11月 11, 2025
イエスの死と復活以降の人類の歴史において、キリスト教が及ぼした絶大な影響の一つは、女性の尊厳と地位についてです。[1]
ローマ帝国の治世下において、女性は家父長制度のもとに生きていました。これは、男性の家長は自分の子ども(成人した子も含めて)に対して絶対的権力を有するという制度です。結婚した女性はそれがマヌス婚(手権婚)でない限り、引き続き父親の権威のもとにあります。マヌス婚とは、女性が父親の権威のもとを離れて、夫の管理下に入ることを意味します。それによって、夫はその妻に対して身体的懲罰を法的に下せるようになります。たとえば、妻が姦淫を犯したなら、夫は彼女を殺すことができました。マヌス婚によって、夫は妻に対する完全な権力が与えられており、妻の法的地位は単に養女としてのものでした。
女性は公の場で話すことが許されておらず、市議会、元老院、裁判所など何らかの権威を持ついかなる機関にも入れたのは男性だけでした。女性が何であれ法的な問題や訴えがある場合、それを夫か父親に伝え、本人に代わってそれを適切な当局に持ち込んでもらわなければいけませんでした。女性はそのような事柄について黙っていなければならなかったからです。全般的に言って、女性はかなり低く見られていました。
ラビ時代(紀元前400年から紀元300年)のユダヤ文化においても、女性に対する強い偏向がありました。女性は証人として信頼性に欠くとみなされたので、裁判所での証言は許されず、同様に、公の場で話すことも、シナゴーグ(会堂)でトーラーを読み上げることも、許されていませんでした。シナゴーグでの礼拝は男性が導き、出席した女性は間仕切りによって男性から隔てられていました。
ユダヤ人女性の中には、家に閉じ込められた人もいるし、若い女性は男性の目に触れることを避けて、家の中で女性のいるべき場所としてあてがわれた区画に留まりました。農村地域の既婚女性は夫の農作業を手伝っていたので、もう少し自由に動き回ることができましたが、それでも、一人で仕事をしたり旅したりすることは不適切であるとみなされました。また、既婚女性が得た収入は、相続したものも含め、全て夫の所有となりました。
福音書全体にわたって、イエスが当時の慣習とはかなり異なる考え方を持っておられたことが書かれています。その考え方は女性の地位を高めるものでした。イエスはその教えによっても行動によっても、女性は男性より劣ると信じる一般的な考え方や慣行を拒絶されました。
その一例は、ヨハネの福音書に書かれている、サマリヤの女性と接した時のことです。当時、ユダヤ人はサマリヤ人と交流することが全くなかったというのに、イエスは彼女に、井戸からの水を飲ませてほしいと言われました。彼女は驚き、「ユダヤ人はサマリヤ人と交際していなかった」のに、なぜ水を飲ませてくれと言うのだろうと不思議に思いました(ヨハネ4:7–9)。イエスは、彼女がサマリヤ人であるという事実を無視したばかりか、公の場で女性と話をされたのです。それは、 口伝律法(本来のモーセの律法には含まれておらず、数世紀に渡って追加されてきたユダヤ教の戒律)に違反することでした。
マタイ、マルコ、ルカの福音書には、イエスに従っていた女性たちのことが記録されていますが、それは当時としては極めてめずらしいことでした。女性の弟子がいるユダヤ教教師やラビは、他にいなかったのです。「また、[イエスの十字架刑を]遠くの方から見ている女たちもいた。その中には、マグダラのマリヤ、小ヤコブとヨセとの母マリヤ、またサロメがいた。彼らはイエスがガリラヤにおられたとき、そのあとに従って仕えた女たちであった。なおそのほか、イエスと共にエルサレムに上ってきた多くの女たちもいた」(マルコ15:40–41)。(ルカ8:1–3も参照)
また、イエスは復活してまず女性たちに現れ、ご自身がよみがえられたことを残りの弟子たちに告げるよう命じられました(マタイ28:1–10)。
初代教会は女性に関する文化規範を無視して、イエスが示された先例に倣いました。女性が教会において重要な役割を果たしていたことは、女性の家で教会(信者の集まり)が持たれていたことを記したパウロの書簡から分かります。ピレモン(フィレモン)への手紙は、「姉妹アピヤ、わたしたちの戦友アルキポ、ならびに、あなたの家にある教会」(ピレモン1:1–2)にも宛てられています。ラオデキヤには、自分の家で教会を開いたヌンパ(ニンファ)という女性がいました(コロサイ4:15)。また、家で教会を開いていたプリスカとその夫アクラは、パウロから「キリスト・イエスにあるわたしの同労者」(ローマ16:3)と呼ばれています。
ローマ人への手紙で、パウロは「ケンクレヤにある教会の執事、わたしたちの姉妹フィベを、あなたがたに紹介する」と書いています(ローマ16:1)。ここで「執事」と訳されたギリシャ語は「ディアコノス」で、書簡では「執事」「奉仕者(仕える者)」(どちらも、教会運営に携わる人を指す言葉)などと訳されています。パウロは書簡の中で、幾度も自身を「ディアコノス」と呼んでおり、同労者や指導者仲間についてもそう呼んでいます(エペソ3:7, コロサイ1:7)。このように、パウロがフィべを教会の「ディアコノス」と呼んだのは、彼女がその教会で執事か奉仕者であることを認めていたからであるようです。
