主はすべての所におられる

3月 10, 2025

Present in Every Place
June 16, 2021

ジュール・ローク

旧約聖書に登場するヤコブと言えば、人をだましたり欺いたりするというイメージがあります。その名前の由来は、「人を押しのける(出し抜く)者」[1] であり、ヤコブはまさに人を押しのけることで、彼が人生で最高と思ったものを手に入れたのでした。(創世記27:36)

口先がうまいヤコブは、絶妙なタイミングでこっそりと料理し、長子の権を手に入れました。彼は母の助言に従って、兄の振りをすることで普通は長子に与えられる特別な祝福を横取りしたのです。

「どうか神が、天の露と、地の肥えたところと、多くの穀物と、新しいぶどう酒とをあなたに賜わるように。もろもろの民はあなたに仕え、もろもろの国はあなたに身をかがめる。あなたは兄弟たちの主となり、あなたの母の子らは、あなたに身をかがめるであろう。あなたをのろう者はのろわれ、あなたを祝福する者は祝福される。」(創世記27:28–29)

ヤコブはほしいものをすべて手にしたかのように見えました。長子の権を手に入れ、祝福を手に入れたのです。

けれども、期待通りに事は運びませんでした。祝福を受けたばかりのヤコブは、兄の憎しみと復讐から逃れるために命からがら逃亡して、追放者同然になってしまったのです。まず、見知らぬ土地へと旅立ちました。母方の親戚の家に向かってはいたのですが、そこで何が待っていたかはわかりませんでした。ありとあらゆる予想外の困難に直面していたヤコブは、途方もなく大きな疑問を抱きながら一人旅をしていたことでしょう。

ある夜、野宿していた時のことです。着ている服で寒さをしのぎ、石を枕にして地面に直接横たわりました。体は疲れ果て、魂に虚しさを感じながら、ヤコブは眠りにつきました。

そこで、ヤコブは天まで伸びたはしごの夢を見ます。そのはしごを、天使たちが主の御前から下ったり上がったりしているのです。神はヤコブに語り、こう約束されました。

「わたしはあなたの父アブラハムの神、イサクの神、主である。あなたが伏している地を、あなたと子孫とに与えよう。あなたの子孫は地のちりのように多くなって、西、東、北、南にひろがり、地の諸族はあなたと子孫とによって祝福をうけるであろう。わたしはあなたと共にいて、あなたがどこへ行くにもあなたを守り、あなたをこの地に連れ帰るであろう。わたしは決してあなたを捨てず、あなたに語った事を行うであろう。」(創世記28:13–15)

目が覚めて、ヤコブはこう言いました。「まことに主がこの所におられるのに、わたしは知らなかった。」(創世記28:16)

私たちが見落としがちな素晴らしい真理、それは、主はあらゆる所におられるということです。あらゆる困難の中に。あらゆるつらい関係の中に。あらゆる理解しがたい人の中に。あらゆる寂しい場所に。流された、あらゆる涙の中に。

主はそばにいて手を差し出し、その愛の表現によってご自身のいますことを表しておられます。希望に満ちた思い、元気が出る夢、意欲がわく言葉、心が温かくなるハグ、思いがけない友情といった表現によって。

私たちが希望を見いだし、恵みを感じるたびに、キリストが、「わたしはあなたとここにいる。あなたは一人ではない」と言っておられるのです。

私たちももしかしたら、ヤコブのように恵みから外れてしまった、あるいは、永遠の記録に汚点が刻み付けられた、と思えるようなことをしたかもしれません。けれども神の言葉に心を開くなら、イエスがすぐそばにおられることがわかるでしょう。あなたに、天の下で起こる全ての出来事には時があるとささやいておられ、それには困難な出来事も含まれるのです。(伝道の書3:1

結局の所、愛を本質とされる主は、あなたの人生の一瞬一瞬、すべての瞬間にそこにおられる方です。主は最後に至るまで、いつもあなたと共にいてくださいます。死のように見えるすべてのものに命をもたらすと約束し、嵐の黒雲の向こうに虹を見させてくださいます。

神の約束を聞いた後、ヤコブは石の枕を手に取って祭壇のようなものを作ります。それから、主に誓いを立てて、こう言いました。

「神がわたしと共にいまし、わたしの行くこの道でわたしを守り、食べるパンと着る着物を賜い、安らかに父の家に帰らせてくださるなら、主をわたしの神といたしましょう。またわたしが柱に立てたこの石を神の家といたしましょう。そしてあなたがくださるすべての物の十分の一を、わたしは必ずあなたにささげます。」(創世記28:20–22)

どうやら、天国のビジョンを見た後でも、ヤコブは完全に確信したわけではないようです。私たちも時々、そのようになりませんか。約束や祈りへの答えを受け取り、奇跡や望んでいた結果を見たにも関わらず、神が最初から最後まですべてを考え尽くしておられることがまだ確信できないのです。

驚くことに、神はありのままの私たちを受け入れられます。そして、神に目を留めて一歩ずつ従うことで、主の後をついて行き、信仰を深めるよう、私たちを励まし続けておられます。私たちがそうするにつれ、神は約束を守ってくださることがわかってきます。ヨシュアのように、こう言えるのです。「あなたがたがみな、心のうちにまた、肝に銘じて知っているように、あなたがたの神、主が、あなたがたについて約束されたもろもろの良いことで、一つも欠けたものはなかった。みなあなたがたに臨んで、一つも欠けたものはなかった。」(ヨシュア23:14)

ヤコブが伯父ラバンの家に住み、20年間働いた後、故郷に帰ることにしました。ヤコブは父の顔を思い浮かべました。父はヤコブが戻ってきたら大喜びするでしょう。けれども兄のエサウはどうでしょうか?

