11月 5, 2025
ピリピ4:19にはこうあります。「わたしの神は、ご自身の栄光の富の中から、あなたがたのいっさいの必要を、キリスト・イエスにあって満たして下さるであろう。」… なぜ、神が私たちの必要を満たしてくださると信頼できるのかを理解するには、まず神の富の広大さを認識する必要があります。… 詩篇24:1–2で詩篇の作者はこう宣言しています。「地と、それに満ちるもの、世界と、そのなかに住む者とは主のものである。主はその基を大海のうえにすえ、大川のうえに定められた。」 神が万物を所有しておられることが、神が私たちの必要を満たせるという保証なのです。…
哀歌3:22–23で、エレミヤはこう宣言しています。「主のいつくしみは絶えることがなく、そのあわれみは尽きることがない。これは朝ごとに新しく、あなたの真実は大きい。」 神の変わらぬ愛と憐れみ、そして忠実さが、私たちのあらゆる必要を満たしてくださるという保証なのです。…
神が私たちのあらゆる必要を満たしてくださるという保証は、神の性質と、被造物すべてに対する主権、そしてご自身の子どもたちへのコミットメントに基づく約束です。未来に何が待ち受けていようとも、私たちはその未来を御手のうちに握っておられる方を信頼することができます。—GotQuestions.org [1]
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数年前のことです。10年間で10回目の引っ越しをしたとき、私はU-Haulのトラックの中で感情が抑えきれず、泣き崩れてしまいました。私は変化が苦手で、悲しみと怒りと失望が入り混じった気持ちでいっぱいでした。また一からやり直すなんて、したくなかったのです。
盛大な「自己憐憫パーティー」を開いているとき、問題は引っ越しそのものではなく、引っ越しが象徴するもの、つまり人生をコントロールしたいという思いであり、神がこの新しい季節に必要なものを供給してくださるという信頼が持てなかったことだと気づきました。これまで神は何度も必要を満たしてくださったのに。
何か新しいことに踏み出すときよりも、慣れ親しんだ安心感にすがっていられるときの方が神を信頼するのがもっと簡単なように思えます。それで私は、荒野をさまよいながら神に信頼することに苦闘したイスラエルの人々の気持ちが、よくわかるのです。…
神がイスラエルの民をエジプトから導き出されたとき、主は彼らを約束の地へ連れて行くことに尽力されました。しかし、変化と慣れない状況の中で、彼らは不満を言い始めたのです。彼らは「せめてエジプトにいたときは食べ物があった」と言って、エジプトに戻りたがりました(出エジプト16:3)。未知という痛みの中で、彼らは神の約束を忘れ、神の供給を疑ってしまったのです。
けれども神は、彼らが不平を言う中で彼らに会われました(出エジプト16:12)。神は「天からパンを降らせよう」と告げ、それを毎日彼らのために供給されたのです。そのマナは翌朝には腐ってしまうため、イスラエルの民は日ごとに新しいマナを集め、神がその都度備えてくださることを信頼しなければなりませんでした(出エジプト16:4)。ところが、求めた通りに神が与えてくださったにもかかわらず、彼らは神を信頼しませんでした。神がもうこれ以上マナを降らせないのではないかと恐れ、必要以上に集めたのです。神の過去の供給によって未来の約束を信じる代わりに、彼らは自分の力で自分を守り、必要を満たそうとしました。
私たちは、神が供給してくださったものを、自分の望んだ形ではなかったという理由で、どれほど頻繁に切り捨ててしまうことでしょうか。…
神は思いがけない方法で備えてくださいます。それは単にマナのことだけではなく、マナが象徴していたものについてです。神は天からマナを降らせましたが、それはやがて天から遣わされるいのちのパン、つまりイエスを象徴するためでした。
マナは、イスラエルの人々が望んだ供給には見えませんでした。イエスも彼らが待ち望んでいたメシアの王には見えませんでした。そして正直に言えば、神の「供給」の定義は、私たちが望む形や期待する姿とは必ずしも一致しません。しかし、神の完全な供給はイエスのうちに約束されています(ヨハネ14:6)。
マナについて深く思うとき、私たちは神の過去の供給のみに目を向けてしまいがちです。しかしそうすると、今、目の前で神が行っておられることを見落としてしまうかもしれません。そうではなく、いのちのパンであるイエスを通して必要なものを供給してくださる神に目を向けることで、今日、神を信頼しましょう。
