この名を別にしては....

11月 26, 2023

No Other Name
July 6, 2023

ジョン・リンカーン・ブラント

オーディオ所要時間: 11:50
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この人による以外に救はない。わたしたちを救いうる名は、これを別にしては、天下のだれにも与えられていないからである。—使徒行伝 4:12

ペテロは、イエスが神殿の門のところにいた足の不自由な人を癒されたことに驚嘆している人々に対して語っているときに、このようなキリストへの素晴らしい賛辞で締めくくりました。イエスの名によって宣教しないよう使徒たちに命じても、この新しい宗教を鎮圧することはできないとわかったとき、サンへドリンは深く考えさせられたに違いありません。この偉大な真理は、目撃者であるペテロによって宣言されました。彼はイエスを知っており、イエスの力の現れを目撃していたのです。

ペテロは自分が何を言っているかよくわかっていました。彼は直に知っていたのです。ペテロはイエスと共にいました。イエスの個人的な友として、旅に同行していました。弟子としてイエスの教えに耳を傾けていました。そして、祈り、賛美、会話によってイエスとの交わりがありました。他の人々は、ペテロがイエスと共にいたことを知っていました。彼は狡猾に考え出されたおとぎ話を奉じていたのではありません。聖霊に動かされるままに語りました。彼が語ったことは、完全な信頼をもって受け止められるべきもの、私たちの最大限の関心を要求して然るべきものでした。

「どのような救いなのか?」というのはもっともな問いかけです。救いというのはイスラエルの人々にとってなじみの深い言葉でした。一般的には、敵対者からイスラエルを救い出すことを意味し、通常は民族的な救いを指していましたが、この聖句では、人を道徳的な破滅から、つまり罪から、死の恐怖から、サタンの策略から、裁きの恐怖から救うことを指しています。そこには、神と人間との関係を修復することや、人間を神聖な経綸における正しい地位に回復させることが含まれています。それによって、人間の意志が神の御心と調和し、人間の良心があらゆる義務への呼びかけに目覚め、人間の心がイエスを人類の救い主として受け入れ、愛するようになるためです。

救われるという考えは、暗に、最も危険な状況を連想させます。この言葉が私たちの言語で使われる場合、私たちは、消防士がある人間を灼熱の炎から救い出そうと必死の努力をしている姿や、船乗りが溺れかけている哀れな人を救い出そうとして波と格闘している姿、あるいは、衰弱した患者の枕元で、苦しむ患者の命を救おうと勇敢に闘う医師を思い浮かべます。そして、危機が去って良い知らせを聞くと、私たちは大喜びするのです。

この聖句では、救いは主の「名」、イエス・キリストによるのであって、他のいかなる名によるのでもないと宣言されています。名は、人や物を表します。その人や物が何であるかを明らかにするのです。

名には多くの意味が含まれています。国家の運命はその名が示す意味によって決定されてきました。軍隊は名によって鼓舞されてきました。名が人を表すなら、その人に属する権利、特権、性格の特徴、業績が何であれ、それらも含まれるのです。

私たちは、「モーセ」という名を聞けばイスラエルに律法を与えた人を、「ダビデ」と聞けばイスラエルの王であり詩篇作者である人を、「パウロ」と聞けば異邦人への偉大な使徒を、「ルター」と聞けば偉大な改革者を、「ウェスレー」と聞けばメソジスト派の創始者を、「グラッドストーン」と聞けばイギリスの偉大な政治家を思い浮かべるのではないでしょうか。そして、イエス・キリストという名を聞けば救いを思い浮かべるのであり、その名による以外に救いはないのです。

私たちは自分の名前によって神に近づくことはできませんが、神は愛する御子の名を通して、私たちを神の恵みの座に導いてくださいます。「イエス」という名は、深い意義を伴い、豊かな意味をはらんでいるのです。

それは超越的な名前です。「神は彼を高く引き上げ、すべての名にまさる名を彼に賜わった」(ピリピ 2:9)。すべての知的被造物には名前があり、その名前によって区別されます。天使にも名前があります。ミカエル、ガブリエル、ウリエルなどと。他の名前よりも壮大で栄光に輝いている名前もあるでしょう。しかし、「イエス」という名はあらゆる名の上にあります。それは、人、霊、天使の名前の上に高くそびえる名です。

地上のどの名前も、「イエス」という名前のように、心を高揚させ、興奮させ、慰め、祝福することはできません。それは唯一無二の完璧な名前であり、超越的な名前です。宇宙にはこのような名前は他にありません。それは被造物におけるあらゆる階層の上に立つ名前です。

この方のことを、神の子、救い主、贖い主、創造主、王、明けの明星、義の太陽、わが主、わが神など、どのように呼ぼうとも、イエスという名は尊い名なのです。イエスは神に選ばれた方であり、尊い方です。

