ラビが光を見る

11月 22, 2023

A Rabbi Sees the Light
June 28, 2023

大祭司カヤパの声が、サンへドリン--全ユダヤ教の最高議会--の堂々たる広間中に、とどろきわたりました。「ナザレのイエスに従う者たちの教義がエルサレム中に広まっている。それなのにわれわれは対策を講じられなかった!」

「息子よ、落ち着くのだ」。カヤパの義父である年老いたアンナスは、物思いに沈んだ様子で白く長いあご髭をなでながら、こう言いました。「われわれも、議会の長老も、自分たちの預言者が処刑された後に、この異端の一派がこれまで通り広まり続けるとは思わなかった」。

カヤパは残念そうに話を続けました。「それでも、先週、彼らの指導者たちの内二人、漁師のペテロとヨハネを捕まえて、ここに引っ張ってきました。しかし、ラビのガマリエルが立ち上がり、彼らを解放するよう議会を説得して、こう言ったのです。『その企てや、しわざが、人間から出たものなら、自滅するだろう。しかし、もし神から出たものなら、あの人たちを滅ぼすことはできまい。まかり違えば、諸君は神を敵にまわすことになるかも知れない』(使徒行伝 5:28-42)。

「そこで、われわれは、あの二人を鞭打った上、今後、処刑された彼らの指導者であるイエスの名によって教えを説き続けるなら厳罰に処せられると、彼らを脅しておきました」。

「しかし、それが役に立ったというのか?」とアンナスは尋ねました。「あの者たちの人気は日々高まっておる。弟子の数もますます増えており、われわれの祭司までが、この一派の隠れた信者、追従者になっているというではないか」(使徒行伝 6:7)。

「カヤパ、何とかしなければ、それも今すぐにだ! 何もしないでいたら、エルサレム中の者があの死んだナザレ人は救い主だと言うようになるだろう! しかし、万が一、われわれがこの異端者どもを死刑に処したことにローマが気づいても、われわれに面倒がかからぬよう、サンヘドリンとは直接関係のない兄弟を何人か使ってはどうだろうか?」

「素晴らしい考えです、父上!」と、カヤパは言葉を続けました。「私は、その仕事にうってつけと思われる人物を知っています! ラビ (ユダヤ教の教師)のサウロです! ご存知の通り、彼は、キリキヤの首都、タルソの出です。そして、ギリシャやアジアから来た敬虔なユダヤ人がここエルサレムで集まっている、『リベルテン (解放された者)の会堂』の主要指導者の一人です。サウロは、実に熱心な若きパリサイ人で、われわれの信仰の大義を推進するためなら、どんなことでもするでしょう」。(参照:使徒行伝 22:3; 23:6; 26:4–5; ピリピ 3:4–6)

直ちに宮の中の祭司たちの集会場に召喚されたサウロは、有名なクリスチャンを一人捜し出して捕え、その「不信者」が殺されるよう取り計らう、という任務を、喜んで受諾しました。サウロは、そうした行為が、エルサレムにいる他のクリスチャンへのみせしめや警告となり、願わくば、彼らの活動を阻止するであろう、ということに同意したのでした。

サウロは、自分の会堂に属する者たちの中から熱心なユダヤ人を何人か選び、一緒にエルサレム中央にある市場のはずれに直行しました。そこは、クリスチャンが民衆に教えを説いているのをよく見かける場所だったからです。彼らはそこで、ステパノという弟子が、大勢の人に向かって、イエスのことを公然と力強く証ししているのを見つけました。

以下は、彼らがステパノに出会った時のことについて、聖書に記されていることです。「すると、いわゆる『リベルテン』の会堂に属する人々 … キリキヤやアジヤからきた人々[国外出身のユダヤ人]などが立って、ステパノと議論したが、彼は知恵と御霊とで語っていたので、それに対抗できなかった。そこで、彼らは人々をそそのかして、『わたしたちは、彼がモーセと神とを汚す言葉を吐くのを聞いた』と言わせた。

