賛美の力

7月 22, 2025

Praise Power
August 13, 2024

引用文集

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ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神。神はキリストにあって、天上で霊のもろもろの祝福をもって、わたしたちを祝福し …。—エペソ1:3

使徒パウロとシラスが祈り場へ向かっていたとき、占いによって主人たちに多くの利益を得させていた女奴隷に出会いました。パウロは、占いの霊に、その少女から出ていくよう命じ、聖書には「その瞬間に霊が女から出て行った」とあります。(使徒16:16–18

主人たちは、収入源が失われたことに気づき、パウロとシラスを捕らえて、役人に訴えようと、広場に引っ張っていきました。やがて集まった群衆も加わったところで、長官たちは二人の衣服を剥ぎ取って鞭で打つように命じました。そして、鞭打たれた後、パウロたちは厳重な監視のもと、冷たく暗い地下牢に入れられ、足かせをはめられたのです。…

闇に包まれた地下牢の中で、「真夜中ごろ、パウロとシラスとは、神に祈り、さんびを歌いつづけたが、囚人たちは耳をすまして聞きいっていた」とあります。この光景は驚くべきものです。二人は痛みを伴う足かせをはめられ、打ち傷だらけで血まみれになり、背中は裂けた状態でした。それでも彼らには、神への賛美を歌う気力があり、そうしたかったのです。

詩篇22篇3節(新改訳第三版)は、神はご自身の民の賛美を住まいとしておられる、と教えています。だからこそ、私たちはどんなことがあっても主を賛美し、絶えずその栄光と恵みを語るべきです。神の慈しみを誇り、すべて気落ちしている人々に勇気を与え、彼らも主を賛美し、あがめられるようにすべきなのです。(詩篇34:1–3

神がパウロとシラスの賛美に応え、「突然、大地震が起って、獄の土台が揺れ動き、戸は全部たちまち開いて、みんなの者の鎖が解けて」しまいました。(使徒16:26) … 看守は目を覚まし、牢の戸が開いているのを見ると、囚人たちが逃げ出したものと思い、剣を抜いて自害しようとしました。… しかしパウロは大声を上げて、こう言ったのです。「自害してはいけない。われわれは皆ひとり残らず、ここにいる。」(使徒16:27–28)…

看守は灯りを持って来させ、駆け込んで来て、パウロとシラスの前に震えながらひれ伏しました。そして彼らを外に連れ出し、「先生がた、わたしは救われるために、何をすべきでしょうか」と尋ねたのです。(使徒16:29–30

パウロとシラスは、こう答えました。「主イエスを信じなさい。そうしたら、あなたもあなたの家族も救われます。」(使徒16:31) それから、看守とその家の人たち全員に、主の言葉を語りました。その夜、看守は二人を連れて行き、傷を洗いましたが、それは悔い改めの行為でした。そしてすぐに、彼とその家の者全員がバプテスマを受けたのです。看守は彼らを家に招いて食事をもてなし、神を信じたことで、家族とともに喜びに満たされました。

パウロとシラスは状況に動じませんでした。神を信頼し、歌と礼拝で神を賛美したのです。すると神は、暗い地下牢の中で力強く働かれ、囚人たちと看守は神の救いの力を目撃しました。しかし、最も偉大な奇跡は、看守とその家族全員の救いとバプテスマです。神の国にさらに多くの魂が加えられたこと以上に、素晴らしい結末があるでしょうか。…

神は、私たちが試練の中で捧げる賛美を待ち受けておられます。私たちが賛美の声を上げるとき、それは神に、「どんなことがあっても、私はあなたを信頼し賛美します」と語っていることなのです。そして、神とその御心に対するこの完全な降伏の中で、神の心は動かされ、行動を起こしてくださいます。—ジョイ・ボリンジャー [1]

賛美によって引き上げられる

霊的な文脈で「賛美」という言葉を聞くと、多くの人は教会や集会での礼拝、あるいはイエスへの個人的な感謝を連想するかもしれず、それは間違いではありません。確かにそのような行為は神を賛美することです。しかし、賛美の行為は、それよりもはるかに深く広いものなのです。

