この世に倣わず、新たにされ、造り変えられる

8月 22, 2024

Not Conformed!—Renewed and Transformed!
August 26, 2021

引用文集

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パウロは、ローマ人への手紙1章から11章で、キリストへの信仰によって私たちに与えられる神の義の福音に関して、重要な教理を説いた後、神の御旨にかなった生き方をするよう勧めていきます。私たちは福音の持つ救いの力を踏まえて、どのように生きるべきなのか。それが、ローマ12章から16章が教えようとしていることです。ローマ人への手紙のこの実践部分は、「こういうわけで」という言葉で始まります。これまで、神が私たちのためにしてくださったあらゆることを見てきました。「そういうわけで」、次のように生きなさいというわけです。パウロの重要な勧告の一つ目は、心を新たにすることでした。

「こういうわけで、きょうだいたち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を、神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたの理に適った礼拝です。あなたがたはこの世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を造り変えていただき、何が神の御心であるのか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるのかをわきまえるようになりなさい。」[1]

「神の憐れみ」という表現は、1章から11章までに記されたこと全体を指しています。パウロが与えている勧告は、私たちは神の大いなる憐れみにあずかっているのだから、自分自身を「生けるいけにえ」として神に献げなさいということです。それは、どうやってするのでしょうか。私たちは、この世に倣うことによってではなく、心を新たにして自分を造り変えていただくことによって、神への生けるいけにえとなります。

神への生けるいけにえとなる人は、この世に倣うことなく、造り変えられた人です。私たちはこの世に倣うべきではありません。パウロがここで用いた「この世」という言葉は、その時代の霊のことを言っています。言い換えれば、「この世」とは、世間に広まっている、神とその啓示とを認めない世界観のことです。… クリスチャンである私たちは、もはやこの世に倣ってはいません。なぜなら、もはやこの時代の霊にとらわれていないからです。私たちは、闇の国から、神の愛する御子の国へと移されました。[2] そういうわけで、私たちはこの世に倣い続けるのではなく、心を新たにすることによって自分を造り変えていただくべきです。

心(思い)を新たにすることによって造り変えられるべきだとパウロが言っているのは、興味深いことです。思いは、クリスチャン生活の鍵です。… 私たちの思考は、古くて神に背く考え方から、新しくて神の御旨に沿った考え方に変えられなければなりません。私たちが思いの中で真実だと知っていることは、心の中でその真実に対する確信を形成し、さらに、その心の中の確信が行動に移されます。そういうわけで、私たちはまず、心(思い)を新たにしなくてはならないのです。

この世の考え方の誤りを正しいものと取り替える唯一の方法は、それを神の真理と取り替えることであり、神の真理の唯一の誤りなき源は、啓示された神の言葉である聖書です。… 近道はありません。心を新たにするのに、常に魔法のようにうまく行く方法などありません。私たちは、神の御言葉で心を満たさなければならないのです。イエスが父にこう祈られたように。「真理によって彼らを聖別して下さい。あなたの御言は真理であります。」[3]gotquestions.org より [4]

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創造主が私たち一人ひとりを、様々な特性や特徴を持った存在として設計してくださったというのは、確かに事実です。それには、好き嫌い、習慣、意見も含まれます。それなのに、私たちを造った後に、作り主が私たちを「ほったらかし」にして満足することなどありません。喜んで私たちを造り変え、変化させ、新たにしてくださいます。より良く、より幸せで、より神に似た者となる機会を与えてくださるのです。

ローマ12章2節にはこう書かれています。「あなたがたはこの世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を造り変えていただき、何が神の御心であるのか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるのかをわきまえるようになりなさい。」 神が私たちを造り変えるプロセスは、いつでも継続的にあずかることができるものです。神はいつでも、特に私たちがオープンである時に、喜んで私たちの心を新たにしてくださると、私は信じています。

私を造り変えるこのプロセスは、私の生涯を通して起こり続けるものだとわかっています。だから私は、イエスにゆだねて、「完璧なわざをしていただく」必要があるのです。第2コリント5章17節にもこう書かれています。「だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである。」—スティーブ・ハーツ

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パウロはローマ12章2節で、造り変えられるのに不可欠なもの、つまり「心を新たにする」ことに焦点を当てています。「この世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を造り変えていただき … なさい。」 ああ、これは何と重要なことでしょう。

御霊が心を新たにしてくださいます。そもそも、それは間違いなく御霊のわざなのです。私たちは全面的に御霊に依存しています。私たちの努力は、まず御霊が始めてくださり、私たちに力を与えてくださった上で、なされるものです。… 心を新たにする方法、それは、キリストの栄光をありのままにじっくり見つめることです。…

ローマ12章2節の「心を新たにして自分を造り変えていただきなさい」という言葉に従うには、どうすれば良いのでしょうか。まず、聖霊の尊く極めて重要なわざに、自分も加わることです。そして、キリストを称える真理を追求し、真理を受け入れるだけの謙虚さを祈るのです。

「キリストの栄光の福音」の豊かな説法に耳を傾けてください。常にキリストの栄光の現れを求めて、聖書を隅から隅まで読みましょう。偉大で霊的な人たちが書いた、聖書の言葉に満たされ、キリストを称えるような著作を読み、じっくりと考えてください。また、キリストの完全性について黙想する習慣を身につけてください。さらに、そのすべてにおいて、祈って、祈って、祈りましょう。聖霊があなたの心を新たにしてくださるように。あなたが神の御旨を望み、受け入れられるように。それによって、人生全体がキリストの栄光のための礼拝となるように。—ジョン・パイパー [5]

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神の言葉と一致しない考えが心に浮かんだ時に気づかせてくださるよう、聖霊に祈るにつれ、そういった考えが浮かぶと気づくようになり、御言葉によって心を新たにすることができます。—ジョイス・マイヤー

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聖書は、「心を新たにして自分を造り変えていただき」なさいと教えています。[6] 私たちは、「尊く、大いなる約束」によって、「神の性質にあずかる者」となるのです。[7]

神の御言葉からのポジティブな考えに焦点を当てるよう不断の努力を続けるなら、それが習慣となります。聖書で言うところの「すべての思いをとりこに」することができるようになるのです。[8]

主とつながるには、気が散らない場所を見つけることです。「あなたは祈る時、自分のへやにはいり、戸を閉じて、隠れた所においでになるあなたの父に祈りなさい。すると、隠れた事を見ておられるあなたの父は、報いてくださるであろう。」[9]

神と二人きりになって祈る「隠れた所」ほど、心が完全に新たにされる場所はありません。私たちの気を散らせ、悩ませるつかの間の物事から離れる時、私たちは神の御前で神の物事や、物事を変える神の力を思います。そして、それが私たちの内に働き始めて、私たちは造り変えられ、新たにされるのです。—バージニア・ブラント・バーグ

2021年8月アンカーに掲載 朗読:ジョン・マーク
音楽:ジョン・リッスン


1 ローマ 12:1–2. (本記事日本語版でこの聖句が引用されている箇所は、すべて聖書協会共同訳からです。)

2 コロサイ 1:13.

3 ヨハネ 17:17.

4 https://www.gotquestions.org/renewing-the-mind.html.

5 https://www.desiringgod.org/messages/the-renewed-mind-and-how-to-have-it.

6 ローマ 12:2 聖書協会共同訳.

7 2ペテロ 1:4.

8 2コリント 10:5.

9 マタイ 6:6.

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