すべてのことが共に働いて益となる

8月 10, 2025

All Things Work Together for Your Good
July 24, 2023

オーディオ所要時間: 11:09
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クリスチャンが特に困難や試練、苦難の時を過ごす際に、常に心に留めておくべき、最も励まされ、慰められることの一つは、天の父が私たちを愛し、私たちの人生を主権者として支配しておられるということです。なぜそのような試練を経験しているのか完全に理解できなくても、神はご自身の言葉の中で、「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働く」と約束されています。(ローマ8:28 新共同訳)

神は、何らかの形であなたの益にならないのであれば、それが神の子であるあなたに起こることを決して許されません。もちろん、多くの出来事があなたにとってあまり良くないように感じられることはあるでしょう。しかし、時間が経てば、遅かれ早かれ、それらが何らかの形で共に働いて益となったことに気づくはずです。あるいは、もしまだなら、この人生であれ次の人生であれ、いずれ必ずそのことを発見するでしょう。

次の実話は、この原則をよく表しています:

ある寒い冬の朝、ニューファンドランドの東海岸にある小さな港から漁船団が出航しました。ところが、午後になると大嵐が起こり、夜になっても、船団の船は一隻も港に戻ってきません。一晩中、妻や母親、子どもたち、恋人たちが、風に吹かれる浜辺を行ったり来たりしながら、手を握りしめ、どこにいるか分からない愛する人たちの無事を祈っていました。さらに恐ろしいことに、彼らの小屋の一つが火事になったのです。男たちが不在のため、火を消して小屋を救うことは不可能でした。

夜が明けると、喜ばしいことに漁船団が全船無事に港へ戻ってきました。しかし、絶望の表情を浮かべている女性がおり、それは、火事で家を失った男性の妻です。夫が上陸するのを見て、彼女は泣きながら言いました。「私たちはもうおしまいよ! 家も家財もすべて火事で焼けてしまったの!」 すると驚くことに、夫は彼女にこう告げたのです。「その火事を感謝しよう! 燃える我が家の火の光が、漁船団を安全に港へ導いてくれたんだ。」

イエスは、「見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである」と言われました。(マタイ28:20) また、「わたしは、決してあなたを離れず、あなたを捨てない」とも約束されています。(ヘブル13:5) 最もつらい試練の時でさえ、主は常に「兄弟よりも親密な友人」でいてくださいます。(箴言18:24 新改訳2017) 「たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、わざわいを恐れません。あなたがわたしと共におられるからです。」(詩篇23:4)

どんなに厳しい局面を迎えようとも、イエスはあなたと共におられます。あなたを気にかけており、たとえどんなに暗く絶望的に見える状況や環境であっても、約束された通り、何とかしてそれらをあなたのために良い方向へと導いてくださるのです。

時に私たちは人生の分かれ道に立ち
行き止まりに思えるものを見る
しかし神はもっと大きな視野を持ち
それはただの曲がり角だと告げる

道は続き、平坦になっていく
歌の小休止は一息つくためのもの
歌われず、未完成の部分こそ
最も甘美で豊かで最高のもの

だから一息つき、リラックスし、力をつけよ
神に任せ、神に荷を負っていただきなさい
あなたの働きは終わっておらず、行き止まりでもない
ただ道の曲がり角に来ただけ
ヘレン・スタイナー・ライス

私たちは、主が私たちを愛しておられ、私たちの避け所、また悩める時のいと近き助けであることを知っています。(詩篇46:1) ですから、困難や悲劇、落胆、喪失に直面したとき、まず祈りを通して主に助けを求め、答えや導き、力、励ましを願うべきです。どんな困難に直面し、クリスチャンとしてどんなに悪いことが起きても、神はそれらを共に働かせて、私たちに益をもたらしてくださると信頼できます。ただし、それがすぐに、あるいはこの生涯のうちに理解されたり、明らかにされたりするとは限りません。

主は私たちをより近くに引き寄せ、謙虚にし、より主に依存させるために、けがや病気、喪失など、一見悪いことのように思える出来事を許されることがあります。このため、聖書はこう教えています。「わたしの兄弟たちよ。あなたがたが、いろいろな試錬に会った場合、それをむしろ非常に喜ばしいことと思いなさい。あなたがたの知っているとおり、信仰がためされることによって、忍耐が生み出されるからである。だから、なんら欠点のない、完全な、でき上がった人となるように、その忍耐力を十分に働かせるがよい。」(ヤコブ1:2–4)

また、主は私たちに、罪や誤った選択の結果を経験させ、それによって私たちを正し、主の道や教えから逸れないように導かれることもあります。「『主は愛する者を訓練し、受けいれるすべての子を、むち打たれるのである。』 あなたがたは訓練として耐え忍びなさい。神はあなたがたを、子として取り扱っておられるのである。」(ヘブル12:6–7)

言うまでもなく、私たちの多くは通常、訓練が良い知らせだとは感じませんが、主はこう言われます。「すべての訓練は、当座は、喜ばしいものとは思われず、むしろ悲しいものと思われる。しかし後になれば、それによって鍛えられる者に、平安な義の実を結ばせるようになる。」(ヘブル12:11)

