キリストにおける平等

8月 19, 2024

Equality in Christ
October 18, 2021

マリア・フォンテーン

オーディオ所要時間: 6:59
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「キリストにあっては … 男と女の違いはない。あなたがたは皆、キリスト・イエスにあって同じ存在なのだ。」—ガラテヤ3:28 [1]

男女の機会均等や権利平等について語る時、快く認めるかどうかは別として、私たちの頭をしばしばよぎる真の疑問とは、「責任ある地位につくのは誰か」というものです。今日、多くの人の人生には、競争、プライド、嫉妬、不満がつきまとっています。

すべての職場や私生活において、互いの才能やスキル、長所を単純に認め合い、さらに、性別に関係なく、ただ各人が幸せでやりがいを感じ、「チーム」のために最大限の成果をあげられるようなポジションにつけるように善を尽くすことができれば、どんなに素晴らしいことでしょう。しかし、あなたはおそらく、それは「言うは易く行うは難し」だと思っているのではないでしょうか。そのとおりです。

世界中の誰もが、解放されたいと願っています。自由を求めるのは、男性、あるいは女性に限ったことではありません。男性も女性も同じく、解放されることを切望しています。しかし、そのような解放はどこで見いだせるのでしょうか。自由への秘訣は、男性が女性を支配すること、あるいは女性が男性を支配することにあるのではなく、すべての人が調和して働き、団結し、神の愛の中で溶け合い、自分の役割を果たし、相手を自分より優れた者とみなし、謙虚な心で互いに仕えることにあります。[2]

それは非現実的で、この地上では決して起こり得ないユートピア的な夢物語に思えるかもしれません。人間の性質に共通する欠点を考えれば、争い、嫉妬、分裂、裏切り、弱肉強食の競争といったものを、いったいどうすれば回避できるのでしょうか。

歴史を通じて、女性の資質や才能が十分に開発されなかったり、搾取されたりするのを、たくさんの人が見てきました。多くの場合、これは法律の制定によってある程度改善されてきましたが、不平等は依然として存在しており、一部の社会では、いまだに大きな格差があります。幸いなことに、神には男女平等のための道があり、それは人間が利用できるどんな手段よりも優れています。

そもそも、神は男性であれ女性であれ、一個人の強さをほめそやすことはないと知って、驚くかもしれません。個人の力は非常に限られています。より大きな力、より大きな愛、その他の美徳は、上から、つまり神から下ってきます。[3] それゆえ、男女を問わず、真に解放されている者とは、神に力を求める者なのです。

もしあなたがイエス・キリストを受け入れたのなら、主の御霊はあなたの内に宿っています。[4] あなたは、自分自身を、また献身的愛情や意思を神に捧げるにつれ、霊的に成長していくのです。そうすれば、神からいただいた能力を何倍にも高めることができ、あなたはかつてのあなたではなくなります。自分の力ではなく、聖霊の力により、主にあって新しい人となるのです。[5] あなた自身の力がなかったとしても、主にはあなたを強めることができます。[6] あなた自身が強い存在となるわけではありません。主があなたの中で、あなたを通して、働いてくださるのです。「神はあなたがたの内に働いておられ、神が望まれることをする願いと力とをあなたがたに与えてくださるからである。」[7] これは、男性にも女性にも、等しく当てはまることです。

神の御霊は、女性を通しても、男性を通しても、働くことができます。それによって、女性は自分の賜物や才能を発揮でき、男性はその賜物や才能を認めて評価することができるのであり、どちらも脅威を感じる必要はありません。

真の解放への鍵は、優位性や権力を求めたり、男女の一方が他方を支配したりすることではなく、それぞれが他方を引き上げ、男性が女性を助け、女性が男性を助け、それぞれが相手に与えられるものを与えることです。解決策は、双方が示す利他的行為や犠牲であり、互いに相手の賜物と才能を受け入れ、それぞれの内に神の御霊が働いておられることを相互に認めることなのです。聖書は、このように教えています。「このうちで最も大いなるものは、愛である。」[8] また、「もしわたしたちが互に愛し合うなら、神はわたしたちのうちにいまし、神の愛がわたしたちのうちに全うされるのである。」[9]

神の御霊にゆだねればゆだねるほど、男女を区別する必要のない領域が多く見つかります。イエスは、性別に関係なく、イエスを受け入れたすべての人の中にいて、力を授け、彼らを通して働いてくださいます。「しかし、彼を受けいれた者、すなわち、その名を信じた人々には」、男性にも女性にも、「彼は神の子となる力を与えたのである。」[10] 神の子たちは、「血によってではなく、肉の望むところでも人の意志によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。」[11]

私たちは、神に近づくにつれ、互いの中にますます神の御霊を見るようになります。そして、「これは女性の意見だ」「これは男性の意見だ」という考え方をやめます。なぜなら、神の御霊がその人を通して働いておられるのを見るからです。

互いに対する愛、尊敬、信頼、称賛、感謝は、神から来るものです。「上からの知恵は、第一に清く、次に平和、寛容、温順であり、あわれみと良い実とに満ち、かたより見ず、偽りがない。」[12] 真の解放を与える平等への道を歩み始めるのに必要なものを十分に与えることができるのは、ただ神だけなのです。

初版は1995年10月 2021年10月に改訂・再版
朗読:デブラ・リー


1 英語NCV訳.

2 ピリピ 2:3; ガラテヤ 5:13.

3 ヤコブ 1:17.

4 黙示録 3:20; 1コリント 3:16.

5 2コリント 5:17; 2コリント 4:7.

6 2コリント 12:9–10.

7 ピリピ 2:13 英語NLT訳.

8 1コリント 13:13.

9 1ヨハネ 4:12.

10 ヨハネ 1:12.

11 ヨハネ 1:13 新改訳2017.

12 ヤコブ 3:17.

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