7月 17, 2024
今日、私たちはプレッシャーの時代に生きており、プレッシャーという言葉をしょっちゅう耳にします。私はよくカウンセリングをしますが、多くの人が私のところに来て、「もうこのプレッシャーには耐えられません。ものすごいプレッシャーです」と言います。確かに私たちは、忙しさとスピードの時代に生きています。「忙しい」という言葉をしょっちゅう耳にし、うんざりしてしまうほどです。それが、あらゆることの言い訳になっているようで、誰もが、あたふたとし、急いでいます。
「休息」「静寂」「平穏」「一人でいる」といった言葉は、もう人生から消えてしまったかのようです。どこに行っても、タイヤをきしらせながら、先を急ぐ車で通りがあふれています。なぜでしょう? とにかく先を急ぎ、速く目的地に行かなくては、急いで行かなければ、と駆り立てられています。
それは、ある男性が新しく雇った運転手の話のようです。その運転手は街を、出来る限りのスピードで走り抜けました。目的地に着くと、後ろの座席にいた男性は座ったままで、運転手にこう言いました。「そんなに急いで5分短縮したからといって、君はどうするつもりなのかな? その5分で、私が何をしたかったと思う? 私は、ただここに座って、リラックスすることにするよ。」
誰かが、どれほどストレスがたまっているかをあなたに告げ、それがその人の顔にありありと見てとれるほどにまでなると、問題は深刻です。そういう時には、その人に、少し立ち止まって静まり、イエスが言われたように「人を避けて寂しい所へ行って、しばらく休む」よう説得しましょう。[1]
あの古き歌『Take Time to Be Holy』(清められるために時間をとりなさい)[2] は素晴らしいものですが、もうそれを耳にすることもありません。この時代の生き方とは一致しないからなのでしょう。
清められる時間をとりなさい、主としばしば語り合いなさい
いつも主のもとに住まい、主の言葉に養われなさい
神の子たちと友になり、弱き人たちを助けなさい
虚しいものに主の祝福を求めることは忘れなさい
清められる時間をとりなさい、この世界はあわただしく進んでいく
イエスと二人だけでひそかな時間をたくさんとりなさい
イエスに目を向け、イエスのようになりなさい
あなたの行動の内に、友はイエスの似姿を見るであろう
清められる時間をとりなさい、魂を静めるときを
思いや動機をすべて、主に支配していただきなさい
主の御霊により、愛の泉に導かれなさい
さすれば、すぐに主への奉仕にかなう者となるであろう
この歌詞を読みながら、私は自分の霊の内に本当に静まったのですが、その静かな時間の中で気づき始めたことがあります。それは、このストレスやプレッシャーでいっぱいのせわしないペースによる喧騒と忙しさが、自分の魂に入り込んでいたということです。でも言っておきますが、私は治療法を知っており、それを今まで何度もやってきました。どうすれば心穏やか(リポーズ)になれるのかをわかっているのです。
今日、ウェブスター辞典で、「リポーズ(repose)」と「コンポーズ(compose)」という言葉の意味の違いを調べていました。ウェブスター辞典には、「コンポーズ」は「身体や精神を落ち着かせ(リポーズ)、穏やかにし、静めること」とあり、「リポーズ」は、ウェブスターの定義では「心穏やかでいること、沈着であること」となっています。
非常に良い響きですが、どうやってその状態になれるのでしょう? 私は治療法は知っていますが、いつもあわただしく動き回っている人が、どうやってその穏やかさ(リポーズ)を手に入れられるのでしょうか? きっと無理でしょう。
その治療法があれば、霊から張りつめた感じが取り除かれ、頭からあの嫌な不安感がなくなり、身体の緊張感もほぐれます。神の御前でひとり時間をとり、神の言葉を読んで聖書に書かれたことを調べ、自分の心を探って祈りの時間をとるなら、神の約束されている平安が戻り、神の与える甘美な休息が得られ、神にしか与えることのできない穏やかさ(リポーズ)が受け取れます。
