問題は、なぜあるのか

2月 10, 2025

Why Problems?
December 9, 2024

「より幸せな人生の秘訣」シリーズ

オーディオ所要時間: 14:45
オーディオ・ダウンロード(英語) (13.6MB)

課題

クリスチャンとして、私たちは問題や課題、日常生活の困難から免除されているわけではありません。しかし、異なる点があります。それは、私たちには、神との個人的な関係やキリストへの信仰による救いがあり、天国での永遠の未来が約束されていることです。クリスチャンである私たちは、たとえ物語の困難な章の途中にいるとしても、結末を知っています。(1テサロニケ4:13–18) また、神は私たちが経験するすべてのことに目的を持っておられ、私たちの益となるように万事を共に働かせると約束されていることも知っています。(ローマ8:28

歴史は、苦難や災難や逆境の時が、しばしば偉大なる勇気、犠牲的行為、進歩をもたらしたことを示しています。英国の作家ケイレブ・コルトン(1777–1832)は、「最も純粋な鉱石は最も熱い炉から産出され、最も明るい雷鳴は最も暗い嵐から生まれる 」と書きました。

古代ギリシャの物語に、アンティゴノス(紀元前382–紀元前301)の配下にいた兵士の話があります。その兵士は、激痛を伴い、いつ命を落としてもおかしくない病気を患っていました。彼はどの作戦においても、最も熾烈な戦闘の最前線で戦ったのです。いつ死んでもおかしくないという思いが、彼に恐れを抱かせず、戦場での死と英雄的行為に向かわせたのでした。

将軍アンティゴノスは、彼の勇敢さに感嘆し、彼を名医に診せたところ、その病は癒やされました。しかし、その瞬間から、勇敢な兵士を最前線で見かけることはなくなりました。彼は危険に飛び込む代わりにそれを避け、戦場で自分の命を危険にさらす代わりに命を守ろうとしたのです。苦難があったからこそ、彼は勇敢に戦えたのであり、健康と安楽を得てからは、兵士としてあまり役に立たなくなってしまったのでした。

聖書は、こう述べています。「こうして、あなたがたの信仰はためされて、火で精錬されても朽ちる外はない金よりもはるかに尊いことが明らかにされ、イエス・キリストの現れるとき、さんびと栄光とほまれとに変るであろう。」(1ペテロ1:7) ものによっては、すぐに、重荷が取り除かれたり、病気が癒されたり、心配事から解放されたりしたなら、私たちは、神がこれらのことを通して、私たち一人ひとりの人生に神の良い目的を果たすためにどのように働こうとしておられるかを見逃してしまうかもしれません。(ピリピ2:13

人生の困難をうまく切り抜ける

人生は、浮き沈み、喜びと悲しみ、勝利と挑戦に満ちた旅路です。クリスチャンである私たちは、神への信仰と信頼に導かれ、独自の視点をもって旅立ちます。しかし、キリストの信者であるからといって、困難に直面しないというわけではないと認めることは重要です。それどころか、神に忠実な人生を送ろうとする私たちの献身は、さらなる困難をもたらすかもしれません。

障害に遭遇することは、神から見捨てられたとか罰せられているというしるしではなく、むしろ神にあっての成長と精錬の一部であると理解することが不可欠です。聖書は、私たちがこの世では試練や苦難に直面すると教えていますが、その旅路の間中、神が共にいて、忠実であられることも保証しています。困難の本質、試練が私たちの霊的成長において果たす目的、そして信仰によって試練を乗り越える方法を探ることによって、私たちは逆境の中に励ましと希望を見出すことができるのです。...

クリスチャンとして、私たちは試練や困難から免除されてはいません。それどころか、聖書は私たちが人生でさまざまな種類の試練に直面すると警告しています。これらの試練はさまざまな形で現れ、私たちの信仰、人格、忍耐を試します。...

信仰に満ちた視点で困難を受け入れるとき、私たちは神の力と栄光の生きた証となります。私たちが神の力と恵みに頼って困難を乗り越えるとき、周囲の人々は、神が私たちの人生に成しておられる驚くべきみわざを目撃します。神の忠実さと供給に関する私たちの証は、周りの人々へのインスピレーションと励ましの源となるのです。—イマニュエル・アビンボラ [1]

あなたにとってヒーローとは?

