なぜクリスマスが重要なのか

12月 7, 2025

Why Christmas Matters
December 23, 2024

引用文集

オーディオ所要時間: 13:29
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私たちは毎年クリスマスキャロルを歌うとき、特に『Hark! The Herald Angels Sing(あめにはさかえ)』を歌うときに、大きな声でこう告げます。「肉体をまとわれた神を見よ。受肉された神をたたえよ。」 これと同じ言葉ではないものの、使徒信条では「聖霊によりて宿り、処女マリヤより生まれ」という表現で、この教理を教えています。[1]

受肉。この受肉という言葉を理解するなら、クリスマスとは何なのかがわかるでしょう。クリスマスは、率直に言って教理的なものです。見えない方が見える姿となり、非物質の方が物質となった。言い換えれば、神が人となられたということです。…

クリスマスの教理が独特なのは、この点にあります。一方では、神は万物の中に内在しているので、受肉はごく普通のことだと考える宗教があります。仏教やヒンドゥー教では、神は万物に内在しているとされます。しかし他方では、イスラム教やユダヤ教のように、神はすべてを超越しているゆえに、受肉など不可能だと考える宗教もあります。

しかし、キリスト教は他とは異なります。受肉が普通のことだとも言わず、かといって不可能だとも言いません。神は万物に内在しておられるゆえに受肉は可能であり、同時にすべてを超越しておられるゆえに、イエス・キリストという方における神の受肉は、歴史を変え、人生を変え、常識を打ち破る出来事となった、そう語るのです。

クリスマスは単に教理的な出来事というだけではありません。ずばり歴史的なものでもあります。飼い葉桶も、復活も、イエスの物語も、それらは単なる物語ではなく、事実なのです。

クリスマスが示している核心とは、イエス・キリストは実際に生き、実際に死なれた、ということです。歴史上、起こった出来事なのです。イエスはこれらのことを実際に行い、実際に語られました。… 福音とは、イエス・キリストが地上に来られ、私たちが生きるべきだった人生を生き、私たちが受けるべきだった死を引き受けてくださった、それによって、私たちがイエスを信じるとき、感謝と喜びに満ちた人生を生きる者となる、ということなのです。…

1ヨハネ1:3には、「わたしたちの交わりとは、父ならびに御子イエス・キリストとの交わりのことである」と書かれています。この「交わり」とは、もしイエス・キリストが実際に来られたのであり、クリスマスが真実であるなら、私たちが神と個人的な関係を持つための土台が与えられたという意味なのです。…

もしイエス・キリストが、実際に肉体をとられた神だとするなら、あなたは神についてはるかに多くのことを知ることになります。神が涙を流される姿、心を痛める姿、落胆される姿、そして高く上げられる姿を見ることになるのです。もしイエスがご自分について語っておられる通りの方なのだとすれば、私たちは、ある意味で神ご自身による500ページの自伝を手にしているようなものです。そして、私たちの理解は、どんな哲学や宗教が与えうるものより、はるかに個人的で、はるかに具体的なものとなります。

神がご自身を個人的に知ってもらうために、あなたのためにここまでしてくださったことを見てください。御子があなたにとって実在の人となるためにこれほどの道のりを来てくださったのなら、聖霊もまた、あなたの心の中でイエスを実在の人とするためにあらゆることをしてくださらないわけがありましょうか。

クリスマスとは、キリストを個人的に知るための招待状です。神はクリスマスの招きを通してこう語っておられます。「見なさい、わたしはあなたに近づくためにこれほどのことをした。だから今度は、あなたがわたしに近づきなさい。わたしは概念としてではなく、あなたの友でありたいのだ。」—ティム・ケラー [2]

クリスマスは、誤りを犯す不完全な人々を、神が用いられること、そして今もそうしておられることを示している

そこでマリヤが言った、「わたしは主のはしためです。お言葉どおりこの身に成りますように。」 そして御使は彼女から離れて行った。—ルカ1:38

毎年クリスマスになるたびに驚かされる真理があります。それは、神が不完全な人々を用いて、ご自身の完全な御心を成し遂げられるということです。主はマリアを選び、彼女に御心を示されました。またヨセフもこの物語の一部となるよう選ばれ、これが神の御心であると励ましを受けました。…

神はこの物語そのものを、ご自身の贖いの計画を進める手段として選ばれました。私たちには理解しがたいことですが、神が教会と御国を築き上げるために用いられる計画についても、同様に理解し難いものです。神はそのためにもまた、私たち人間を用いられるのです。

これらすべてが告げているのは、クリスマスへと向かう日々の中で、物語の始まりと終わりには強い結びつきがあるということです。マタイの福音書はイエスの誕生で始まり、大宣教命令で終わります。この二つのブックエンドの間には、人間の関わりがあり、私たちにはその過程で積極的に参加する役割が与えられています。その事実に、私は圧倒される思いがします。このことを考えると、クリスマスはまったく新たな次元の意味を帯びてきます。神は人間を用いてこの世に来られ、今もなお私たちとともに働いておられるのです。神をほめたたえよ

結びにあたって…ヘンリー・ワズワース・ロングフェロー作のクリスマス讃美歌 『I Heard the Bells on Christmas Day (クリスマスの鐘が響く日)』の歌詞に思いを向けようと思います。…

