うみ疲れた者のためのクリスマス

12月 23, 2023

Christmas for the Weary
December 14, 2023

引用文集

オーディオ所要時間: 15:17
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神は、私たちがわかっているよりもずっと前からクリスマスの準備を始めておられました。一人のみどりごが私たちのために生まれるという、イザヤ書の有名な預言は、キリストの誕生の500年ほど前に書かれています。そして、最初のクリスマスを待ち望む神の民がその意味を正しく理解していることが必要だったように、そのクリスマスを振り返る私たちもまた、同じように理解することが必要なのです。特に、私たちがうみ疲れているなら、なおさらでしょう。

クリスマスには、人生の辛さが一層増すように感じられることがよくあります。文化的に見て、私たちはクリスマスをパフォーマンスにしてしまいました。人目をひく家、おいしく見える食べ物、ませた感じの子供たちといったように、最高にインスタ映えする人生にしようという文化的なプレッシャーがあります。その一方で、ギクシャクした人間関係、死別、経済的困難、不確実性などが一層顕著に感じられます。お祝いとされているクリスマスシーズンは、その辛さをいっそう際立たせるのです。

ですから、イザヤ9章は私たちのためにあります。この預言が誰に向けられているかを見てみましょう。

「しかし、苦しみにあった地にも、やみがなくなる。さきにはゼブルンの地、ナフタリの地にはずかしめを与えられたが、後には海に至る道、ヨルダンの向こうの地、異邦人のガリラヤに光栄を与えられる。暗やみの中に歩んでいた民は大いなる光を見た」(イザヤ 9:1-2)。 …

宗教と文化の適切性が懸念される昨今、クリスマスはキリスト教徒だけのものだと考える人もいるかもしれません。しかしイザヤは、クリスマスは打ちひしがれた人々のためのものだと教えています。つまり、私たちすべてのためだと。

神がこの世に来られたのは、成功者を祝福し、しっかりした人生を歩む人々とハイタッチするためではありません。神は闇の中を歩む者たちのために来られたのです。彼らは大いなる光を見ました。「さあ来たれ、信仰篤き者たちよ、喜びにあふれ、勝利を収めた者たちよ」ではありません。そうでなければ私たちは誰一人としてそこにいることはできなかったでしょう。そうです。クリスマスは、信仰に欠け、喜びもなく、敗北した人たちのためにこそあるのです。 …

どうやって? 赤ん坊を通してです。実にありえない勝利です。「ひとりのみどりごが私たちのために生まれる。ひとりの男の子が私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は『不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君』と呼ばれる」(イザヤ 9:6 新改訳2017)。

この方の知恵、導き、教えは、息をのむほどのものになります。実際、彼の言葉を最初に聞いた人々は、そのような話し方をする人は他にはいないと言いました。彼の言葉には、他の誰にもないような力があったのです。彼について行き、従うとき、私たちもまた、私たちに対する彼の助言がまさに素晴らしいものであることに気づきます。これからの一年、私たちが主の助言に耳を傾けない日が一日たりともありませんように。 …

この赤ん坊は、成長して、私たちと神との間に真の永遠の平和をもたらします。その平和はそれほども強力なので、すべての人間関係とすべての被造物にまで及びます。 … 私たちに残されているのは、彼に驚嘆すること、そして、彼を受け入れることだけです。私たちに幼な子が与えられました。ですから、私たちはこのキャロルと共に祈ります。「ベツレヘムの聖なる子よ、どうか私たちのもとに降りてきてください。私たちの罪を追い出し、中に入ってください。今日、私たちのうちにお生まれください。」—サム・オルベリー [1]

うみ疲れた世界は喜ぶ

毎年12月になると、あちらこちらでイエスの誕生を讃える歌を耳にするのは素晴らしいことではないでしょうか。どの店でも、ラジオやテレビのコマーシャルでも、視聴者は(信仰の有無にかかわらず)来るべきメシアのことを思い出すのです。あなたのところでも『O Holy Night(邦題:さやかに星はきらめき)』という歌が流れているかもしれませんが、立ち止まってその歌詞を考えてみたことがあるでしょうか。私にとって、特に印象的な一節があります。それは「うみ疲れた世界は喜ぶ」の部分です。 …

以下はその一節全体です。(訳注:日本語の讃美歌の歌詞ではなく、英語の歌詞からの訳となります。)

