10月 11, 2025
マタイ17章20節にはこう書かれています。「もし、からし種一粒ほどの信仰があるなら、あなたがたにできない事は、何もないであろう。」 これは大きな信仰ではありません。それどころか、ごく小さな信仰です。しかし、この聖句はその他にも何を教えているのでしょうか。「もし、からし種一粒ほどの信仰があるなら、この山にむかって『ここからあそこに移れ』と言えば、移るであろう。」
からし種ほどの信仰は山をも動かします。これを逆にしてはいけません。私たちはしばしばこの聖句を逆に読み取ってしまう傾向があります。つまり、まるで「もしあなたがたに山のような大きな信仰があれば、からし種ひとつを動かせる」の方がいいだろう、というように。まるで、小さなことを成すためには、とても大きな信仰が必要であるかのように考えてしまうのです。…
神は、あなたがすでに持っている信仰で、まず始めることを望んでおられます。そして、からし種のたとえが示しているように、神のために大きなことを成すのに大きな信仰は必要ありません。ほんの少しの信仰で十分なのです。
ここに信頼できる方程式があります。
小さな信仰 + 大きな神 = 膨大な結果
「主よ、私は信じます! 私の不信仰を助けてください!」といった小さな信仰を、大きな神に委ねるのです。そうすれば、神はいかにして膨大な結果を成し遂げられるかを示してくださいます。—リック・ウォレン [1]
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からし種のたとえ話は短いものです。「天国は、一粒のからし種のようなものである。ある人がそれをとって畑にまくと、それはどんな種よりも小さいが、成長すると、野菜の中でいちばん大きくなり、空の鳥がきて、その枝に宿るほどの木になる」(マタイ13:31–32)。…
このたとえ話で、イエスは天の御国が驚くほど成長すると予言しておられます。からし種はごく小さいものですが、高さ3メートル近くにまでなる大きな木に成長します。イエスはこれを御国の成長を表すたとえとして語られました。からし種のたとえの要点は、大きく祝福されたもの、すなわち神の国が、ささやかな始まりから生まれたということです。キリストの短い宣教活動は、いったいどれほど大きな意味を持ちえたのでしょうか。ほんの一握りの人しか従ってこず、地位もなく、財産もなく、誰もが世界の辺境とみなす地方に住んでいたのです。
キリストの生涯と死は、道ばたに落ちているからし種が人目を引かないのと同じくらい、世の人々の注目を集めることはありませんでした。しかし、それは神の御業だったのです。初めは取るに足りないように見えたものが、やがて世界に影響を与える大きな運動へと成長し、誰もそれを止めることができませんでした。(参照:使徒行伝5:38–39)。神の国がこの世に及ぼす影響は、それに関わるすべての人が恵みを受けるほどのものであり、それは成長したからし種の枝にとまる鳥たちとして描かれています。—GotQuestions.org [2]
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他の人を助ける小さな機会を、「たいした違いにはならないだろう」と思って見過ごしてしまうのは、いかに簡単なことでしょうか。
小さな親切の行い、他の人を助ける機会は、注意深く心を配っていなければ、見逃してしまうものです。
これらのことは無意味に思えるかもしれませんが、天国に行ったとき、私たちは何が最も重要だったかに驚かされると思います。何が実際に世界を変えたのか。私たちが創られた目的を果たしたのは何だったのか。私たちが小さな場所で従順に仕えたことでこそ、イエスにこう言っていただけるのです。「よくやった。あの時、励ましの言葉を必要とする人に時間をとって語りかけたことを覚えているかい? あの日、あなたは世界を変える手助けをしたのだよ。」…
神は、私たちが従順になって、自分が持つわずかなものを献げるとき、それを最も美しく、力強く用いて、大きく拡大し、ご自身の栄光のために輝かせることがおできになります。
また、誰も見てくれない、聞かれていない、気づかれていないと感じるとき、他の人を励ます言葉を振り絞るのは本当に難しく感じられるものです。しかし、どんな困難に直面していても、他の人に、つまり天国に投資できる、小さな、からし種のようなチャンスを見逃さないという機会が、今日、私たちに与えられているのです。
私と一緒にこれらのことを試してみてください。
では、なぜこれらのことするのでしょうか? それは、私たちが意図的に他の人の痛みを和らげるとき、私たち自身の痛みも見事に和らげられるようになるからです。…
大きなことでなくても、意味深いことになり得ます。私たちはそこにいて、耳を傾け、寄り添うことができます。祈ることもできます。無理に押し付けたり、証明したり、何かを獲得したりしようとする必要はありません。喜びをもたらす計画を立てることができます。大切なひとときを計画することもできます。誰かのために、ただ親切になり、神をたたえる行いを計画することができるのです。…
そして時に、神は私たちの周りでなさっている偉大なわざの一部に私たちを招いておられますが、それが小さくそして時に、神は私たちの周りでなさっている偉大なわざの一部に私たちを招いておられますが、それが小さく見えたり、取るに足らないように思えたりするために、私たちはそれを見逃してしまうことがあります。… 私たちは日々、小さな従順の歩みを通して、自分の計画を脇に置いて神の驚くべきわざに加わるようにとの招きを探すことができるのです。
今日、目の前にいる人々から始めましょう。そして、神が御心のときに、小さなものを大きく美しいものに変えてくださるのを見守りましょう。—リサ・テルカースト [3]
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自分があまりに小さくて誰かの役に立てないのではないかと思うことがあるなら、小さなことが大きな違いを生む例はたくさんあるのだということを思い出してください。小さなミツバチには植物の受粉を助ける大切な役割があります。小さなドングリは大きなカシの木に成長します。小さな砂粒がたくさん集まって浜辺を覆い、大きな家を建てるには小さな釘がたくさん必要です。小さな笑顔が、最もつらい一日をも明るく照らすのです。
小さなことは大切です。たとえ自分が取るに足らない存在だと感じても、あなたは違いを生み出すことができます。周りを見渡して、誰かにほんの少しの喜びや幸せ、助け、愛を届けるためにできることを探してみてください。優しい言葉をかけ、思いやりのある行動をとり、気にかけていることを示しましょう。これらの小さなことはすべて大切であり、あなたも自身も大切な存在なのです。誰もが、他の人を助けるために用いることのできる特別なものを持っています。どんなに小さな存在であっても、小さなことが果たすべき役割があることを忘れないでください。—シャナ・ランドン
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今日、励ましを受け取ってください。神はあなたをより大きなことや、より良いこと、より非凡なことをするよう招いておられるのではありません。神はあなたをご自身のもとへと招いておられるのです。そして、あなたの人生の小さなこと、取るに足らないように見えることに、ご自分の永遠の栄光を注ぎ込もうとしておられます。私たちは不安や重圧に押しつぶされる魂である必要はありません。ですから、あなたの平凡さ、ありふれた日常、小ささに安らいでください。私たちは塵にすぎないのです。ああ、けれども主は、すべての賛美と誉れと栄光と力にふさわしい方であり、その主があなたという塵の中に住み、あなたをその栄光で満たしてくださるのです。—ダイアン・ラングバーグ
2023年11月アンカーに掲載 朗読:ジョン・ローレンス 音楽:ジョン・リッスン
1 https://pastors.com/little-faith-big-god-huge-results.
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