「その上、民衆や長老たちや律法学者たちを煽動し、彼を襲って捕えさせ、議会にひっぱってこさせた。それから、偽りの証人たちを立てて言わせた、『この人は、この聖所と律法とに逆らう言葉を吐いて、どうしても、やめようとはしません。「あのナザレ人イエスは、この聖所を打ちこわし、モーセがわたしたちに伝えた慣例を変えてしまうだろう」などと、彼が言うのを、わたしたちは聞きました』」(使徒行伝 6:8–14)。

大祭司のカヤパがステパノのほうを見やり、告発は正しいかと尋ねると、それに応えて、ステパノは力強い説教をしました。その中で彼は、アブラハム、イサク、ヤコブからモーセに至るまで、さらには預言者たちや王たちについて、ユダヤ人の歴史全体を詳しく、順を追って語り、神が遠い昔から、イスラエルの人々に救い主を迎える準備をさせるために、彼らに対してしてこられたことを述べたのです。聖書はこう告げています。「議会で席についていた人たちは皆、ステパノに目を注いだが、彼の顔は、ちょうど天使の顔のように見えた」(使徒行伝 6:15)。

ステパノはメッセージの最後の部分で、彼らに対して一気に真理をまくしたて、こう語りました。「ああ、強情で、心にも耳にも割礼のない人たちよ。あなたがたは、いつも聖霊に逆らっている。それは、あなたがたの先祖たちと同じである。いったい、あなたがたの先祖が迫害しなかった預言者が、ひとりでもいたか。彼らは正しいかた[メシア]の来ることを予告した人たちを殺し、今やあなたがたは、その正しいかたを裏切る者、また殺す者となった。あなたがたは、… 律法を受けたのに、それを守ることをしなかった」(使徒行伝 7:51–53)。

議員たちも、また、ステパノを捕え議会に引っぱってきたサウロの一行も、この心に突き刺さるような叱責には耐えられませんでした。「人々はこれを聞いて、心の底から激しく怒り」ました(使徒行伝 7:54)。そして、彼らはこの異端者を即座に石で打ち殺すことに同意したのです。

「しかし、彼は聖霊に満たされて、天を見つめていると、神の栄光が現れ、イエスが神の右に立っておられるのが見えた。そこで、彼は[一同に向かって]『ああ、天が開けて、人の子が神の右に立っておいでになるのが見える』と言った」(使徒行伝 7:55–56)。

人々は、この言葉を聞くなり耳をおおい、大声で怒鳴って、「ステパノを目がけて、いっせいに殺到し、 彼を市外に引き出して、石で打った」のでした(使徒行伝 7:57)。

サウロは逆上して暴徒と化した信者たちから少し離れた所にとどまっていました。彼らがステパノに石を投げつける準備をしていた時のことが、聖書にはこう記してあります。「これに立ち合った人たちは、自分の上着を脱いで、サウロという若者の足もとに置いた。… サウロは、ステパノを殺すことに賛成して[全面的に同意して]いた」(使徒行伝 7:58; 8:1)。

しかし、サンヘドリンにとっては残念なことに、ステパノが死んだのに、クリスチャンの活動は少しも弱まったり、衰えたりしていないことがわかったのです。クリスチャンは数を増し、その教えをますます盛んに広め続けたのでした。それに対して激怒したのは議会だけではありません。ラビのサウロも、彼らを皆殺しにしようと自ら決意したのです。「その日、エルサレムの教会に対して大迫害が起り、…[彼らは]ユダヤとサマリヤとの地方に散らされて行った。… サウロは家々に押し入って、男や女を引きずり出し、次々に獄に渡して、教会を荒し回った」(使徒行伝 8:1–3)。

クリスチャンに対する迫害は、実に乱暴で悪意に満ちたものとなったので、クリスチャンは、事実上、エルサレムの町全体から逃れました。しかし、熱心なパリサイ人サウロは、首都からほとんどのクリスチャンを追い出しただけでは満足しませんでした。

「サウロは、なおも主の弟子たちに対する脅迫、殺害の息をはずませながら、大祭司のところに行って、[シリヤの]ダマスコの諸会堂あての添書を求めた。それは、この道の者[クリスチャン]を見つけ次第、男女の別なく縛りあげて、エルサレムにひっぱって来るためであった」(使徒行伝 9:1–2)。 彼はおよそ240キロ以上も離れた、他の国の首都にいるクリスチャンを、捕え、獄に入れる権限をカヤパから手に入れたのです。