主は私たちを愛しておられ、それが私たちを近くに保つために必要だと知っているので、時に懲らしめを用いられます。私たちにとってそれは受け入れづらいものですが、それは主の愛の証であり、C・S・ルイスが「耐えがたい賛辞」と呼んだものです。これは私たちの信仰を成長させ、よりキリストに似た者となるための訓練の必要な一部なのです。

神が私たちの注意を引くために、何らかの出来事を許されることもあります。私たちの気がそれていたり、この世の心配事にとらわれすぎて心が主に向いていなかったりした時は、特にそうです。そうした時は、神と御言葉、そして御業という、本当の永遠の価値を改めて思い起こさせてくれます。

偉大な詩篇作者であるダビデ王は、苦しみに遭ったときにこのことを悟り、こう書きました。「わたしは苦しまない前には迷いました。しかし今はみ言葉を守ります。苦しみにあったことは、わたしに良い事です。これによってわたしはあなたのおきてを学ぶことができました。」(詩篇119:67, 71

時に主は、私たちが失望するような、または悪い出来事に思えるような状況が起こるのを許されることがありますが、それは、主の憐みによって私たちを重大な危険や困難、あるいは主の御心や目的にかなわないことから守ろうとしているからです。多くの場合、私たちが望む通りに祈りに答えてくださらないのは、未来を見通し、私たちや他の人々の人生にとって最も良い計画を知っておられるからなのです。

私たちの祈りへの主の答えは限りなく完璧であり、私たちがパンを求めるとき、石を与えることはありません。時に私たちは、パンのように見えて実際は石であるものを求めることがありますが、その間ずっと、主は私たちの限られた視点からは石のように見えるけれど実際はパンであるものを与えてくださっているのです。(参照: マタイ7:7–11) 次の話が、この点をよく表しています:

1910年の嵐の冬の夜、演奏旅行中のクリスチャン音楽家たちがコンサートをするため、バルト海沿いのリガの街に到着しました。しかし、天候が非常に悪く、コンサートホールが街はずれにあったため、オーケストラの指揮者は、音楽ホールのマネージャーに、コンサートの中止を説得しようとしました。そんなにも激しい嵐の夜に、誰も外出しないだろうと感じたからです。

マネージャーはキャンセルを拒否しましたが、もし誰も来なければ、オーケストラが早めに退場して、フィンランドのヘルシンキ行きの夜行船に乗ることに同意しました。音楽家たちがコンサートホールに着くと、観客は一人だけで、太った年配の紳士が皆に微笑みかけているようでした。

この年配の音楽愛好家のせいで、奏者たちはコンサート全編を演奏せざるを得ませんでした。そのため、早く退席して船に乗ることができなくなったのです。コンサートが終わった後も、その老人は席を立ちませんでした。眠っていると思った案内係が肩を軽く叩くと、初めてその老人が亡くなっていることに気づきました。音楽家たちは、死んでいる人のために演奏し、コンサートを最後まで行ったのでした。

しかしそうすることで、彼らは自分たち自身の命を救っていました。乗るはずだったヘルシンキ行きの船は、その嵐の夜に沈んでしまったのです。オーケストラのクリスチャンたちは、船に間に合うようにコンサートで演奏するのを避けたいと切に願っていましたが、主は一見失望させるような状況を用いて、彼らを災難から守られたのでした。

主が時に一見悪いことが起こるのを許されるもう一つの理由は、私たちをより良い器とし、主の奉仕により役立つ者、より謙虚で愛に満ちた者とするためです。火のような試練は人生の不純物を焼き尽くし、私たちを試す嵐はもみがらを吹き飛ばし、深い水は泳ぐことを教えてくれます。主はしばしばこのような試練の時を用いて、私たちが主に近づき、心を尽くして主を求めることで、一見敗北のように見える中からも大きな勝利を与えてくださいます。そうでなければ、人間の性質として、ただいつも通りに何となくやり過ごそうとする傾向があるものです。

神を愛する子どもたちの人生で、神がされることや、起こるのを許されることは、すべて愛に基づいています。そして神は、神を愛する者たちのために、万事が共に働いて益となるようにすると約束されています。ですから、どんなに暗く思える状況の中でも、下を向かないでください。上を向いて、主のいつくしみを讃え始めましょう。主は賛美と感謝を愛しておられます。御言葉には、主はご自身の民の「賛美を住まいとしておられます」と書かれているのです。(詩篇22:3 新改訳第3版)

主があなたを愛しておられることを、いつも忘れないでください。人生の最も暗い時は、しばしば、夜明けの直前です。どんな試練が降りかかっても、絶望せず、あきらめず、希望を失わないでください。苦難の時にはイエスを見つめ、御言葉にある約束を信じてください。あなたがどんな状況にあっても、主はそれを共に働かせて、あなたの益となるようにしてくださいます。「なぜなら、神の約束はことごとく、彼[キリスト]において『しかり』となったからである。だから、わたしたちは、彼によって『アァメン』と唱えて、神に栄光を帰するのである。」(2コリント1:20)

1987年ファミリー・インターナショナル出版『宝』の記事より 2023年7月に改訂・再版 朗読:ジョン・マーク

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