そのヒーローはどのような人生を生きましたか? あなたは彼らのどんなところを尊敬しますか? 多くの人の考えによれば、ヒーローとは、大きな問題に取り組み、逆境に直面しながらも成功したからこそヒーローになったのです。例えば...

エイブラハム・リンカーンは、奴隷制度の廃止に向けて大きな前進を遂げ、合衆国大統領としてリーダーシップを発揮し、圧倒的な不利な状況にもかかわらず信じるもののために立ち上がり、その過程で命を落とすことになりました。マザー・テレサは、インドの貧しく衣食にも事欠く人々に奉仕するためにすべてを投げ出し、自分の時間、エネルギー、才能をもって、犠牲的に「最も小さい者」たちを愛し、世話しました。

私たちのヒーローは、何の問題も抱えず、一日中座ってテレビを見ていることでヒーローになったのではありません。私たちのヒーローは、活動的で、熱心で、世界の最大の問題のいくつかに真っ向から立ち向かいました。問題から逃げることなく、狩人が獲物を狙うように、実際に問題を追求しました。問題が大きすぎると思われるときに、ヒーローたちはその手腕を発揮し、なすべきことをしたのです。

今度あなたが問題に直面して、そこから逃げ出したくなったら、この深い真理を思い出してください。そう、問題とは困難でストレスの多いものなのです。そう、問題は辛いものです。でも、あなたはどんな人間になりたいですか? 些細な問題や困難からも逃げ回るような人間になりたいのですか? それとも、世界をより良い場所にするために、大きな問題に勇敢に取り組むヒーローになりたいですか?—ジョシュア・フック [2]

あなた自身が変化になる

時に私たちは落胆し、こんなふうに考えることがあります。「自分は何者だろう? 自分に何ができるのだろう? 世界の問題はどれも絶望的で解決不可能に思える。物事を良い方向に変えるために、一人の人間ができることなど何もないように見える。だから、やってみたところで何になるのだろう?」

クリスチャンとして、私たちはキリストの使者となり、神がすべての人の人生にもたらそうと望んでおられる永遠の変化という解決策の一部となるよう召されています。(2コリント5:20) 世界全体を変えることはできないかもしれませんが、私たち一人ひとりが世界の一部分における変化の一部となることはできます。もし私たちが自分の光を周りの人々に照らして、彼らがそれを見て神を知るようになるための役割を果たすなら、私たちは世界の一部を変え、他のすべての人々に希望があることを証明することになるのです。

変化とは、私たち自身の心と思いと霊から、つまり主を愛し、言葉だけでなく行いや行動においても主の愛で他の人を愛するという決意から始まります。「あなたがたは世の光である。... あなたがたの光を人々の前に輝かし、そして、人々があなたがたのよいおこないを見て、天にいますあなたがたの父をあがめるようにしなさい。」 (マタイ5:14–16

パウロの反応

もしあなたが刑務所にいたとして、武装した看守に取り囲まれ、思うままに出入りする自由を奪われているとしたら、おそらくあなたは、これは問題だ、あるいは問題だらけだと言うでしょう。そして、その問題を解決する最善の方法は自由になることだと思うでしょう。

使徒パウロがそのような状況に陥ったとき、彼はそれをまったく問題だとは思いませんでした。むしろ、自分の人生に対する神の定めだとみなし、福音を弁明して立証するという、神から与えられた機会について考えたのです。(ピリピ1:7) それまでも、宮殿の衛兵たちや町の伝道者仲間たちに、イエス・キリストのことを伝える機会が与えられていました。... そして、彼は、神が獄中でさえも自分を用いておられることを知っていたので、喜んでいたのです。

おそらく、問題に直面する際の最良の視点とは、それを信仰を行使する機会、主を信頼する練習の機会、神の大いなる忠実さを証明する機会、そして神に私たちを吟味していただくための機会とみなすことでしょう。主とともに人生の問題の解決策を見出すとき、あなたのクリスチャンとしての信仰はより強固なものとなるのです。...

