12月 13, 2025
多くのニュース記事が警鐘を鳴らしています。新型コロナよりも恐ろしい疫病が、世界中の国々をむしばんでいるというのです。症状は目立ちませんが、深刻な後遺症をもたらします。ある人々はこれを「孤独のグローバル化」と呼んでいます。これは世界規模で広がる流行病なのです。しかもその影響は、老若男女を問わず及んでいます。
多くの人々が、孤立や閉じこもり、引きこもりの生活を送っています。私たちは孤独という海の中に生きていて、そこでは、人との触れ合いがタッチ技術に置き換えられてしまいました。まさに聖書が予言したとおり、多くの人の愛が冷えてしまったのです(マタイ24:12)。
チリのインタビュアーでありコラムニストのクリスティアン・ワルンケンは、「孤独は、現代における開かれた傷口です」と語っています。そして、こう続けます。「私たちは気候変動を深く憂慮していますが、人間関係に忍び寄る砂漠化については、口にするだけでほとんど行動していません。」
「孤独は文字どおり寿命を縮めうる」と宣言するのは、長寿研究を専門とするベルギーの人口統計学者ミシェル・プーラン氏です。彼は「ブルーゾーン(長寿地域)」という概念を提唱した人物で、こう語っています。「ブルーゾーンでは、人々は人間関係を優先し、広場に集まり、カフェで語らい、共に遊びます。社会的なつながりは真に不可欠な原則なのです。こうしたコミュニティでは人間関係が日常生活の中心にあります。」 そして彼はアドバイスとしてこう言います。「一日に二、三人と話すよう心がけてください。」
しかし先ほども述べたように、多くの若者もまた、人間関係の欠如に悩まされています。子どもたちは他の人々と深く関わる機会を得られず、うつ状態や自殺念慮にさらされています。解決策は医療だけなのでしょうか? この問題を医学の領域にだけ押し込めてしまうのは、あまりにも単純化しすぎています。これは社会的、また霊的な問題でもあるのです。
私たちクリスチャンに、この病に対してできることはあるのでしょうか? 私たちには豊かな宝の蔵があります。神の御霊は、私たちに力を与え、創造的な助け方を示してくださいます。孤独な人を知っているなら、電話をかけるだけで喜ばれるかもしれません。近所の人たちが滅多に尋ねてこないことに気付いたなら、挨拶に立ち寄って、何かお手伝いできることがあるか尋ねてみることもできます。誰かが延々と細かい話をしてくるとき、それはしばしば話し相手がいない印です。最後まで耳を傾けてあげましょう。また、孤立しているように見える人には、私たちがそばにいますよ、と伝えることができます。こうした小さな犠牲こそ、神に喜ばれるのです(ヘブル13:16)。
リック・ウォレンが言うように、私たちは「コミュニティのために造られた存在」です。互いに気にかけ合い、自分を愛するように隣人を愛すること(マルコ12:30–31)によって、たとえ身の回りの小さな世界からであっても、この病を少しずつ癒やしていくことができます。そして、他の人に手を差し伸べるとき、私たち自身の孤独もまた和らいでいきます。私たちは慰める者となると同時に、慰められる者となるのです。ボランティア活動は、他の人に手を差し伸べると同時に、私たちが持っている交わりへの渇きを満たすすばらしい方法です。それは私たちの霊に驚くべき効果をもたらし、つながりを保ち、社会との関わりを持ち続け、活動的であり続ける助けとなります。
クリスチャンとして、私たちは地元の教会や聖書研究会、小グループ、祈りの会、WhatsAppグループなどに参加することで、コミュニティを探し出すこともできます。チャンスが訪れたときには、少し勇気を出して人に声をかけ、会話を始めてみましょう。思いのほか多くの人が、親しみやすく、共感的で、喜んで話をしてくれることにきっと驚くでしょう。
つまりクリスチャンは、一方では助けを必要としている人々に希望を届ける奉仕者であり、もう一方では、もし私たち自身が孤独や交わりの欠如を感じているなら、さまざまな方法を通して自らもコミュニティを求めることができるのです。
それが社会的な側面です。霊的な側面では、私たち一人ひとりが、神にとってかけがえのない息子や娘として、無条件に愛されているということを見いだし、イエスが私たちを気にかけ、最高の友となりたいと願っておられることを知ることが鍵になります。
ですから、もしあなたが今、孤独という暗い谷を歩いているのなら、あるいは、そんな人を知っているのなら、どうか勇気を出してください。神はあなたと共にいて、あなたを慰めてくださるのであり(詩篇23:4)、あなたを離れることも捨てることもありません (申命記31:6)。「たとい父や母がわたしを捨てても、主がわたしを迎えられるでしょう」(詩篇27:10)。聖書はさらに、イエスは「あなたがたを捨てて孤児とはしない」と保証しています(ヨハネ14:18)。そして、孤独の大きな原因である帰属意識を失った人、あるいはそもそもそれを持っていなかった人には、こう語っています。「その聖なるすまいにおられる神はみなしごの父、やもめの保護者である。神は寄るべなき者に住むべき家を与え …」(詩篇68:5–6)。
有名なフランスの詩人アルチュール・ランボーが言ったように、あなたはときどき「友の手がひとつも差し伸べられていない」と感じることがありますか? そうならば、主に手を伸ばしてください。主が、あなたの助けの手となってくださいます。友もなく、見捨てられ、誰もあなたの声を聞いてくれないと思うのでしょうか? 神はあなたの叫びを聞いてくださいます。孤独という砂漠で希望を失って歩むとき、神はあなたの叫びを聞かれます。ハガルの叫びを聞かれたように(創世記21:14–21)、また詩篇の作者の必死の祈りを聞かれたように(詩篇18:6)。痛みや嘆きを打ち明ける相手が誰もいなくても、主の耳は、いつでもあなたの声を聞こうとしています。
そして何より素晴らしいのは、イエスが「世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」と約束されたように、私たちは未来について平安を得られることです。「わたしは、世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいるのである」(マタイ28:20)。
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