主を賛美するとき、それが言葉であれ、歌であれ、行いであれ、私たちは主に対して心からの感謝の気持ちを表しています。そして、私たちは常に主に賛美を捧げるよう求められています。偉大な王であり詩篇作者であるダビデは、「わたしは常に主をほめまつる。そのさんびはわたしの口に絶えない」と言いました。(詩篇34:1)

「常に主をほめまつる」というのは、「良いとき」だけ主をほめたたえ、賛美するということでしょうか。

ハバクク3章17–18節には、こうあります。「いちじくの木は花咲かず、ぶどうの木は実らず、オリブの木の産はむなしくなり、田畑は食物を生ぜず、おりには羊が絶え、牛舎には牛がいなくなる。しかし、わたしは主によって楽しみ、わが救の神によって喜ぶ。」

不快な状況や苦痛の中で、主を賛美する気になれないのは自然なことです。むしろ、それは不合理な期待にさえ思えるという人もいるでしょう。しかし、そのように賛美することで、私たちは神がその状況で働き、御心を成し遂げられるという信仰を表すのです。ヨナは、まったくその気になれなかったとは思いますが、主を賛美した後に、鯨の腹から吐き出されました。そのように、私たちも賛美することによって、悲しみや心の痛みという穴から引き上げられて、まっすぐ主の御前に行くことができます。(参照: ヨナ2章

私たちの人生や周りの人々の人生において、不公平で残酷な状況が起こったとき、神に対して憤りを感じるのは簡単です。しかし、憤りは、私たちの人生における神の力の流れを阻害します。使徒パウロは、「すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって、神があなたがたに求めておられることである」と私たちに思い出させています。(1テサロニケ5:18) 賛美することは、困難な状況を乗り越える力を与えるだけでなく、神の御心(「神があなたがたに求めておられること」)なのです。

あなたの痛み、落胆、絶望に対する治療法を探していますか。主に向かって手を、そして何よりも心を上げて、賛美し続けてください。そうすれば、あなたはより高い場所へと引き上げられることでしょう。—スティーブ・ハーツ

神を賛美することの恩恵

私たちはキリストに従う者として、祈りや、聖書を読むこと、感謝など、多くの重要な霊的習慣を生活に取り入れています。… しかし、神を賛美する習慣を忘れてはなりません。苦しんでいる時には、特に重要になります。

なぜ賛美がそれほど重要なのでしょうか。…

賛美はあなたの霊を高めます。詩篇42篇5–6節(英語NLT訳)には、こうあります。「なぜ私は落ち込んでいるのか。なぜ私の心は悲しんでいるのか。私は神に望みを託そう。わが救い主である神を、なお賛美しよう。今、私は深く落胆していますが、あなた[神]のことを思い出すようにします。」

今日の世界には、確かに落胆の種がたくさんあります。しかし詩篇42篇は、私たちが落ち込んだとき、神を賛美して、人生で神がなされたことを思い出すよう教えています。世界は希望を求めています。私たちはイエスに従う者として、唯一真の希望の理由が何であるかを知っています。だからこそ、礼拝はそんなにも活力を与えるのです。それはあなたの目を悩みから離し、イエスに向けさせます。

賛美は神の臨在を感じる助けになります。あなたが感じようと感じまいと、神は常に臨在しておられます。私たちが神の臨在を感じないときがあれば、それは私たちが神から離れたからです。神は離れていません。

神の臨在を感じないときこそ、最も賛美を必要としています。感じたら賛美するというよりも、賛美することで感じるようになる方が簡単です。そもそも、感じると感じないとにかかわらず、正しいことを行うのが、成熟というものです。聖書には、こうあります。「正しい人は御名を賛美し、真っ直ぐな人はご臨在の内に住むでしょう。」(詩篇140:13 英語NIV訳)

賛美は神に対する認識を広げます。聖書は、詩篇69篇30節でこう教えています。「わたしは歌をもって神の名をほめたたえ、感謝をもって神をあがめます。」[2] 拡大鏡で何かを見ると、それは大きく見えます。神が大きくなると、私たちの問題は小さくなります。あなたの問題が大きくなるか、神が大きくなるか、どちらを選ぶかはあなた次第なのです。…