聖なる夜よ! 星は明るく輝く
今宵、愛する救い主がお生まれになる
長い年月、この世は罪と過ちの中に横たわっていた
しかし今、主が現れ、魂がその尊さを感じた
希望に胸を躍らせ、うみ疲れた世界は喜ぶ
新しく輝かしい朝が始まるのだ

救い主の誕生の素晴らしさを、何と美しい形で思い起こさせてくれることでしょう。この世界は、罪と暗闇の中に横たわった後で、「希望に胸を躍らせ」たのです。どの赤ん坊の誕生も心躍る瞬間ですが、この歌は、この出来事がたった一度の喜ばしい出来事ではなかったことを思い出させてくれます。キリストの誕生は、「新しく輝かしい」日をもたらしたのです。 …

うみ疲れた世界が喜ぶとはどういうことなのでしょう。 … クリスマスの世俗的な喜びさえも、素晴らしいことに違いはありませんが、それは束の間です。私はツリーの脇に座ってライトを楽しんだり、コーヒーをテーマにしたアドベント・カレンダーの扉を開けるのが好きです。そういったものは良いものです。しかし、それらを今年の心痛から逃れるための盾にしようとするなら、それらは崩れてしまうでしょう。どんなにホットココアを飲んでも、ホールマーク・チャンネルで映画を観ても、私は心から喜ぶことができません。それに、人為的な喜びを奮い起こそうとするのは無益に感じられます。

そこに出てくるのがイエスです。イエスは、私たちが今年どれほどうみ疲れているか、そして私たちに真の希望を与えるには何が必要であるのかをご存知です。イエスは、御言葉を通して、また才能あるソングライターにインスピレーションを与えることによって、私たちが希望を求めてしがみつけるのはイエスだけであることを思い出させてくださいます。 … 神の贈り物ほど、私たちに平安と希望と喜びをもたらしてくれるものはありません。

その贈り物は、御子イエスという形で私たちにもたらされました。ごく慎ましい場所で処女のもとに生まれたイエスは、完璧で罪のない生涯を送り、受けるに値しない死に方をされました。イエスは死に打ち勝ち、3日後に死者の中からよみがえられました。それはすべて、私たちに希望と未来を与えるためだったのです。この世は私たちの故郷ではありません。どんなに困難な状況にあっても、私たちはキリストが私たちのために戦ってくださったことを知っています。キリストはすでに戦いに勝利しました。私たちはただ、キリストを信じればいいだけなのです。 …

今年、もしあなたが、世界がいかに壊れた状態であるかに圧倒されているなら、心を落ち着けてください。イエスは理解しておられます。イエスもそれを感じておられ、あなたの祈りを聞きたいと切に願っておられます。私たちは、いつでも望むときに、どんな心配事でも主のもとに携えていけるという祝福にあずかっています。この平和以上のクリスマスプレゼントがあるでしょうか?—ベサニー・パイル [2]

長く待ち望まれてきたイエスよ、来てください

我が家は静かな夜を過ごしていました。幼い子供は眠り、ティーンエイジャーは忙しく、夫は仕事をしていました。外に出て近くのショッピングセンターをぶらぶらする絶好の機会です。

寒さにうつむき、湿ったアスファルトに映るクリスマス・イルミネーションを眺めながら、私は重い心で歩いていました。自分の罪に失望し、この世の罪に当惑していたのです。望みもなく打ち砕かれた人々のことを考えると、私の心に恐怖が忍び寄ってきました。 …

私の心もこの世界も、罪によって惨めで絶望的な気持ちになり、私は自分がクリスマスという幸せな産物に反発しているのを感じました。

聖霊の憐れみと忠実さにより、ささやく声が聞こえました。「クリスマスはあなたのためにある。クリスマスはうみ疲れた人のためにある。クリスマスの希望は、惨めで絶望的な人のためにある」。

聖書によれば、ゼカリヤは主の約束を疑い、その結果、一時的に口がきけなくなりました。主が再び彼の声が出るようにされると、彼は自分の息子であり、将来救いをもたらす方の道を備えるようになる、ヨハネについての預言を語り出したのです。

ゼカリヤは言いました。「これはわたしたちの神のあわれみ深いみこころによる。また、そのあわれみによって、日の光が上からわたしたちに臨み、暗黒と死の陰とに住む者を照し、わたしたちの足を平和の道へ導くであろう」(ルカ 1:78-79)。