今日、多くの人が、気持ちを落ち着かせるために何らかの鎮静剤を飲んでいます。最近、ある男性の話を読んだのですが、その人は仕事から急いで家に帰り、妻にこう言いました。「今日職場で色々あって、頭がおかしくなりそうだ。このストレスと緊張には、もう耐えられない。気を静め、落ち着くことができるように、あの薬をくれ。」
妻が夫に薬を飲ませたちょうどそのときに、電話が鳴り、夫は会社へ戻るように言われたのです。大切な顧客が大きな注文をする準備ができたので、すぐに戻ってこいと。それで彼は妻に言いました。「精神刺激薬はどこだ? それを飲まないと!」 「気分安定薬を飲んだばかりなのに、今度は精神刺激薬を飲むの?」 今日の社会はこんな感じです。気分を高めるにも落ち着かせるにも、薬を飲むわけです。
今日は様々なプレッシャーでいっぱいで、他に頼れるものがないという人もいます。でも、クリスチャンは違います。クリスチャンは静かな時間、神の前で瞑想する時間を取ればよく、そこから安らぎが得られます。クリスチャンは、この恐ろしい大慌て熱を冷ますものを持っているのです。
このことを現実的に示す聖書の節を読ませてもらいます。民数記9章8節、「モーセは彼らに言った、『しばらく待て。主があなたがたについて、どう仰せになるかを聞こう。』」
サムエル記上9章27節、「彼らが町はずれに下った時、サムエルはサウルに言った、『あなたのしもべに先に行くように言いなさい。… あなたは、しばらくここに立ちとどまってください。神の言葉を知らせましょう。』」
サムエル記上12章7節(リビングバイブル)、「さあ、神様の前に、静かに立ちなさい。ご先祖の時代からこのかた、神様があなたがたに対して、どれほどすばらしいわざを行なってくださったか、何もかも思い出させてやろう。」
そして、ヨブ37章14節(新改訳2017)、「ヨブよ、これに耳を傾けよ。神の奇しいみわざを、立ち止まって考えよ。」
詩篇4篇4節、「あなたがたは怒っても、罪を犯してはならない。床の上で静かに自分の心に語りなさい。」
そして、詩篇46篇10節、「静まって、わたしこそ神であることを知れ。わたしはもろもろの国民のうちにあがめられ…。」
神の言葉にある素晴らしい節の数々です。ただ、この静かな場所に入りさえすればいいのです。神の臨在を求め、神の言葉を読むことによって、魂の元気を取り戻し、頭をすっきりさせ、人生からストレスを取り除きましょう。手を休めて瞑想したり祈ったりするのは、時間の無駄だと考える人もいます。でも、歴史を通して何千万もの人が、神の御前においてのみ、安息と平安が見いだせることを知りました。
人生のストレスを消し去る神の力は、祈りを通して得られるものです。考えてみてもらえませんか? 主のもとに行ってはどうでしょう? 神の言葉には、信じている者たちが安息に入ったことが書かれています。[3] でも、その安息の場は、神への信仰を通してのみ得られるものであり、信仰は、神の言葉を聞くこと[4] や、祈って主の御前で静まることから得られるのです。
神の言葉には、「休みが、神の民のためにまだ残されているのである」とあります。[5] でも、その休みを得るのに天国まで待つ必要はありません。今ここで得られるのですから。神の言葉には、こうあります。「あなたは、まったき平安をもって、思いをあなたにとめている者を守られる。」[6] 親愛なる主があなたを祝福し、まったき平安のある主のもとへと導いてくださいますように。アーメン。
ラジオ番組『Meditation Moments』を書き起こしたものより 2021年3月アンカーに掲載 朗読:キャロル・アンドリュース
1 マルコ 6:31.
2 “Take Time to Be Holy,” by William D. Longstaff, 1882.
3 ヘブル 4:3.
4 ローマ 10:17.
5 ヘブル 4:9.
6 イザヤ 26:3 英語欽定訳.
Copyright © 2024 The Family International