主との時間をとる

3月 28, 2025

Taking Time with the Master
January 9, 2025

「より幸せな人生の秘訣」シリーズ

オーディオ所要時間: 14:54
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課題

人生は時に混乱するものです。答えを探し求めているうちに、さらなる疑問を抱えてしまうということもよくあります。何のためにここにいるのか、なぜ世界にはこんなにも多くの痛みや悲しみがあるのか、物事がうまくいかないように見えるとき、どこに希望を見出すことができるのか、人生の困難に立ち向かう強さはどこで得ればいいのか、永続する幸せはどこにあるのかと。

この全ての質問の答えばかりか、それ以上のものが、イエスとの個人的で親しい関係において見出されます。イエスは、私たちに天国での永遠の命を約束されるだけでなく、私たちが天国に着くまで、毎日、毎時間、共にいると約束しておられます。希望、喜び、平安、自由、そして永遠の愛に満ちた未来を約束してくださっているのです。聖書は私たちに、尊ぶべきこと、正しいこと、真実なこと、徳と言われるもの、称賛に値するものを「心にとめなさい」と告げています。(ピリピ4:8

神は私たちのために、私たちとともにおられます。そして何よりも、神は私たちの内におられ、決して私たちを離れず、見捨てることがありません。(ヘブル13:5) イエスの十字架上の犠牲は、私たちを罪の重荷から解放し、「光のうちにある聖徒たちの特権にあずかるに足る者」とならせてくださいました。神は私たちを「その愛する御子の支配下に移して下さった。わたしたちは、この御子によってあがない、すなわち、罪のゆるしを受けている」のです。そして、キリストは今、「栄光の望み」として私たちの内にいてくださいます。(コロサイ1:12–14, 27) 神は私たちを愛し、気にかけておられます。そして、私たちが人生で直面するすべてのことを通して共にいてくださるのです。

1939年、戦争の予兆に直面し、何もかもが不確実だった時代に、イギリス国王ジョージ6世はクリスマス演説で、ミニー・ルイーズ・ハスキンズが書いた詩『神は知っている』の序文を引用しました。「そして、私は年の門の前に立っていた男に言った。『灯りをください。そうすれば未知の世界に安全に踏み出すことができます。』 すると彼は答えた。『暗闇の中に出て行き、神の御手の内にあなたの手を預けなさい。それはあなたにとって、灯りにまさるものとなり、慣れた道を行くよりも安全なのだ。』」

イエスは世の光です。そして、私たちがイエスに従うなら、決して暗闇の中を歩むことはなく、いのちの光に導かれると約束されました。(ヨハネ8:12

聖書の言葉は...

すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。この言に命があった。そしてこの命は人の光であった。光はやみの中に輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった。—ヨハネ1:3–5

心をつくして主に信頼せよ、自分の知識にたよってはならない。すべての道で主を認めよ、そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。—箴言3:5–6

ショックアブソーバー(緩衝器)

ああ、またあの溝だ! それは車で家に帰る途中のことです。もう何カ月も毎日同じように、ガタガタという衝撃を避けるため、道路のくぼみの上をゆっくりと運転しなければなりませんでした。

一般点検の時期だったので、いつもの整備工場に車を持って行きました。整備士は店に車を入れようとしてハンドルを握り、ブレーキを踏むと、驚いたような顔で私に向かってこう尋ねました。「こんな状態でどうやって運転してたんですか? ショックアブソーバーが壊れてますよ。」 部品を交換してもらい、私は家へと向かいました。

おっと、またあの溝です。整備されたばかりの車を運転して家に帰る間、私は何か他のことを考えていて、見慣れた溝があるのに減速し忘れ、気づいたときはもう手遅れでした。絶対に衝撃が来ると思って身構えましたが、溝の上を通ったことさえ、ほとんど感じませんでした。ショックアブソーバーのない車の運転に慣れきっていた私は、それがあったらどうなるかを忘れていたのです。

状態の良い道だけを走っていれば、ショックアブソーバーはほとんど必要ありませんが、状態が悪かったり、ガタガタするくぼみや穴があったりすると、話は別です。人生もそういうものではないですか? たいていの場合、神に感謝することに、乗り心地はとてもスムーズです。しかし、親しい人を失ったり、事業に失敗したり、ケガで人生を揺るがされたりしたときはどうでしょう。停電でエレベーターに何時間も閉じ込められたり、地震やその他の災害に見舞われたりしたら? どのような「ショックアブソーバー」があれば、このようなアクシデントを切り抜けられるのでしょう。

ゴルゴダの丘までの険しい道を歩き、そこであなたと私のために命を捧げた方に尋ねてみなさい。イエスは言われました。「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。」(マタイ11:28) 「これらのことをあなたがたに話したのは、わたしにあって平安を得るためである。あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている。」(ヨハネ16:33)

多くの人が、ショックアブソーバーなど全くなしで、ガタンときそうな道のデコボコや穴を注意深く避けて人生の道を運転しています。彼らは平坦な道だけを運転しようとします。なぜなら、突然の衝撃に備える準備ができていないことを知っているからです。イエスが提供してくださる平安、つまり地上の乗り物のための霊的ショックアブソーバーを持っていません。もしかしたら、ショックアブソーバーが必要であることも、それがどれほどの磨耗や損傷を防いでくれるかも知らないかもしれません。

人生の道にはでデコボコがつきものです。それは避けられません。しかし、あなたの下でイエスの愛に満ちた手が支えているなら、あなたはそれらを乗りこなすことができ、どんなに多くのデコボコや障害に直面しても、最終目的地に安全に到着することができるのです。

主の手に身を委ね、それがあなたにどんな違いをもたらすか、見てください。—マシュー・ナンテス

プレッシャーを感じていますか?

