なぜ心配するのですか? 主に思い煩いを委ねなさい

9月 21, 2025

Why Worry?! Cast Your Cares on the Lord!
July 16, 2024

引用文集

オーディオ所要時間: 12:13
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未払いの請求書がまだテーブルの上に重ねられ、2階では子供たちが言い争い、ニュースには戦争の映像が流れる、このストレスの多い時期、希望と忍耐を手に入れるのは難しいようです。心配は避けられないと思われます。しかし、眉をひそめることで、実際、何を得られるでしょうか。この言葉を考えてみてください。「心配は素敵なロッキングチェアのよう。暇つぶしにはなるけれど、どこに行けるわけでもない」。

心配の無意味さを別の角度から考えると、使うことのないガラクタが入ったスーツケースを運んでいる人を想像してみてください。彼が腰が痛いと言ったら、あなたはスーツケースを捨てなさいと言うのではないですか?

しかし、私たちも、悩み、疲れ、バランスを崩しながら、それと同じことをしがちです。手放すと何か悪いことが起こるのではと考えて、その重荷を手放しません。けれども答えはとても簡単です。もし手放せば、つまり主を信頼すれば、たちまちのうちに身軽になるのです。

主ご自身も弟子たちに同じメッセージを伝えられました。「何を食べようかと、命のことで思いわずらい、何を着ようかとからだのことで思いわずらうな。命は食物にまさり、からだは着物にまさっている。からすのことを考えて見よ。まくことも、刈ることもせず、また、納屋もなく倉もない。それだのに、神は彼らを養っていて下さる。あなたがたは鳥よりも、はるかにすぐれているではないか。… 野の花のことを考えて見るがよい。紡ぎもせず、織りもしない。しかし、あなたがたに言うが、栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった」(ルカ12:22–24; ルカ12:27)。…

心配は、過去や未来を変えることはできず、かえって現在を台無しにしてしまいます。過去や未来のことばかり考えていると、今進歩するための動機を失ってしまいます。… しかし、私たちは他の何かによってではなく、今あるものに満足するよう努め、親切で愛のある人になることに集中することができます。次に、私たちは、現在の状況を最大限に活かし、才能を活かして他の人々に手を差し伸べる機会を探す努力ができます。そして最後に、主はあらゆる状況から良いものを引き出されると信頼し、御言葉に記されたことが真実であると信じることができます。…

人生はしばしば旅に例えられます。私たちは、足を引きずりながら、進む道に不満を漏らすこともできますが、不安や焦りは私たちの速度やルートを変えることはありません。そうではなく、神の摂理の流れが私たちをより美しい展望へと導いてくれると確信し、景色を楽しむことができます。だから、今日という日を心配で無駄にしないでください。重荷を主に委ねなさい。花を見たり、鳥の声を聞いたりして、主が私たち一人一人を毎瞬ごとに守ってくださっていることを思い出してください。—デービッド・ロス [1]

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最近、ルーシーという友達が心配そうに電話をかけてきました。初孫に会いに行く旅行を楽しみにしていたのですが、新型コロナのことが心配で、不安だったのです。

もし自分がウイルスに感染して、娘や生まれたばかりの孫に感染させてしまったら。もし病気になって帰れなくなったら。もし、と。…

そんなふうに心配という底知れぬ穴に落ちていくのです。もしこれが起これば、次にこれが起こり、そして、そして、というふうに。

人間は、数日先、さらには数年先までを想像して、「何が起こりうるか」を考えたりします。問題なのは、考えたからといって、そうなるわけではないということです。心配は、何の助けにもなりません。私たちは、心配すれば将来の課題を事前に解決できるのではないかと信じたいですが、そうはなりません。なぜなら、心配にはそれができないからです。

あらゆる可能性を想定しても、ちっとも解決に近づいたりしません。心配が問題を解決したことなど一度もありません。

私たちは未来をコントロールできないので、未知のものに対する最善策を選ぶことはできません。夜も眠らずに起こりうる問題について心配し続けることは、最低でも必要なエネルギーの浪費となり、最悪の場合、心配はあなたが必要とするエネルギーを消耗し、いざという時に適切な対応が取れなくなる可能性があります。

私たちはよく、夜中に最悪のシナリオについて過剰に心配し始めることがあります。一つの起こりうる問題が別の起こりうる問題を引き起こし、解決策に行き着くのではなく、めまいがするほどのサイクルに巻き込まれてしまうのです。

最近の研究では、私たちの想像する災難の多くは実際に起こらないことがわかっています。被験者は、一定期間にわたって心配事を書き留め、その後、想像した災難のうちどれが実際に起こらなかったかを特定するように求められました。結果、被験者が心配した事柄の85%は起こらず、残りの15%について、79%の被験者は、その困難を思ったよりもうまく対処できたか、その困難から教訓を学べたということがわかりました。つまり、あなたが心配する事柄の97%は、恐怖心が誇張や誤解を使ってあなたを苦しめているだけかもしれないということです。