贖い主キリストは、惨めな者、絶望した者、盗人、偽りを言う者を救うためにお生まれになりました。

キリストの誕生は、暗い世界に昇る朝日のようでした。彼は死の陰の暗闇を貫く日の出です。これがクリスマスなのです。疑いや疲弊によって礼拝を一時的に妨げられてはいけません。クリスマスは、うみ疲れたクリスチャンであるあなたのためです。まだ死の陰の寒さを感じている私たちのためにあるのです。

クリスマスが、暗闇の中に座るすべての人に光を与えるために、天から御子を送られた神の優しい憐れみを思い起こさせる日となりますように。キリストは来られました。そして、その慈しみは日々、太陽とともに昇り、豆ができた私たちの足を平和の道へと導いてくださいます。 …

そして、それが来るべきあの日を思い起こさせますように:

「昼は、もはや太陽があなたの光とならず、夜も月が輝いてあなたを照さず、主はとこしえにあなたの光となり、あなたの神はあなたの栄えとなられる。あなたの太陽は再び没せず、あなたの月はかけることがない。主がとこしえにあなたの光となり、あなたの悲しみの日が終るからである」(イザヤ 60:19-20)。

だから、私たちの文化が生み出すハッピー・クリスマス商品の偽りのイルミネーションへとさまよい歩いてはいけません。 … 闇に輝く光に顔を向けなさい。闇は主に打ち勝つことがなかったのですから。

「あなたの民を解放するために生まれ、私たちの恐れと罪から私たちを解放し、あなたのうちに安息を見出させてください」(ロバート・ロビンソン作詞)。—ティシュ・へジャー [3]

主の臨在

旧約聖書全体に、詩篇のこの一節にあるような神の優しさと憐れみが貫かれています。「主はあわれみに富み、めぐみふかく、怒ること遅く、いつくしみ豊かでいらせられる。」(詩篇 103:8)。

しかし、2,000年前にベツレヘムで起こった出来事は、人類に対する神の愛と憐れみをまったく新しいレベルにまで高めました。神はそのひとり子をこの世に与えてくださいました。ひとり子は、弱く無力な子供として私たちに御自身を示され、人類を救うために人間の姿となられたのです。

それ以来、数え切れないほどの信仰の男女が、クリスマスの出来事を使って、キリストのメッセージと愛を他の人々と分かち合い、周りの世界をより良くしようとしてきました。例えばディケンズの本に出てくるフレッドはこう言いました。

「常日頃から私は、クリスマスが来るたびに、それが良い時であり、優しく、ゆるしと慈愛に満ちた心地よい時であると考えていました。一年の長い暦の中で私が知っている、男女が一つの同意によって、閉ざされた心を自由に開き、あたかも自分より下の人々も共に墓場へ向かう同乗者であって、他の旅に向かう別の種族ではないかのように考える、唯一の時なのです」。

多くの人々にとって、この1年は困難な年でした。そして今もこれまでにない困難に直面しています。しかし、どんな困難に直面しようとも、私たちはクリスマスの物語に込められた、時を超えた喜びと希望を持ち続けることができます。

だから、今年のクリスマスがどのような状況であろうと、私たち全員に対する神の素晴らしい贈り物、御子イエスのことを黙想する時間を取ってみてはどうでしょうか。病める世界のために祈り、今年は自分よりも恵まれない人々のことをただ「考える」だけではなく、それ以上のことをするように心がけ、主の愛と真実を他の人々と分かち合うことに時間を費やしましょう。そうすることで、私たちはイエス御自身と過ごすことになります。主がこう言われた通りです。 「ふたりまたは三人が、わたしの名によって集まっている所には、わたしもその中にいるのである」(マタイ 18:20)。

今年のクリスマスに、あなたやあなたの愛する人たちと共に主の臨在を楽しむことができますように。—ローナン・キーン

2023年12月アンカーに掲載 朗読:ジョン・マーク 音楽:『Christmas Moments』アルバムより、許可を得て使用


1 https://www.thegospelcoalition.org/article/christmas-weary

2 https://www.biblestudytools.com/bible-study/topical-studies/a-weary-world-rejoices-even-with-christmas-in-chaos.html

3 https://ftc.co/resource-library/blog-entries/christmas-for-the-weary

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