私たちは祈りの中で、今この場所で、すでにどのように必要を満たしてくださっているのかを示してくださいと求めることができます。イスラエルの民は再び空腹を覚えたでしょうが、イエスはご自身にあっては決して飢えることがないと言われました(ヨハネ6:35)。神はイスラエルの民を肉体的に飢えたままにはしませんでした。同じように、私たちを霊的に飢えたままにはしておかれません。マナも、そしてイエスも、神が私たちのすべての必要を満たしてくださるという証拠なのです。—メーガン・ライアン [2]
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アーロンという漁師についての伝説があります。アーロンは川のほとりに住んでいました。ある夕暮れ、一日の重労働を終えて家へ帰る途中、彼は重いまぶたで歩きながら、もし自分が金持ちだったら何をしようかと夢想していました。そのとき、足元に革袋がぶつかり、中には小石のようなものが詰まっていたのです。
アーロンは何気なくその袋を拾い上げ、小石を川へ投げ始めました。「金持ちになったら、大きな家を建てるんだ」、と独り言を言いながら、もう一つ石を放り投げました。さらにもう一つ投げながら、こう思いました。「妻と私は召使いを雇って、贅沢な食事や素晴らしいたくさん物を手に入れるんだ。」
こうして、石を投げ続けていくうちに、最後の一つだけが残りました。アーロンがその石を手のひらにのせると、一筋の光が石を照らし、きらりと輝きました。その瞬間、彼はそれが貴重な宝石だと気づいたのです。彼は、未来の空想の富を夢見ながら、手の中にあった本当の富を投げ捨てていたのでした。
この伝説は、多くのクリスチャンの姿をよく表しています。私たちはすでに、必要なものすべてを与えられ、私たちの手の中に置かれています。そしてそれを楽しむようにと勧められているのです。それなのに、私たちはなぜか自分の手の中を見ようとせず、神が与えてくださったものを受け取って実際に用いようとしません。代わりに、豊かな祝福を受ける日が来ることを夢見、宴の喜びが私たちのものとなる日を夢見ているのです。—R・J・フェアチャイルド [3]
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わたしはあなたの良い羊飼いであり、あなたの必要とするすべてを満たすと約束した(詩篇23:1)。ときには、わたしが約束どおりに供給するのだろうかと心配に駆られることがあるだろう。けれども、恐れに負けてはいけない。なぜなら、わたしはあなたを顧み、必要を供給すると約束したからだ。
祈りの答えがすぐに見えるにせよ、わたしを待つ間に大切な教訓を学んでいるにせよ、あなたの祝福を数えなさい。わたしがすでに与えたもの、物質的な快適さよりも尊ぶべきもの、お金では買えないものに感謝しなさい。それは、わたしとの永遠の未来が確実にあること、あなたにとって最も大切な人々の愛、心と精神の平安、そしてわたしを知り、愛することから生まれる充足と満足感だ。それらを何よりも大切にするなら、どんな状況にあっても喜びと霊的な祝福を見いだすだろう。
この世で最も豊かな人とは、信仰を持つ人だ。たとえ物質的なものをすべて失っても、その人はなお満ち足りていられる。信仰は、銀行のお金よりも優れている。
わたしは、五つの小さなパンと二匹の魚で五千人以上の人々に食事をさせた(マタイ14:15–21)。また、水をぶどう酒に変え(ヨハネ2:1–11)、長年病を患い、医者や薬にすべてを費やしても癒されなかった女を癒した(マルコ5:25–34)。
わたしは何百もの人々を癒し、この世のどんな富でも買うことのできない奇跡を行った。わたしには、あなたのすべての必要を満たす力がある。求めなさい。信仰の手を伸ばし、受け取りなさい。—イエス
2025年7月アンカーに掲載 朗読:ジェリー・パラディーノ音楽:マイケル・ドーリー
1 “Is it true that my God shall supply all my needs (Philippians 4:19)?” GotQuestions.org, https://www.gotquestions.org/my-God-shall-supply-all-my-needs.html
2 Meghan Ryan, “Finding God’s Provision in Unexpected Places,” Proverbs 31, October 27, 2023, https://proverbs31.org/read/devotions/full-post/2023/10/27/finding-gods-provision-in-unexpected-places
3 R. J. Fairchild, frtommylane.com, https://www.frtommylane.com/stories/money/aaron.htm
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