エサウはかつてヤコブを殺すと誓っており、死んでほしいと思っていました。20年の月日で復讐の炎が和らぐものでしょうか。突然、これから先どうなるかわからなくなりました。特に、ヤコブが帰る知らせを受けて、エサウが400人を率いて迎えに来ると聞いたからです。

ヤコブは祈りました。「あなたがしもべに施されたすべての恵みとまことをわたしは受けるに足りない者です。どうぞ、兄エサウの手から私をお救いください。私は彼がきて、私を撃ち、母や子供たちにまで及ぶのを恐れます。あなたは、かつて、『わたしは必ずおまえを恵み、おまえの子孫を海の砂の数えがたいほど多くしよう』と言われました。」(創世記32:9–12)

ヤコブは神に、かつての約束を思い起こさせましたが、それだけでは足らないと考えました。そこである計画を立てました。まずエサウのために贈り物を準備しました。ヤギ220匹、羊220匹、乳ラクダ30頭とその子ども、牛50頭とロバ30頭です。ヤコブはこれらの家畜と世話人たちをエサウがやってきている方向に送り、この贈り物がエサウの怒りを鎮め、自分たちに危害を及ぼさないようにすることを望みました。それからヤコブは、二人の妻と息子たち、そしてすべての持ち物をヤボク川の向こう岸に渡しました。こうして恐れを抱えながら一人残ったヤコブは、兄との遭遇について計画を立て、準備をし、物事を進めるために、自分にできることはもはやなにもないとわかっていました。

ヤコブは再び神と格闘しました。今回は、祈りのことを言っているのではありません。聖書にはこう書かれています。「ヤコブはひとりあとに残ったが、ひとりの人が、夜明けまで彼と組打ちした。」 それはただの人ではありません。そして、ヤコブは彼を去らせませんでした。彼の腿の関節が外れたにも関わらず、手を離さなかったのです。その人はこう言いました。「夜が明けるからわたしを去らせてください。」 でも、ヤコブはこう答えました。「わたしを祝福してくださらないなら、あなたを去らせません。」(創世記32:24, 26)

この20年前、ヤコブはずっとほしがっていた祝福を受け取りました。嘘とごまかしによって。今回、ヤコブは相手を去らせることを拒み、くたくたになりながらも朝まで手を離さずにいることによって、祝福を得ました。彼は祝福を受けただけでなく、「イスラエル」という新しい名前ももらいました。「神の君」という意味です。(創世記32:28 英語欽定訳より) けれども、楽に勝てたわけではありませんでした。ヤコブは残りの人生ずっと、足に障害を負ったのです。

それまでヤコブは、次にどんな動きをすべきかを計算し、自分がトップに立てるような決断をすることばかり考えていました。けれども、今回は人間ではなく神にしがみつき、手を離さず、さらには格闘しなくてはならない状況でした。そして、確固たる勝利を得るには一つしか方法がないとわかりました。それは、神の力と祝福を通して、また、神のタイミングと方法においてのみ得られるものなのです。

ヤコブがその夜、何を考えていたのかわかりませんが、その夜以来、彼の人生は変わりました。股関節の脱臼は、それ以降の生涯に渡って、その不思議で神秘的な夜を思い出させたことでしょう。また、神はいつも彼と共にいるとの約束を守る方であるという信仰を持つための新たな一歩になったのは間違いありません。

これは私たち全員にある程度、言えることだと思いますが、私たちはすべてうまくいくように、なんとか確認したいのです。希望や契約、将来への夢がすべて確かに約束されていることを望みます。けれども神はそのようなやり方はされません。

私たちは神と格闘し、自分たちの計画や考えを神に納得させようとすることがあります。けれども、力を出し切り、反論が無駄だとわかった夜明けに、やっと、私たち自身の計画が結実に至るというわけではないのだと気づき始めます。私たちの夢が、黄金に輝く海を優雅に舞うのではありません。勝利を得るのは私たちの戦略ではないです。

それはすべて神の力と、人生における神の計画です。どんなに見込みのない状況に思えても、神の約束は決して揺るぎません。神が「あなたがどこへ行くにもあなたを守り、決してあなたを捨てず、あなたに語った事を行うであろう」と言われるなら(創世記28:15)、ただ信頼し、信じ、約束にしがみつくと良いでしょう。

そして神の永遠にわたる約束は、どんな時でも私の計画よりずっと確実なのです。

若者向けのキリスト教的人格形成リソース「Just1Thing」ポッドキャストより、一部変更


1 See https://www.behindthename.com/name/jacob.

Copyright © 2025 The Family International