時事問題:さまざまな推測と意見

10月 3, 2024

Current Events: Speculations and Opinions
November 9, 2023

マリア・フォンテーン

オーディオ所要時間: 7:39
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マタイによる福音書25章13節で、イエスは再臨に言及して、弟子たちにこう言われました。「だから、目をさましていなさい。その日その時が、あなたがたにはわからないからである。」 歴史を通じて、クリスチャンは世界の出来事につき、それが終わりの時のしるしなのか、また、反キリストの統治や大患難時代の始まりのしるしなのかを判断するために、検討を続けてきました。現在世界で起こっている出来事や傾向について、それが終わりの時のシナリオやイエスの再臨に関する聖書の預言にどのように当てはまるのか、異なる見解、推測、意見を見聞きするのは、珍しいことではありません。

最近で言えば、キャッシュレス社会、人工知能(AI)の台頭、ワクチン接種におけるナノテクノロジーの発展、グローバル化など、特定のテクノロジーが「獣の刻印」(黙示録13:16–17)の始まりではないかという疑問が投げかけられてきました。個人個人が自分にとって重要なテーマについて考える時には常にそうであるように、この点についても、様々な意見や解釈が出てくるものです。

いつの日か、私たちはこれらの出来事が神のご計画にどのように関わっているかを理解できるようになるでしょう。しかし、往々にして、個々の解釈がその人の頭の中であまりにも重要になってしまうと、自分の視点が絶対に正しくて他の人は十中八九間違っていると結論づけることがあります。何かについて自分が正しいかどうかが、人生で最も優先されるべきこと以上に優先されるようになると、それは分裂につながりかねません。

クリスチャンとして、私たちの最も重要な責任は、これまでと同じく、「互に愛し合うならば、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての者が認めるであろう」というものです。(ヨハネ13:35) 私たちが互いに愛し合い、福音を伝えるという大いなる委任(マルコ16:15)を遂行するために、終わりの時の詳細についてすべて同意する必要はありません。誰であっても、そのようなことについて意見を持つのは自由ですが、自分の解釈や意見によって分裂を引き起こした瞬間、それはもはや他者に対してイエスの愛を示すことにはならないのです。

私は、保守派であった故スカリア米国最高裁判事の息子さんのインタビューを聞いたことがあります。彼は、自分の父と、リベラル色が強い、今は亡きギンズバーグ判事との長期にわたる友情について語っていました。この二人は長年、多くの点で、政治的・法律的には正反対の意見を持っていましたが、一緒にいることを楽しむ仲の良い友人として知られていました。その鍵となるのは、彼らが意見の異なる事柄よりも、意見の合う事柄に焦点を当てるのを選んだことです。二人は、自分の信念を貫きながらも、相手が自身の意見を持つという権利を尊重していました。[1]

クリスチャンとして、私たちは背景や言語、文化、その他多くの点で非常に多様です。しかし、イエスに焦点を当て、互いの中にいるイエスを尊重し合う限り、口論や論争の潜在的な原因となりうるものがあっても、それを互いから学ぶ機会に変えることができます。それには謙虚さが必要です。たとえいくつかのことについて意見が一致しない時でも、互いの考え方に耳を傾けるだけの愛を持ち、両者が同意している重要なことに焦点を合わせることが必要なのです。

終わりはいつ来るのか

終わりの時の具体的な詳細や解釈について知り、宣言することの是非について考える時、自問すべき重要な質問があります。「なぜ私たちは、終わりの時がどのように展開するのか、正確な詳細を知ろうと、そんなにも必死になるのか。患難が始まる日付を知っていたら、大患難期はもっとましなものになるのだろうか。もし、世界経済の崩壊や最後の7年間が始まる引き金となるのは何なのかを知っていたら、それは私に大いなる安心と平安をもたらし、次の行動を明確に決められるようにしてくれるのだろうか。自分がやるべきことを、より情熱的に、心を込めてやることができるようにしてくれるのだろうか。」 私はそうは思いません。