賛美は神の祝福を思い出させます。大きな問題について考えていると、ただそれだけを考えがちです。そうなると、それは私たちの生活全般に影響を与えます。…

賛美はその不均衡を正します。あなたの人生のすべてがひどい状態なのではないことを、思い出させてくれるのです。聖書は、詩篇105篇でこのパターンを描写しています。「神に感謝せよ。御名によって主に祈れ。出会うすべての人に、主がなされたことを告げよ。主に向かって歌い、賛美を響かせ、その驚くべきみわざを音楽にせよ。… 主が造られた驚くべき世界と、主がなされた奇跡と、下された裁きとを、心にとめよ。」(詩篇105:1–2, 5 英語MSG訳)

問題がある時、私たちは否定的なことばかり考えがちです。しかし、賛美は、あなたがどんな存在であり、また、神がどんな存在であるかを、思い出す助けになるのです。—リック・ウォレン [3]

賛美の力にできること

私たちには、神を賛美すべき理由がたくさんあるし、神をたたえることには大きな力があります。… 聖書には、賛美によって神の力が解き放たれる例が数多く記されています。人生を変える奇跡、敵が阻止され敗北するという劇的な物語、心が変えられて神に近づくといったことが。

しかし現実には、日々の苦労や絶え間ない生活の要求に追われ、神への賛美が押しやられてしまうことがあまりにも多くあります。… 時として、賛美を捧げることは、真の犠牲となるのです。そんな気分でないかもしれません。悪戦苦闘していたり、疲れていたりすることもあります。あるいは神に失望させられたと感じており、神は遠い存在で、私たちの悩みに関心がないように思えるかもしれません。最近人生において、何らかの打撃を受けたか、大切な人を失ったために、絶望の淵に落とされたという場合もあるでしょう。…

賛美は私たちの焦点を自分自身から神へと引き戻します。自分に焦点を当てる「自撮り」モードの現代社会では、人生が自分だけで成り立っているのではないということを、常に思い出す必要があります。頭ではわかっていても、心ではしばしば違う考えになっているものです。… 神は私たちの目がしっかりとご自身に向けられることを望んでおられます。なぜなら、そこにこそ真の希望があるからです。…

私たちは、この人生で毎日選択を迫られています。心配やストレスに囚われ、忙しさに追われ、身の回りのことだけに目を向け、世の中の喧騒に同調する生き方を選ぶこともできるでしょう。あるいは、自分の問題や混乱、他人の声など、周囲に渦巻くすべてのものから目を離すことができるよう、神に助けを求めることもできます。そして、見上げることができます。すべてを手中に収め、私たちを御手の内に保ってくださる神を仰ぎ見るのです。

神は私たちの心全体を望んでおられます。私たちが立ち返るのを待っておられます。私たちの人生に働く主の臨在の力を知ることを、切望しておられるのです。私たちの想像を超えるほどに祝福したいと望んでおられます。主の御霊は私たちを前へと促し、もっと近くへと呼び寄せてくださいます。

愛する神さま、私たちは今日、歌いながら、心を込めてあなたを賛美します。あなたが真実であるがゆえに、また、あなたの偉大な力と愛ゆえに、あなたを賛美します。私たちがあなたを必要としていることを告白します。自分だけでぐるぐる動き回っていても、人生はうまくいきません。私たちは、もがき、心配し、疲れ、へとへとになりますが、そんなときでも、あなたは決して私たちから離れ去ることがありません。あなたの臨在に感謝します。私たちへの配慮に感謝します。私たちの魂に新たな命を吹き込んでくださることを感謝します。私たちがあなたに目を注ぐにつれ、あなたの御霊が私たちを満たして、あなたに近づけ、あなたの目的を私たちを通して成し遂げてくださいますように。イエス・キリストの御名によって、アーメン。—デビー・マクダニエル [4]

2024年8月アンカーに掲載 朗読:ガブリエル・ガルシア・バルディビエソ 音楽:ジョン・リッスン


1 https://awakenedtograce.com/the-power-of-praise-and-worship

2 訳注: 「あがめる」を意味する英語の「magnify」には、他にも「大きくする・見せる」という意味があります。

3 https://pastors.com/7-benefits-of-praising-god

4 https://www.crosswalk.com/blogs/debbie-mcdaniel/what-the-power-of-praise-can-do.html

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