やらなければならないことが山積みで、それをこなす時間がないように思えると、プレッシャーに押しつぶされそうになるものです。そのような時、私たちは神の御言葉や祈り、神との交わりに時間を費やすことを後回しにしてしまいます。聖書に登場するマルタのように、他の人を世話したり、仕えたりなど、「多くのことに心を配って思いわずら」ってしまうのです。イエスはマルタに、「無くてならぬものは多くはない。いや、一つだけである」こと、そして、それは私たちから決して取り去られることのない「良い方」であることを、優しく思い起こされました。その良い方とは何なのでしょう。マルタの妹マリヤが「主の足もとにすわって、御言に聞き入って」いたことが、その典型的な例です。(ルカ10:38–42

ストレスは、他にもさまざまな形で私たちの妨げとなります。神経系に余計な負担がかかり、ミスや誤った決断をしやすくなります。また、インスピレーションがなくなり、イライラしやすくなり、一緒に仕事をするのが難しい人になってしまいます。そして、人生から喜びを奪われ、さまざまな面で望む結果が得られなくなります。

プレッシャーに押しつぶされそうになったときにそれを察知し、それに対抗するための積極的な手段を講じることを学ぶことは、身につけるべき重要な習慣です。これは、私たちの思い煩いや重荷をすべて祈りによって主に委ね、主の助けと導きを求めることから始まります。「神はあなたがたをかえりみていて下さるのであるから、自分の思いわずらいを、いっさい神にゆだねるがよい。」(1ペテロ5:7)

プレッシャーを感じるとき、真っ先に予定から外されてしまうのは、最も必要としていること、すなわち主や御言葉との日々の交わりの時間であることが多いものです。私たちは、昨日の過ちや失敗に関する思い煩いや、将来への心配や恐れをすべて、神に委ねる方法を学ばなければならなりません。聖書はこう告げています。「あなたの荷を主にゆだねよ。主はあなたをささえられる。主は正しい人の動かされるのを決してゆるされない。」(詩篇55:22)

過去は変えられませんが、将来を心配し、過度なプレッシャーにさらされることで、完璧に良い現在を台無しにしてしまう可能性があることを思い出すことは、役に立つでしょう。一日を通して静かに祈り、神と交わり、神の御言葉を読む時間を取ることができれば、荷は軽くなるでしょう。重荷を負って神のもとに行くとき、神は私たちの魂に休息を与えてくださるし、私たちが神に信頼を置くなら、希望と喜びを新たにしてくださるのだということが、わかるでしょう。(マタイ11:28–30

ストレス管理

人生におけるストレスとの戦いは、頭の中で始まります。それはあなたの思考の中にあるのです。心を何で満たすかによって、ストレスのレベルが決まります。心の平安を望むなら、心の中に何を入れるかをコントロールしなければなりません。ほとんどの人にとって、心はフリーウェイのようなものです。それはどんなものでも通してしまうのです。... そして、心のフリーウェイがあらゆるもので汚染されると、彼らは驚きます。そして、なぜストレスが多いのか不思議に思うのです。

聖書は別の道を提示しています。ピリピ4章8節にはこうあります。「すべて真実なこと、すべて尊ぶべきこと、すべて正しいこと、すべて純真なこと、すべて愛すべきこと、すべてほまれあること、また徳といわれるもの、称賛に値するものがあれば、それらのものを心にとめなさい。」

ストレスを減らすには、何を考えるかを変えることです。この聖句で、聖書はあなたが何かを心の中に入ることを許すべきかどうかを判断するための8つのテストを与えています。こう自問してみましょう。あなたが一週間を通して心の中に入れているのは、真実なこと、尊ぶべきこと、正しいこと、純真なこと、愛すべきこと、ほまれあること、徳といわれるもの、称賛に値するものですか? もしそうでないなら、そろそろ違うもので心を満たし始める時でしょう。

この8つの特性のひとつひとつが、実は神を表しています。だから、真実なこと、尊ぶべきこと、正しいこと、純真なこと、愛すべきこと、ほまれあること、徳といわれるもの、称賛に値するものについて考えるとき、あなたは実際、神の姿を思い浮かべているのです。イザヤ26章3節には、こう書かれています。「あなたは全き平安をもってこころざしの堅固なものを守られる。彼はあなたに信頼しているからである。

第二次世界大戦中、オランダ人クリスチャンのコーリー・テン・ブームは、この聖句の真理を知っていました。彼女とその家族はナチスからユダヤ人をかくまい、最終的には死の収容所に送られ、妹と父はそこで亡くなりました。しかし、その恐ろしい時を経て、彼女は穏やかな思いで生きる秘訣を発見したのです。彼女はこう言いました。「世界を見れば、あなたは苦悩するでしょう。自分の内面を見れば、絶望するでしょう。しかし、キリストを見つめるなら、あなたは安らぐでしょう。」

あなたの周りで何が起ころうとも、... 神に思いを寄せるなら、神はあなたを完全な平安のうちに保ってくださいます。—リック・ウォレン [1]

考えてみよう...

聖書の言葉は...

それだから、あなたがたに言っておく。何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命のことで思いわずらい、何を着ようかと自分のからだのことで思いわずらうな。命は食物にまさり、からだは着物にまさるではないか。… あなたがたのうち、だれが思いわずらったからとて、自分の寿命をわずかでも延ばすことができようか。… だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。—マタイ6:25–34

あなたがたは立ち返って、落ち着いているならば救われ、穏やかにして信頼しているならば力を得る。—イザヤ30:15

2025年1月アンカーに掲載 朗読:ジョン・ローレンス


1 https://pastorrick.com/stress-management-starts-in-the-mind-2

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