何年もたってからサウロは次のような告白を記しています。「わたし自身も、以前には、ナザレ人イエスの名に逆らって反対の行動を … 敢行し、祭司長たちから権限を与えられて、多くの聖徒たちを獄に閉じ込め、彼らが殺される時には、それに賛成の意を表しました。それから、いたるところの会堂で、しばしば彼らを罰して、無理やりに神をけがす言葉を言わせようとし、彼らに対してひどく荒れ狂い、ついに外国の町々にまで、迫害の手をのばすに至りました」(使徒行伝 26:9–11)。

しかし、サウロが、宮の護衛たちを引き連れて、ダマスコへ向かう乾燥したほこりっぽい道を馬に乗って進んでいると、その旅も終わりに近づいた頃に、思いもかけなかった驚くべき出来事が彼の身に降りかかったのでした。

「道を急いでダマスコの近くにきたとき、突然、天から光がさして、彼をめぐり照した。彼は地に倒れたが、その時『サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか』と呼びかける声を聞いた」(使徒行伝 9:3–4)。

サウロは聖書を勉強してきたので、神はしばしば、神の言葉を伝える者や預言者に、超自然的な方法で語りかけ、呼びかけるということは知っていましたが、生まれてからこのかた、こんな経験は一度もありませんでした。

サウロは、驚愕し、また恐れおののき、この目をくらませるような光と超自然的な「声」は一体何なのだろうかと思いました。これがもし本当に神の声ならば、どうして、「なぜわたしを迫害するのか」と言ったのでしょう。彼は、神の敵を迫害するという、神のための聖なる任務についているのに。あの厄介者、ナザレのイエスに従う、異端の一派を信じる者どもを迫害していたのです。当然、神はそれをご存知のはずでしょう。サウロはなんとか気持ちを落ち着け、声を出して尋ねました。「主よ、あなたは、どなたですか?」

返ってきた答えは、この若いパリサイ人の人生を一変するほどのものでした。ゆっくりと、しかもはっきりと、その声は答えました。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。サウロ、… とげのあるむち[突き棒]をければ、傷を負うだけである」(使徒行伝 9:5, 26:14)。主はサウロを、主人の突き棒を頑なに蹴り返す雄牛にたとえておられたのです。突き棒とは、先の尖った棒で、農夫は昔、それを使って動物を働かせていました。つまり、サウロは、良心という突き棒に抵抗して、クリスチャンたちを迫害していたということです。

目もくらむような、天からの啓示のまばゆい閃光を浴びたサウロは、クリスチャンを迫害し、殺害したのが、どんなに間違ったことだったかを悟りました。彼は、驚きで頭がくらくらしていました。「神よ、神よ、… イエスこそ救い主なのだ! 私は何ということをしたのでしょう! 主よ、どうか私に憐れみを!」

サウロは、体を震わせて涙し、もう一度声に呼びかけて尋ねました。「主よ、私にどうせよとおっしゃるのですか?」 すると主はこう答えらたのでした。「さあ立って、町にはいって行きなさい。そうすれば、そこであなたのなすべき事が告げられるであろう」(使徒行伝 9:6)。

「サウロは地から起き上がって目を開いてみたが、何も見えなかった。そこで人々は、彼の手を引いてダマスコへ連れて行った。彼は三日間、目が見えず、また食べることも飲むこともしなかった」(使徒行伝 9:8–9)。

考えてもみて下さい。このかつておごり高ぶっていたパリサイ人のラビ、サウロは、イエスご自身からの超自然的な一撃を受けて、馬から落とされ、神の光によって全く目が見えなくされてしまったのです。自分の身に降りかかった、この劇的で超自然的な出来事に、サウロは、すっかり動揺し、また畏怖の念に撃たれたので、食べることも飲むこともできず、ただ、あれこれ物思いにふけりながらベッドに横たわり、必死に祈って、どうすべきかを神が自分に示されるのを待っていました。

三日後、ダマスコにいたアナニヤという弟子に、主がこう言われました。「立って、… ユダの家でサウロというタルソ人を尋ねなさい」。そして、サウロに手を置いて、彼が再び見えるように祈りなさいと(使徒行伝 9:10–12)。