私は、終わりの時に関するどのような情報を他の人より先に知ったら、神の愛の模範となれるのだろうかと考えてみました。しかし、何も思いつかなかったのです。いやむしろ、主が私たちに与えることを選ばれた以上の詳細を知るとしたら、それによって私たちは重大な責任を追うことになってしまいます。イエスが私たちを備えるために必要とされていた訓練、知恵、経験と完全にタイミングが一致していないのであれば、そのようなことを知るという重荷は、信じられないほどのストレスやパニック、恐怖を引き起こすことでしょう。しかし、イエスは、私たちに負える以上の荷を与えないと約束されました。ですから、もし主が、ご自身の再臨へと続く出来事についてあらかじめ知らせることを望まれるのであれば、私は信仰によってそれを受け入れる準備はできていますが、もしそうされたくないのであれば、主が適切な時期であると判断されるまで待つことで、私は満足しています。

時には、私たち自身の熱望を脇に置き、その代わりに、主の御前で静まって、何であれ私たちが知る必要があると主がご存知のことを受け入れる備えができていることで、主の道や計画にある知恵が見えてくるものです。将来の出来事がいかに展開していくかを知っていても、それを正しく適用するのに必要な知恵がなければ、役に立つどころか、害になってしまいます。私たちは、イエスと違って、全知全能ではなく、まったき愛もありません。

現在起こっている出来事が、イエスの再臨前の最後の7年間につながる出来事の始まり、あるいは少なくともその前兆であろうと、神は私たちが知る必要のある時にそれを示し、私たちがどのような世界の出来事に直面しようとも、ちょうどその時に神の恵みを与えてくださると確信しています。私たちはただ、これからも主に忠実であり、主の御言葉に従順な者となって、主の側にとどまり、主の手をしっかりと握り、未来を主に信頼する必要があります。

世界で現在起きている多くの出来事は、恐ろしいものに見えます。多くの問題には、発火してトラブルの時代を生み出す可能性が秘められているので、私たちは、終わりの時の出来事が起こるたびに、神がご自身の子どもたちの面倒を見てくださることを信じて、用心深く歩む必要があります。今この瞬間に、主が私たちの理解を超えて、私たちを通して輝くことができるように、主は主の子どもたちを守り導くと約束してくださいました。

クリスチャンとして、私たちは皆、イエスを愛しており、他の人たちを助けたいと思っています。皆、イエスにできる限り従いたいと思っています。真実を求め、悪を打ち負かしたいと思っています。皆、愛と真実をもって主と共に統べ収める時代に備えて、その過程でできる限りのことを学びたいと思っています。そして、できる限りのことを学ぶには、お互いと、そして何よりも神が必要です。私たちは、それぞれの人が全体的な理解を深めるために何か貢献できるものを持っている、という事実を尊重する必要があります。他の人の意見に必ずしも同意できないかもしれませんが、常に祈りをもって主に目を向け、同意できる点を示していただき、それを強調することができるのです。

私たちがここで行うべき最も重要な仕事を成し遂げるためには、主の御霊による団結が必要です。イエスにとどまること、イエスに目と心を向けていること、イエスが私たちを呼んでくだされば、いつでもどこでもイエスに従うこと、それが私たちの仕事なのです。

イエスは、「わたしは地上から上げられるとき、すべての人を自分のもとへ引き寄せよう」と言われました。(ヨハネ12:32 新共同訳) 人々は、私たちの生活、言葉や行動、そして互いへの愛のうちに、イエスを見る必要があります。私たちは、終わりの時の出来事がどのように展開するかについて、同じ意見を持っている必要はありませんが、私たち一人ひとりの内におられる神の御霊を通して、共通点を見ている必要があります。

初版は2020年10月 2023年11月に改訂・再版 朗読:キャロル・アンドリュース


1 https://www.foxnews.com/opinion/ruth-ginsburg-antonin-scalia-relationship-friends-christopher-scalia.

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