問題解決に対するクリスチャンの反応として[重要な]原則とは、神に栄光を帰すことです。「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって、神があなたがたに求めておられることである。」(1テサロニケ5:16–18) 絶えず神を賛美しなさい。必要な用事で頭がいっぱいでないときはいつでも、心の中で神への賛美を唱える習慣を身につけなさい。この単純な習慣が、あなたの心を変えるでしょう。神の忠実さと、すべての問題においてあなたとともにいてくださることについて、神をほめたたえましょう。

パウロのように、あなたの良き知らせを他の人と分かち合いましょう。パウロは、友人であるピリピのクリスチャンたちへの手紙で、キリストの誠実さについて書きました。(ピリピ1:12) 彼は、自分のことをかわいそうだとは思ってほしくなかったのです。「あなたがた一同のために祈るとき、いつも喜びをもって祈り、あなたがたが最初の日から今日に至るまで、福音にあずかっていることを感謝している」と、喜びをもって語りました。(ピリピ1:4–5) パウロはまた、人生の問題を神に解決していただく中で学んだことをいくつか彼らに話しました:

「わたしは、どんな境遇にあっても、足ることを学んだ。わたしは貧に処する道を知っており、富におる道も知っている。わたしは、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、ありとあらゆる境遇に処する秘けつを心得ている。わたしを強くして下さるかたによって、何事でもすることができる。」(ピリピ4:11–13

キリストこそ私たちの人生に訪れるあらゆる状況の主人であり、私たちのことを気にかけ、私たちの永遠の益のために常に働いてくださっていることを認識するとき、私たちにできるのはただキリストを賛美することだけです。主は私たちの賛美に値する方なのです!—Journeyonline.org [3]

考えてみよう...

あまりにも頻繁に、私たちは標的に向かって突き進むことにコミットするよりは、公園を散歩したいと思っています。神は、クリスチャン生活が毎日、決まりきった楽な道であるとは約束しておられません。しかし、神が与えてくださるのは、世が知らない資源、すなわちクリスチャンの希望なのです。—ポール・チャペル

クリスチャンだからといって、人生の困難を避けることはできません。(ヨハネ16:33) イエスはこの世では大きな困難があると警告されました。生きていく上で問題は避けられないものなのだから、それに正面から取り組み、それを利用するのです。... 問題を邪魔者だと考えず、友として迎え入れなさい。神の計画は、それらの問題よりもはるかに大きいのですから。—テイラー・キャメラー

聖書は、イエスに従えば楽で気苦労のない人生を送れるとは約束していないことを、私は知りました。むしろ、それと正反対のことを教えています。キリストの信者として、私たちの信仰に敵対してくる世界において対抗文化的な人生を生きるとき、私たちはさらに逆境に苦しむことになります。 私たちは苦しめられ、途方にくれ、迫害され、打ち倒されるでしょう。それでもパウロは、福音の力をもって、避けられない逆境に真正面から立ち向かい、日々内なる刷新を実践するならば、回復力のある人生を培うことができると約束しました。—レベカ・ライオンズ

聖書の言葉は...

わたしの兄弟たちよ。あなたがたが、いろいろな試錬に会った場合、それをむしろ非常に喜ばしいことと思いなさい。あなたがたの知っているとおり、信仰がためされることによって、忍耐が生み出されるからである。だから、なんら欠点のない、完全な、でき上がった人となるように、その忍耐力を十分に働かせるがよい。—ヤコブ1:2–4

それだけではなく、患難をも喜んでいる。なぜなら、患難は忍耐を生み出し、忍耐は錬達を生み出し、錬達は希望を生み出すことを、知っているからである。そして、希望は失望に終ることはない。なぜなら、わたしたちに賜わっている聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからである。—ローマ5:3–5

わたしは貧に処する道を知っており、富におる道も知っている。わたしは、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、ありとあらゆる境遇に処する秘けつを心得ている。わたしを強くして下さるかたによって、何事でもすることができる。—ピリピ4:12–13

2024年12月アンカーに掲載 朗読:ジョン・ローレンス


1 https://www.ibelieve.com/christian-living/why-we-face-challenges-as-christians.html

2 https://joshuanhook.com/2018/06/11/why-problems-are-a-good-thing/

3 https://journeyonline.org/lessons/christian-principles-of-problem-solving/?series=23870

Copyright © 2025 The Family International