けれども、サウロはクリスチャンの弟子たちの間で非常に悪評が高かったので、アナニヤは異議を唱えました。「『主よ、あの人がエルサレムで、どんなにひどい事をあなたの聖徒たちにしたかについては、多くの人たちから聞いています。そして彼はここでも、御名をとなえる者たちをみな捕縛する権を、祭司長たちから得てきているのです』。

「しかし、主は仰せになった、『さあ、行きなさい。あの人は、異邦人たち、王たち、またイスラエルの子らにも、わたしの名を伝える器として、わたしが選んだ者である』」(使徒行伝 9:13–15)。それでアナニヤはそれに従い、出かけて行ったのでした。

アナニヤが、ラビの横たわっている部屋に入り、「兄弟サウロよ」と呼んで挨拶をすると、サウロは物も言えないほど驚きました。彼はそれまで大勢のクリスチャンに会ったことがありましたが、自分たちを残酷無比に迫害してきた人物を「兄弟」と呼ぶような者には、一人も会ったことがなかったからです。

以前、自分の仲間を迫害した者が哀れな状態にあるのを見て、アナニヤは彼に憐れみを感じ、こう言いました。「あなたが来る途中で現れた主イエスは、あなたが再び見えるようになるため、そして聖霊に満たされるために、わたしをここにおつかわしになったのです」。そして、彼がサウロの目に手を置いて熱心に祈ると、サウロの目はたちどころに癒やされ、彼は起き上がり、食事をとって、元気を取り戻したのでした(使徒行伝 9:17–19)。

サウロは、ダマスコで弟子たちと共に数日間だけ過ごし、その後のことについては、聖書にこう記されています。「ただちに諸会堂でイエスのことを宣べ伝え、このイエスこそ神の子であると説きはじめた。これを聞いた人たちはみな非常に驚いて言った、『あれは、エルサレムでこの名[イエス]をとなえる者たちを苦しめた男ではないか。その上ここにやってきたのも、彼らを縛りあげて、[獄に投げ入れる]ためではなかったか』。しかし、サウロはますます力が加わり、このイエスがキリスト[メシア]であることを論証して、ダマスコに住むユダヤ人たちを言い伏せた。相当の日数がたったころ、ユダヤ人たちはサウロを殺す相談をした」(使徒行伝 9:19–23)。こうして、かつては迫害していた者が、迫害されるほうになったのです。こうして使徒パウロによって、世界を変える宣教が始まったのでした。

サウロが、ステパノの殉教死を目撃したその瞬間から、聖霊が自分をとがめているのを感じていたことは疑いもありません。神に感謝することに、サウロはついにイエスがメシアであるという真実に委ね、初代教会の抜きん出た指導者となったのでした。彼が使徒パウロとなり、愛と憐れみと神の恵みに従い、それを宣べ伝える者となったことは、人生が変わり、「キリスト・イエスにあって新しく造られた者」になることの、何と素晴らしい例でしょうか(2 コリント 5:17)。

回心したパウロは、「ただちにキリストのことを宣べ伝え」ました。何週間、何ヶ月、何年と待ってから、主のための証し人となったのではなく、ただちに他の人々に主について証をしたのです。たとえ聖書の章をいくつも暗記していなくても、人前で雄弁に語ることができなくても、イエスを心の中に受け入れたなら、あなたもまた、他の人が神の愛を経験し、永遠の命という神からの無料の贈り物を見いだすことができるように、イエスのことを他の人に話すよう召されているのです。

私たち全員が、大胆な証し人になり、できるだけ多くの人にイエス・キリストの愛と真理をもたらすことができますように。そうすれば、偉大なる使徒パウロが言ったように、人生の終りに私たちもこう言うことができるでしょう。「わたしは戦いをりっぱに戦いぬき、走るべき行程を走りつくし、信仰を守りとおした。今や、義の冠がわたしを待っているばかりである。かの日には、… 主が、それを授けて下さるであろう」(2 テモテ 4:7–8)。

1987年ファミリー・インターナショナル出版『宝』の記事より 2023年6月に改訂・再版

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