、神が完全な方である一方、人間はもはや完全ではなくなったため、神と人間との間に隔たりが生じました。

しかし神は、このような事態が生じることを、すでに知っておられました。そして、アダムとエバの不従順を罰しながらも、彼らがしたことの結果をくつがえすために、いつの日か、あがない主であり救い主である方が来ることを約束されたのです(参照: 創世記3章)。

それから千年以上経った後、神はアブラハムという人物に語りかけ、彼とその子孫に、ただ神のみを崇拝するよう命じられました。そのような考え方は、生物・無生物を問わず、さまざまなものを崇拝していた当時の人々からすれば、急進的なものでした。それでもアブラハムは、唯一の真の神に忠実であり続けたのです。彼の子孫であるイスラエル民族は、やがて、現在イスラエルと呼ばれている土地に定住しました(参照: 創世記11:27–25:11)。イスラエル民族は、神に従うときもあれば、従わないときもありましたが、とにかく、預言者たち(神の霊に満たされて、神から告げられたことを書き記した人たち)に与えられた神のメッセージを記録に残していきました。その中には、来たるべき救い主がどのような人なのかに関する「手がかり」となるものも含まれていました。例えば、ある預言者は、救い主がイスラエル(イエスの時代はユダヤ地方)にある小さな町ベツレヘムで生まれると告げ(ミカ5:2)、別の預言者は、処女である女性から生まれて(イザヤ7:14)、貧しい人々に福音(良き知らせ)を告げ、囚われた人を解放し、病人を癒やすと語りました(イザヤ61:1)。

紀元前4年頃、神はその計画を実行に移されました。マリアという若い女性のもとに、天使をひとり遣わされたのです。彼女は処女であり、ヨセフという男性と婚約していました。ガブリエルと呼ばれるこの天使は、マリアに、彼女がすぐに身ごもり、男の子を産むことになると告げました。そして、その子イエスは、神の子であり、人々を罪から救うことになると言うのです。婚約者のヨセフは、マリアの妊娠を知って動揺し、混乱しましたが、神から遣わされた天使がヨセフにも現れ、胎の子は神によって宿っているのだと告げました。ヨセフは胸をなでおろし、天使に言われたとおり、マリアと結婚しました(参照: ルカ1:26–35, マタイ1:18–25)。

ヨセフとマリアが住んでいたのは、現在のイスラエルの北部にあったナザレという町です。当時の人々が旅をすることは稀だったのですが、皇帝が、領内のすべての者が税を収めていることを確認するため、各自故郷の町に戻って住民登録をするよう命じました。そこで、家族がもともとベツレヘム出身だったヨセフは、妻のマリアと共に故郷へ向かったのです。さて、到着してみると、泊まる場所が見つかりません。一般的には、彼らがたくさんの宿屋から断られて、町のはずれにある家畜小屋を寝場所にしたことになっていますが、ベツレヘムはいくつもの宿屋があるほど大きな町ではありませんでした。専門家によって数字の幅はありますが、当時の人口はおそらく3千人に満たなかったと推定されています。[1] おそらく、親類が2人を受け入れてくれたものの、泊まらせる部屋はなかったのでしょう。そこで、主室の脇にあって、家畜が夜を過ごしている場所で寝ることになったようです。[2] この家畜部屋で、イエスはお生まれになりました。

聖書はさらに、近くの丘で羊の番をしていた羊飼いたちに天使が現れた、と伝えています。羊飼いたちは恐怖に震えましたが、天使は「恐れるな」と言いました。そして、「今夜、世の救い主が生まれた」と宣言し、イエスが布にくるまって飼い葉桶に寝かしてあるのを見るだろうと言いました。そこで羊飼いたちはベツレヘムへ行ってイエスを探し、見つけるとイエスを礼拝した上で、その夜に見聞きしたことを町中の人々に伝えました。人々は驚きましたが、自らイエスを見に行ったという記録は残っていません。(参照: ルカ2:1–20

しかし、誕生後しばらくすると、外国から来た別の一行が、イエスを訪ねて来ました。この三賢王とか三賢者と呼ばれる人たちは、飼い葉桶の場面によく描かれています。けれども、実際には賢者たちが到着するまでに、学者の多くが最大で2年ほどの時が経っていたと考えています。聖書には、彼らはイエスが生まれたときに、空に不思議な星を見たとあります。当時の人々の多くがそうだったように、彼らは尋常ではない「天のしるし」があるとき、それには意味があると信じており、この場合はイスラエル民族の新しい王の誕生を示していると確信しました。そこで、その方に会うために旅立ったのです。旅の途中で、あるいは出発前にでさえ、彼らが会いに行くのは単なる王ではない、と気づいていたかもしれません。というのも、聖書によれば、旅の終わりに、ヨセフとマリアが泊まっていた家の真上に星がとどまったとき、賢者たちは贈り物を捧げただけではなく、イエスを礼拝しているからです(参照: マタイ2:1–12

クリスマスの物語には、非現実的に思える点が数多くあります。天使、不思議な星、処女による出産が、ありふれたことでないのは確かです。しかし、聖書以外の歴史資料にも、イエスが1世紀に実在していたことが記されています。[3] さらに、イエスが果たされた使命は、その背景を理解すれば、完全に理にかなったものでした。神は公正で聖く、完全であると同時に、あわれみ深いお方です。聖書には、神は愛そのものだとあります(1ヨハネ4:8)。神はご自身の目の前に罪があることを許容できませんが、私たちと神との間にある隔たりを埋めたいと願われました。私たちは自分の罪に関して罰を受けて当然なのですが、神はそうなることを望まれません。だからこそ、イエスは地上に来られたのです。イエスは完璧な生涯を送り、その死によって私たちの罪の代価を支払ってくださいました。このようなわけで、12月25日になると、世界中の何十億もの人が、「ひとりのみどりごが私たちのために生まれる、ひとりの男の子が私たちに与えられる」という事実を祝うのです。「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる方の誕生を(イザヤ9:6 新改訳2017)。


1 https://christianfaithguide.com/how-big-was-bethlehem-when-jesus-was-born

2 https://directors.tfionline.com/ja/post/jesushis-life-and-message-jesus-birth-part-4

3 https://www.gotquestions.org/is-Jesus-real.html

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