パウロは、キリスト教においては「ユダヤ人もギリシヤ人もなく、奴隷も自由人もなく、男も女もない。あなたがたは皆、キリスト・イエスにあって一つだからである」と明言しています(ガラテヤ3:28)。イエスもパウロも初代教会も、女性は隔離され、沈黙し、言いなりになって、礼拝の際に男性から離されなければいけないという概念に反対したのです。
イエスの救いのメッセージは初代教会の女性たちの共感を大いに呼び、それは、初期のキリスト教史家たちが、全般的に言って、女性たちは教会において男性たちよりも活動的であると断言したほどです。ドイツ人の教会史家レオポルト・チャルナックは次のように書いています。「キリスト教界は、その迅速な成長をもたらした主な要因が、他の何事にも増して、女性であったことを断じて忘れるべきではない。教会ができたばかりの時期において、またその後にも、弱き者と強き者とを獲得したのは、女性たちが福音伝道を行う際の情熱であった。」[2]
<pキリスト教が生まれて最初の150年間、女性は教会内で高く評価され、非常に重要な役割を担っていました。残念なことに、その後は教会指導者のある人たちが女性に関するローマ人の慣行や考え方に立ち返るようになり、女性は次第に教会内での指導的立場から締め出されていきました。女性に対してこのようなゆがめられた考え方があった時でさえも、教会内で女性が男性と対等な立場であった点は数多くありました。たとえば、教会員になる際に受ける指導は男性と同じだったし、男性と同じ方法で洗礼を授けられ、男性と対等の立場で聖餐にあずかり、同じ礼拝の場で男性と並んで祈りました。
何世紀もの間、新約聖書の教えから逸脱した点もありましたが、ローマ帝国領全域で、女性の環境を改善する重要な法改正も幾つか行われました。キリスト教が公認されて半世紀ほど経った374年、皇帝ウァレンティニアヌス1世は千年間続いた パトリア・ポテスタス(家父長権)を廃止して、家父長が自分の妻や子どもに絶対的権力を持つことはもはやなくなるようにしました。そして、女性は男性と同等の財産管理権や、子どもの後見人権を与えられました。
これは、古代にはそうであったように父親が夫を選ぶ代わりに、女性が自分で結婚相手を選べるということも意味しました。また、この結果、晩婚も許されました。そして、パウロの教えによって、夫は妻を霊的な面でも実際面でもパートナーとして見るようになったのです。今日、欧米諸国の女性は、もはや望まない相手と結婚を強いられることがなく、(ある国々ではまだ起きているように)法律で児童婚を強いられることもありません。
イエスの時代やそれ以前には、多くの古代社会(特に中東)で、一夫多妻が認められており、たとえば、アブラハムやヤコブ、ダビデ、ソロモンなど、ユダヤ民族の族長や王の多くには、妻が何人もいました。しかし、イエスが結婚について話す際には、いつも決まって一夫一婦婚の文脈で語っておられます。イエスはこう言われました。「あなたがたはまだ読んだことがないのか。『創造者は初めから人を男と女とに造られ、そして言われた、それゆえに、人は父母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりの者は一体となるべきである』」(マタイ19:4–5)。[訳注:「妻」と言う言葉は、原文で単数形になっています。]
初期(2~3世紀)の教父たちの何人もが、一夫多妻婚に反対する意見を書いており、新約聖書で結婚が言及される箇所は、一夫一婦婚のことであると理解されています。一夫一婦の関係で構成されるというキリスト教的結婚観は、欧米社会の法律に浸透していきました。
福音書を見ると、イエスがやもめとなった女性たちをあわれまれたことが分かります。イエスはやもめの息子を生き返らせ(ルカ7:11–15)、やもめを食い物にしていたパリサイ(ファリサイ)人を糾弾し(マルコ12:40)、神殿税としてレプタ(レプトン)銅貨2枚を犠牲的に与えた貧しいやもめを称賛されました(ルカ21:2–3)。使徒パウロはテモテへの手紙で、エペソ教会に対して、やもめとなった母親を大事にするよう指導しています(1テモテ5:3–4)。また、ヤコブの手紙には、「父なる神のみまえに清く汚れのない信心とは、困っている孤児や、やもめを見舞い、自らは世の汚れに染まずに、身を清く保つことにほかならない」と書かれています(ヤコブ1:27)。
イエスの生涯、死、復活、そして復活がイエスを信じる者たちにもたらした救いは、それから何世紀にもわたり、数え切れないほどの人生にとてつもなく良い影響を及ぼしました。イエスの手本と教えは、弟子たちや初代教会が女性に対してより高いレベルの尊厳と自由と権利を認めるようにさせました。その結果、今日では、キリスト教の影響を受けた国の女性は大抵の場合、そのような影響を受けなかった国よりも多くの自由と機会を持ち、人間としての価値がより認められています。
初版は2019年4月 2025年10月に改訂・再版 朗読:ルーベン・ルチェフスキー
1 Points from this article were taken from How Christianity Changed the World, by Alvin J. Schmidt (Zondervan, 2004).
2 Leopold Zscharnack, Der Dienst der Frau in den ersten Jabrhunderten der christlich Kirche (Gottingen: n.p., 1902), 19.
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