天使たちは、彼は人々を罪から救う者なので、イエスと呼ばれるべきだと告げました。神が彼にこの名を与えられたのです。聖書は、信じるすべての人にとって、イエスは尊い方であると宣言しています。イエスの御名は私たちにとって尊いものです。私たちを罪から救うのですから。主の性格は尊いのです。主は人間として共感し、神として助けてくださいます。イエスは教師として尊い方です。イエスの言葉は、私たちの暗くなった魂に光をもたらし、落ち込んだ心に希望を与えてくれました。主の血は尊いものです。私たちを罪からきよめてくれます。。主の約束は尊いものです。それは人生の葛藤において私たちを支えてきました。「わたしはあなたとともにいる。おののいてはいけない。わたしは最後まであなたを導く」。

それは慰めを与える名前です。彼は慰めに満ちた神と呼ばれています。シメオンはイエスをイスラエルの慰めとして語りました。パウロは、イエスは恵みによって慰めを与えてくださり、私たちの受ける慰めはイエスのうちに満ち溢れていると宣言しています。キリストは世を去る前に、私たちに慰め主を遣わすと約束され、慰め主が来られたときには、主の御前から憩いの時がもたらされました。

愛する人に先立たれた人にとって、これほど慰めに満ちた名は他にありません。イエスは、思い悩む人の枕元で、また、苦しんでいる患者のいる揺りかごの傍で、そして、すべてを食い尽くす墓のそばに立って、こう言われます。「わたしを頼みとしなさい。わたしは慰めに満ちた神である」。この世界は人間的な同情、金銭、快楽、名誉を与えるかもしれませんが、「イエス」という名は、他のすべてが失敗したときにも慰めをもたらします。

それはすべてを支配下に置く名前です。このように記されています。「それは、イエスの御名によって、天上のもの、地上のもの、地下のものなど、あらゆるものがひざをかがめ、また、あらゆる舌が、『イエス・キリストは主である』と告白して、栄光を父なる神に帰するためである」(ピリピ 2:10–11)。

その名は救いの歌の中に生きています。壮麗な建築物の中に生き、世界の歴史の中に生き、キリストの教会の中に生きています。それは、何百万、何千万というキリストの弟子たちの心の中に生きています。神と人との間の仲介者として、栄光の望みとして、天国に入るための合言葉として生きています。パウロが、わたしたちを愛して下さったかたによって、わたしたちは、これらすべての事において勝ち得て余りがある(ローマ 8:37)、また、ヨハネが、私たちはキリストへの信仰によってこの世に打ち勝ち、勝利を得ると宣言したのも不思議ではありません(1ヨハネ 5:4)。

キリストは、「彼によって神に来る人々を、いつも救うことができるのである」(ヘブル 7:25)。キリストの戒めはこれです。「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ。信じてバプテスマを受ける者は救われる」(マルコ 16:15-16)。それは大いなる救いと呼ばれています。どんな商取引よりも、どんな癒しや教えよりも大いなるものです。その立案者、その効果、祝福ゆえに大いなるものなのです。それは、救われたいという魂の至高の願いを表しています。

この救いは、イエスの御名によってのみ与えられます。それに代わるものなどあり得ません。他の名前や仲介者に代えようとする努力がなされてきましたが、このいわゆる代用に、私たちは現代の根本的な危険のひとつを感じています。人間の神殿を建てる者たちは、私たちの救いの「隅のかしら石」を無にしようとしています。彼らは、道徳原則や模範、科学や哲学、合理主義的批判や社会主義的理論、詭弁的議論や見せかけの博愛主義を代用にしようとしますが、そのような影響力や方式はすべて、どれほどもっともらしくても、時という領域によって制限され、来世には何の影響も及ぼしません。

魂の救いは、ただひとつの名の中にあります。キリストは道であり、命であり、真理です。キリストによらないでは、だれも父のもとに行くことはできません(ヨハネ 14:6)。キリストは唯一無二の礎です。唯一の栄光の望みなのです(コロサイ 1:27)。

これ以外の名はない、いかなる名もない
時の通路に鳴り響く
これ以外の名はない、いかなる名もない
美しい鐘の音
その音色は澄み渡る
それはすべての人のために鳴り響くから
ああ、この甘美な音楽を、もう一度聴きなさい
あなたには福音の呼び声が聞こえますか?

これ以外の名はない、いかなる名もない
長年の記録を通して
これ以外の名はない、いかなる名もない
あなたの耳に、鐘のように鳴り響かせよう
悲しみのためか、喜びのためか
鐘の音色を選ぶのはあなた
あなたの魂に喜びの歌を響かせよ
「すべては無事だ」との平安のうちに安らげ

これ以外の名はない、いかなる名もない
どこに行っても聞こえる
これ以外の名はない、いかなる名もない
主の愛がそうさせた
あなたが永遠の命を知るために
主は恥を被りつつ、十字架の上で死んだ
主があなたを呼んでいるのに、なぜ待つのか
これ以外の名はない、いかなる名もない
—ニーナ・V・ブラント

ジョン・リンカーン・ブラント(1860–1946)は、バージニア・ブラント・バーグの父。Soul Saving Revival Sermonsより
朗読:ガブリエル・ガルシア・バルディビエソ

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