[ほとんどの困難]は単に、路面のでこぼこに過ぎません。不便で不愉快なものですが、ただのでこぼこです。心配は決して(絶対に)問題を解決しません。ですから、路面のでこぼこばかり見ていてはいけません。代わりに、目をあげて、人生の旅路を歩む中で、今、この瞬間を楽しみましょう。心配に思考を乗っ取られてはいけません。—エイミー・ディー [2]

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もし世界的な娯楽を一つ挙げるとすれば、「心配」がトップに立つかもしれません。心配することでどれだけの時間を無駄にしたかを知ったら、皆おそらくショックを受けるでしょう。

その通り、無駄になったのです。ほとんどのケースで、心配は無駄になった感情です。私たちの不安のほとんどは、想像上の未来に関するものです。起こっていないし、起こらないかもしれない状況について心配しているのです。

私が人生で学んだ厳しい教訓の一つは、もっと激しく、もっと長く心配したり、他の人よりもうまく心配しても、結局は何も得られないということです。心配は生産的ではありません。ポジティブな結果を生み出しません。実際、それはより多くの心配、より大きな心配、そして進歩の欠如につながることが多いのです。…

私は心配の達人でした。昼夜を問わず心配していました。… 私の心配のほとんどは想像上のものだったのです。起こっていないし、決して起こらないことを心配していたのです。…

心配の真剣さが足りないとか、やり方が下手だったわけではありません。私はオリンピック級の心配性でした。問題は、心配が何も変えないことだったのです。

私はある教訓を学びました。今でもそれを活用しています。理由のない心配をする代わりに、できることを考えるのです。心配の種になっていることを変える方法はあるだろうかと。もしあれば、計画を立てます。もしなければ、それは心配する理由ではないはずです。

今日、あなたはどの心配を手放せるでしょうか。—アニー・グレイス

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イギリスの実業家J・アーサー・ランクは、週に1日だけ、まとめて心配すると決め、水曜日をその日に選びました。そして、不安を引き起こし、胃潰瘍を刺激する出来事が起こると、それを書き留めて「心配箱」に入れ、次の水曜日まで忘れるようにしました。興味深いのは、次の水曜日に心配箱を開けると、過去6日間に彼を悩ませたことのほとんどが既に解決していたことです。つまり、それらについて心配しても無駄だったということです。—著者不明 [3]

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神の愛の素晴らしさの一つは、神が私たちを愛していると知るとき、神が私たちの人生におけるすべてを益になるよう導き、私たちを世話してくださると知ることです。これが信仰です! そして、その信仰こそが心配や恐怖を追い払うのです。「完全な愛は恐れをとり除く」(1ヨハネ4:18)。心に神の愛を受け入れることは、暗い部屋に明かりを灯すようなものです。暗闇は消え去ります!

そうすれば、もう心配する必要はありません。あなたは、天の父があなたを愛していることを知り、あなたとあなたの家族、子供たち、未来、健康が神の御手の内にあることを知るでしょう。「天の父の許しなしには一羽のすずめも地に落ちることはない。恐れることはない。あなたがたは多くのすずめよりも、まさった者である」(マタイ6:25–34; ルカ12:6–7)。神はご自分の者を顧みられます。

ほとんど人にとって、心配と恐怖の二大要因は、過去と未来、つまり過去への後悔と未来への恐怖です。しかし、聖書はどちらについても心配しないように教えています。「後のものを忘れ」なさい、「あすのことを思いわずらうな」と(ピリピ3:13; マタイ6:34)。そして現在については、「あなた[神]は全き平安をもってこころざしの堅固なものを守られる。彼はあなたに信頼しているからである」(イザヤ26:3)と述べています。

イエスは言われます。「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう」(マタイ11:28)。この場合も、このような休息と主への信頼こそが信仰であり、神の言葉を読むことで、あなたの信仰は成長し強められるでしょう(ローマ10:17)。だから、聖書、特に福音書を読み、主の素晴らしい言葉に、あなたの恐れや心配を、信仰と信頼で置き換えていただきましょう。

そして、あなたが主への奉仕に人生を捧げ、イエスに従い他者を助けるために最善を尽くすなら、主もあなたのために最善を尽くしてくださいます。主はあなたを顧み、必要を満たしてくださるだけではありません。聖書は「主によって喜びをなせ。 主はあなたの心の願いをかなえられる」(詩篇37:4)と述べています。あなたの心配や問題は、主の心配や問題となり、あなたは「あなたの道を主にゆだね」ることができます。「神はあなたがたをかえりみていて下さるのであるから、自分の思いわずらいを、いっさい神にゆだねるがよい」(詩篇37:5; 1ペテロ5:7)。—ファミリー・インターナショナル

2024年7月アンカーに掲載 朗読:ジェリー・パラディーノ 音楽:マイケル・フォガティ


1 https://newchurch.org/explore/dealing-with-crisis-and-grief/live-with-less-anxiety-and-more-joy/

2 https://amydeespeaker.com/2020/03/02/worrying-never-solved-a-problem-funny-motivational-speaker/

3 https://www.family-times.net/illustration/Worry/201903/

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