2月 26, 2025
最近、友情についていろいろと考えていました。友は大切です。家族は選べませんが、友は選べます。フェイスブックのアカウントでは、友だちリクエストを承諾することも拒否することもできます。ある意味では、実生活も同じだと言えます。誰と友だちになるか選べるという事実自体、友情を特別なものにしています。友はあなたを選び、あなたも友を選んだからです。
良い友は人生の大きな財産です。19世紀末の有名な牧師かつ作家であるチャールズ・スポルジョンはこう言いました。「友情とは、人生における最も甘美な喜びの一つである。友がいなければ、多くの人は試練の苦味のどん底に落ちたままだろう。」
「試練の苦味のどん底に落ちたまま」にならないよう誰かを助ける友になるには、すごい事をしたり、素晴らしい言葉を語ったり、大きなものを与えたりしなくてはならないと思うかもしれません。けれども、友情について真に大切なことは、最も必要される時にそばに行き、一緒にいてあげるといったシンプルな行為であることを見いだしました。あなたを大切な存在にするのは、高価なプレゼントや深遠な言葉、想像を絶する楽しいことのアイデアではありません。それらもすごいことですが、それ以上に、あなたはきっとそばにいてくれると誰かが頼りにしてくれるなら、あなたはその人の真の友なのです。
サム・レイバーンという人の話を読んだことがあります。この男性は重要な職務に就いていました。アメリカの下院議長を17年間務めており、それはアメリカ史上最長の任期でした。ある夜、レイバーンの親友は、十代の娘を思いがけず急に亡くしました。翌朝早く、家のドアをノックする人がおり、ドアを開けると、サム・レイバーンが立っていて、こう言ったのです。「何か手伝えることはないかと来てみたんだが。」
娘の死のショックと悲しみで動揺している親友は、「葬儀の手配はすべて終わったので、頼むようなことは特にないよ」と言いました。
レイバーンは友人の肩に手を置き、優しくこう告げました。「朝のコーヒーはもう飲んだのかい?」 友が「まだ何も食べていない」と言うと、レイバーンは「せめて君の家族のために朝食を作らせてくれないか?」と尋ねました。
キッチンで朝食を作っていたレイバーンに友人が尋ねました。「今朝はホワイトハウスで朝食をすることになっていたんじゃないかい?」
すると、レイバーンが答えました。「まあ、そうだけど、大統領には電話を入れて、友人が自分のことを必要としているので、朝食には行けないと言ってあるんだ。」
友だちとして「そばに行く」とはどういうことかを考えていた時、16歳だった頃のことを思い出しました。私のクラスにある男子がいたのですが、ここではマーカスと呼びましょう。彼は口数が少ない物静かなタイプで、私もどう話しかけたらいいかわかりませんでした。学校のプロジェクトを一緒にしたこともありましたが、それ以外のことで話すことはなかったのです。
学年が半分過ぎた頃、マーカスの人生に何かが起こりました。何だったのか覚えていませんが、彼が明らかに悩んでいたのは確かです。マーカスには友が必要だと思いましたが、どうやって彼と友だちになればいいのかわかりませんでした。ある日の放課後、勇気を振り絞って彼の家に行くと、ガレージで作業をしているマーカスを見つけました。私はちょっと声をかけた後、ただ彼のそばに座って、古い時計を分解している姿を1時間ほど見ていたのです。正直に言うと、そこにただ座っているのはぎこちなく感じたし、自分が少しでも助けになっているのか、わかりませんでした。
その後、学校が少しの間休みになったので、マーカスを見かけることはありませんでした。でも、次に彼に会った時、驚かされました。彼の方からやって来て、話しかけてくれたのです。私たちは長い間話し、それ以来、友情は続いています。会いに行くという一見ぎこちない行為によって、彼は私を信頼してくれたのです。これが友情を築く大切な一歩になるとは思ってもみませんでしたが、あの日彼の家に行ったことを心からうれしく思っています。
私が大好きな、友情に関する聖句が2つあります。両方とも箴言からです。「友はいずれの時にも愛する。」(箴言17:17) 「兄弟以上に親密な[すぐそばにいる]友人もいる。」(箴言18:24 新改訳2017)
最初の節は、短い文章ではあっても、友情はありとあらゆる物事を共に切り抜けられることを示しています。仲良くできない時、怒っている時、ストレスや悲しみ、試練があってしばらく身を引いてしまうような時も。人生は慌ただしくてんてこ舞いになることもあります。成功する時も失敗する時もあります。しかし、どんな時にも、友が自分を愛してくれていると知っています。自分のことを大事にしてくれ、大切に思ってくれ、信じ、支えてくれると知っているのです。
2番目の節は、良い友がそばにいてくれることを語っています。うまくいかない日が1日や1週間、あるいは1年続いても、良い友は離れません。「そばに行く」とは、友だちのフェイスブックにコメントを送ったり、電話したり、携帯メールを送ったりなど、実際に姿を見せることなしに接触することかもしれません。祈ることもそれに含まれます。
アルベルト・シュバイツァーはこう言いました。「誰の人生にも、内なる炎が消えることがある。そして、それが別の人間との出会いによって燃え上がることが。私たちは皆、内なる精神をふたたび燃え上がらせてくれる人に感謝すべきである。生きている間、私たちは与える側になることもあれば受ける側になることもある。誰かの心に希望と喜びの火をふたたびともす存在になることもあれば、誰かから元気にしてもらわなければならない場合もある。」
友を必要としていた時に誰かが玄関に現れたら(またはフェイスブックにコメントを送ってくれたら)、その日は幸せな日になります! 悲しむ友のそばに行ったサム・レイバーンはきっと、娘の死を経験した親友家族にとって最初の希望の光になったことでしょう。また、絶望的になっていた家族が前に進み続ける力になったかもしれません。私はそう信じたいです。
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一番の親友とは、私の一番いいところを引き出してくれる人である。—ヘンリー・フォード
覚えておいて。人生で最も価値のある骨董品とは、古くからの友人であることを。—H・ジャクソン・ブラウン・ジュニア
友情は幸福を向上させ、不幸を和らげる。喜びを倍増させ、悲しみを分かち合うことによって。—マルクス・トゥッリウス・キケロ
私は光の中を一人で歩むよりも、むしろ闇の中を友と歩みたいのです。—ヘレン・ケラー
私は、『紳士は金髪がお好き』のローレライ・リーは間違っていると常々言ってきました。ダイヤモンドが女性の親友なのではなく、親友こそがあなたのダイヤモンドなのです。圧力を受けて、極めてたくましくなり、驚くべき価値を持つようになった親友たちのことです。—ジーナ・バッレーカ
友とは、美しい思い出のタペストリーを織りなす糸。—不詳
真の友人は、あなたの弱さを知りながらも、強さに気づかせてくれる。あなたの恐れを感じながらも、信仰を強めてくれる。あなたの不安を見ながらも、霊を自由にしてくれる。あなたの能力の足りない点を認識しながらも、可能性を強調してくれる。—ウィリアム・アーサー・ウォード
友情に厚い人は最後まで愛する。—不詳
若者向けのキリスト教的人格形成リソース「Just1Thing」ポッドキャストより、一部変更
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