その時、鐘はさらに深く、力強く鳴り響いた
「神は死んでおられず、眠ってもおられない
悪は倒れ、善が勝利し
地には平和、人には恵みがおとずれる」

クリスマスが重要なのは、それが福音と、神が成就してくださった約束を指し示すからです。さらに、私たちがこの地上における神の偉大な計画に巻き込まれ、その一部となっていることも示しています。そしてもう一つ重要なのは、キリストの歩みが飼い葉桶から十字架に至って終わるのではなかったということです。かつては人が横たわっていたが、今は空となっている墓もまた、その道のりに含まれています。ロングフェローの詩句は、この真理へと私たちの心を向けます。神は死んでおられない。真理は必ず勝利する。悪は敗れ、善は勝つ。アーメン、ハレルヤ。クリスマスと、その意義が今も重要であることの理由を思うとき、私たちが最後の結末へと導かれますように。すなわち、キリストが王として支配し、私たちは天でその方と共に生きるその日へと。

12月が過ぎゆく中、クリスマスについて思い巡らし、ここに述べる点やその他のことについて考える機会が多く与えられますように。… そして、今年のクリスマスに神の真理が私の心を新たに目覚めさせてくださいと、祈ってみてはいかがでしょう。飼い葉桶に眠る赤ん坊としてだけでなく、勝利を得た復活の救い主として主を見ることができますように。それが福音の物語のすべてであり、真実なのです。クリスマスシーズンに、私たちが再び、主を深く愛するようになることを願って。—デレク・チャールズ・ジョンソン [3]

究極のクリスマスプレゼント

聖書は、「神は霊である」、また「神は愛である」と教えています(ヨハネ4:24; 1ヨハネ4:8)。神は偉大な創造主であり、あなたと私、この美しい世界、また全宇宙を創造されました。そして、私たちに愛を示し、私たちが神をよりよく理解できるように、ご自身の子イエス・キリストを人間の姿で地上に遣わされたのです。

イエスは「王の王」となることが定められていましたが、宮殿で生まれたわけではありません。それどころか、納屋の汚れた床の上で生まれ、家畜のえさ箱に寝かされたのです(ルカ2:7)。その誕生は、当時の富裕層や権力者たちから公式に認められることはなく、ただ、何人かの貧しい羊飼いたちが会いに来たのですが、それは天使の一団からこんな知らせを聞いたからでした。「きょうダビデの町に、あなたがたのために救主がお生れになった。このかたこそ主なるキリストである。いと高きところでは、神に栄光があるように、地の上では、み心にかなう人々に平和があるように」(ルカ2:8–14)。

30歳となったイエスが、生涯をかけた仕事を始めたとき、教えをただ説くだけではなく、一人の人間として、それを実践しました。また、人々の霊的な必要を満たすだけではなく、病気の人を癒やし、飢えた人に食べ物を与えるなど、身体的な必要のためにも多くの時間を費やしたのです。イエスは、自分の評判を犠牲にしてまでも、偏見なく愛を示しました。酔っ払い、売春婦、罪びと、社会に見捨てられ、虐げられた人々とも親しく接することによって、神の愛とゆるしに値しない人などいないことを示したのです。

神はイエスを通して、その愛を全世界に示しましたが、それだけではなく、私たち一人ひとりを個人的に愛しておられます。あなたが永遠の命を持つことができるよう、ご自身にとって最もかけがえのない「ひとり子」イエスを与えてくださるほどに、あなたを愛してくださったのです(ヨハネ3:16)。

神は私たちの痛みを感じておられます。私たちの心の痛みを理解し、大切なものを失った悲しみに寄り添ってくださいます。私たちを引き寄せて、落ち着かせ、癒やし、慰め、安心させたいと願っておられます。そして、私たちをとても愛しておられるので、イエスを人間としてこの世に送られました。それは、イエスが人間として生き、私たちの苦難を味わい、神の手となり、神の心を明らかにし、私たちが神の愛と力に直接、個人的に触れられるようにするためなのです。神がイエスを遣わされたのは、私たちの問題をすべて取り除くためではなく、私たちが問題を乗り越え、それによって成長できるよう助けるためでした。

それこそが、私たちがクリスマスに希望を持つことができる理由です。

イエスは、あなたと個人的な関係を持ち、今ここで、そして永遠にわたって、あなたの人生の非常に現実的な一部になることを望んでいます。そして今、あなたの心の扉の前に立ち、あなたが扉を開けて、人生にイエスを招き入れるのを待っているのです(参照: 黙示録3:20)。

そうしたい方は、次の祈りを心から祈ってください。

「イエスさま、どうか私の過ちをすべておゆるしください。あなたが私のために死んでくださったことを信じます。心の扉を開いて、あなたをお招きしますので、あなたの聖霊で私を満たし、私があなたのことを知れるように助けてください。そして、真理の道に私を導いてください。アーメン。」—ファミリー・インターナショナル

2024年12月アンカーに掲載 朗読:ジョン・ローレンス 音楽:『Rhythm of Christmas』アルバムより、許可を得て使用


1 訳注:この讃美歌の日本語訳では、2番目にあるこの部分が使徒信条と同じ言葉で歌われることがあります。

2 https://relevantmagazine.com/faith/why-christmas-matters

3 https://derekcharlesjohnson.com/blogs/latest-news/posts/7102893/why-christmas-still-matters

 

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