宝を探す

11月 8, 2025

Seeking the Treasures
August 18, 2025

マリア・フォンテーン

オーディオ所要時間: 10:11
オーディオ・ダウンロード(英語) (9.3MB)

もし今日という日が、あなたにとって最後の日であり、それを知っているとしたら、永遠という観点から考えて取るに足らないようなことに、どれほどの時間を費やすでしょうか。きっと、わずかな時間でもきわめて貴重なので、それを自分にとって最も大切なことに費やそうとすることでしょう。

大切な人たちを愛したい、彼らが自分にとってどれほど大事な存在かを知らせたい、と思うことでしょう。もし今までに、死の淵に立ったことがあるなら、あるいはあなたの愛する人が命に関わる病気にかかり、その人の優先順位が変わったのを見たことがあるなら、それを身をもって体験したことでしょう。そういった時には、何もかもが明白に見えて、愛だけが大切なものになるのです。思いを尽くし、心を尽くし、精神を尽くして神を愛すること、そして、他の人々を愛することです(マタイ22:37–39)。

良い時にも大変な時にも、イエスが与えてくださる喜びや永遠の希望は、この世が与えるどんなものよりもはるかに素晴らしいものです。達成感、安らぎ、愛、満足感、知識、真理、そのいずれに関しても、この世にあるものは、イエスが与えてくださるものとは比べ物になりません。聖書には、こうあります。「世と世の欲とは過ぎ去る。しかし、神の御旨を行う者は、永遠にながらえる」(1ヨハネ2:15–17)。

この世が与える「はかない楽しみ」よりも、神が与えてくださる永遠のものを大切にするには、思いと体の自制を要します。このはかない世がもたらすものは、魂の最も深い切望を真に満たすことはできません。イエスだけが、真に満足を与えることができます。イエスこそ、「道であり、真理であり、命」なのです(ヨハネ14:6)。

良い点を探す

誰にでも、過去を振り返って、あれは「闇」だったと感じる時期があります。自分ではほとんどどうしようもなかった悲劇や喪失、困難などです。時に私たちは、自分の過ちや選択、あるいは誰かの誤った選択や愛のない行為によって、困難や痛みと向き合うこともあります。そうした試練にどう向き合うかによって、そのような経験を通して神に働いていただくか、恨みを抱いたり打ち負かされたりしてしまうのかが決まります。

辛い時期に少しの良さも見いだせない時、心に不満や不幸せが入り込んでしまうことがあります。イエスを知り、愛し、そして私たちのために命を捧げられたほどイエスが私たちを愛しておられると知っている人は、どんな状況や試練の中でもイエスが共におられると信頼するよう求められています。そんなときこそ、御言葉にあるこの約束を自分に言い聞かせるといいでしょう。「神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている」(ローマ8:28)。

主はどんなに困難な状況下でも、私たちの益のためにあらゆる面から働きかけることができます。しかし、もし主に信頼しなければ、その要点を見失ったり、主が用意された祝福を受け取れなかったりするのです。私たちが振り返って「失敗だった」と思う出来事でさえ、主が私たちの益のために用いたか、あえて導かれた状況だったのかもしれません。私たちの信仰を成長させ、最善を引き出す、または主にもっと近づける、あるいは新たな機会の扉を開くために。

必ずしもこれらの出来事を、主が望まれたわけではありません。主はご自分の子どもたちに最善だけを望んでおられます。しかし、実際にそれらが起きてしまった以上、主はそれらを私たちの益になるように働かせたいと願っておられます。主とはそういうお方です。私たちが主に委ねるなら、主は私たちの人生のあらゆる事柄を益になるように働かせることができ、また必ずそうしてくださいます。

悪い状況の中に良い点を見いだすことは、単なる「よかった探し(グラッド・ゲーム)」や思いつきではなく、私たちの霊的な健全さにとって不可欠なことです。過去のいくつかの雨雲にも希望の光が差すことを受け入れられないなら、それらを心から赦し、忘れることが非常に難しくなり、やがては霊的生活をむしばむ恨みにつながりかねません。だからこそ、私たちが不当な扱いを受けた状況や時期を振り返った時、それがどれほど困難で痛みを伴うものであったとしても、その出来事を私たちの益となるように主が用いてくださるよう祈り求めることが非常に大切になってきます。

悪から善を引き出すことほど、偉大な勝利があるでしょうか。旧約聖書のヨセフが、自分にひどい仕打ちをした兄たちに言ったように。「あなたがたはわたしに対して悪をたくらんだが、神はそれを良きに変らせて、今日のように多くの民の命を救おうと計らわれました」(創世記50:20)。

過去の痛みを乗り越える究極の方法は、恨みや復讐心ではありません。それによって主が私たちをより良くしてくださるのを受け入れ、主が万事を益となるように働いてくださると信頼することです。

以下は、これらの面で成長するための実践的なステップです。

信仰を養う。私たちの信仰は神の言葉を読み、心に刻むことで成長します(ローマ10:17)。常に信仰を養いましょう。書かれた御言葉を読む時間を取り、また、疑問や問題をイエスに伝え、決断や行動を導いてくださるようお願いしましょう。「聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって、人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である。… それによって、神の人が、あらゆる良いわざに対して十分な準備ができて、完全にととのえられた者になるのである(2テモテ3:16–17)。

イエスとその約束に目を向け続ける。状況や困難が私たちの注意をそらしたり、信仰から遠ざけようとしたりする時、聖書は重荷を下ろして、イエスと御言葉に心を集中し続けるよう教えています。「いっさいの重荷と、からみつく罪とをかなぐり捨てて、わたしたちの参加すべき競走を、耐え忍んで走りぬこうではないか。信仰の導き手であり、またその完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、走ろうではないか」(ヘブル12:1–2)。

あらゆる心配事や思い煩いを神に委ねる。毎日直面するすべての不安や心配を祈りと感謝をもって神に伝え、神があなたに代わって働いてくださると信頼しなさい。必要な時には、いつでも神の力と約束された助けにあずかりなさい。「いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。… どんなことでも思い煩ってはならない。むしろ、何事についても祈りなさい。何が必要なのかを神に告げ、すべてこれまでにしてくださったことを神に感謝しなさい。そうすれば、神の平安を経験するでしょう」(ピリピ4:4–7 英語NLT訳)。

今日の祈り

天の父よ、すべての造り主であられるあなたを賛美し、崇め、栄光を称えます。あなたは、最も小さなものから最も偉大な驚異に至るまで、私が目にするあらゆる美しさ、すべてをお造りになった方です。原子から宇宙に至るまで、すべてはあなたの御手によって造られており、それは誰も想像も理解も及ばないほどに優れております。

あなたは英知の神です。誰にも測り知れないほど深い深みの神、誰にも理解し得ないほど高い高みの神、誰にも満たし切ることのできないほど広く大いなる広がりの神です。

あなたは本当に偉大で、力強く、広大で、賢く、愛に満ち、全能であられるので、私は栄光と誉れ、賛美と感謝のすべてを捧げます。にもかかわらず、あなたは身をかがめて私を愛し、私を捜し出して救い、あなたの御国に迎え入れて、永遠にあなたと共に生きる者としてくださいました。ありがとうございます。アーメン。

マリア・フォンテーンの著作からの編集 2025年8月に改訂・再版 朗読:デブラ・リー 音楽:マイケル・ドーリー

Copyright © 2025 The Family International