10月 3, 2023
何才も年をとったのに神に近づいていないというのは、同じ場所をぐるぐる回るばかりで、動いてはいても進歩がないということです。自分の心を探り、どれだけの進歩を遂げているのか、クリスチャンとしての人生でどれだけ成長したかを示してくださるよう神に尋ねてください。
神があなたに送ってほしいと望まれているような人生について、かつて神が与えて下さったビジョンを覚えているでしょうか? 大いなる勝利の期待、深く心ゆすぶられた経験、主に近く生きるという大いなる決意です。
あなたは、パウロのように、「わたしは天よりの啓示[ビジョン]にそむかなかった」(使徒 26:19)と言えるでしょうか? あるいは、クリスチャン人生において低いレベル、ありきたりの生活で満足するようになってしまいましたか? 平凡で、挫折したように感じていますか?
友人の中には、クリスチャンとしての勝利の人生を送り、輝き、勝利に満ちている人もいます。クリスチャンだと明言しているものの、挫折している人たちもいます。「私なんてただの虫けら同然よ」と言ったおばあさんのようです。クリスチャン人生において、自分のことを虫けら同前だなんて言いたくありません。神は、私たちは勝ち得て余りがある[新改訳:圧倒的な勝利者である]と言っておられます(ローマ 8:37)。
クリスチャン人生において、静止などありえません。前進しているか後退しているかのどちらかです。しかし、今、自分のことを正直に認めるなら、あなたは、自分が成長の止まった、敗北した、がっかりなクリスチャン人生を生きていると言わざるを得ないでしょうか?
もし霊的に心の検査を受けに行ったら、そして神があなたの魂のレントゲンをとられたなら、あなたはなんと言うでしょう。診断してみたら、あなたの成長が認められるでしょうか? 神の言葉には豊かな人生について素晴らしい言葉がたくさんあります。あなたは勝利に満ちてそれに近づいているでしょうか?
あなたは実際、3人の人です。自分がこうだと思う人、他の人がこうだと思う人、そして神がこうだと知っておられる人、この3人です。私たちが知っていることが一つあります。私たちは成長しなければいけませんよね。黙示録 11:1で、神の言葉はこう告げています。「それから、わたしはつえのような測りざおを与えられて、こう命じられた、『さあ立って、神の聖所と祭壇と、そこで礼拝している人々とを、測りなさい』」。礼拝している人々を測りなさいと言うのです。
私たちの測りざおは神の言葉です。2コリント 10:12-14にはこうあります。「わたしたちは、自己推薦をするような人々と自分を同列においたり比較したりはしない。彼らは仲間同志で互にはかり合ったり、互に比べ合ったりしているが、知恵のないしわざである」。私たちは他の人がどう成長しているかで、自分の成長を測ることはせず、神の言葉によってのみ測るのです。詩篇139篇にはこうあります。「神よ、どうか、わたしを探って、わが心を知り、わたしを試みて、わがもろもろの思いを知ってください。わたしに悪しき道のあるかないかを見て … ください」(詩篇 139:23–24)。
何でも、心に通じて、自分自身を深く見つめる助けとなるものに私は感謝しています。私たちは、プレッシャーの多い時代に生きており、瞑想や思考のための時間がありません。けれども、ただ取り繕い、欺かれ、罪を軽くあしらうのではなく、手を休めて、自分を見つめる必要があります。神の言葉はこう言っています。「思うべき限度を越えて思いあがることなく、むしろ … 慎み深く思うべきである」(ローマ 12:3)。
赤ん坊がどのように成長するかご存じでしょう。赤ん坊は、空気と食べ物と水と愛によって成長します。クリスチャンの成長も同じです。空気は祈り、食べ物は神の言葉、水はあなたの魂にある渇き、また、あなたの心には、神の永遠の愛があります。もし愛のうちに成長しているなら、自分が成長しているとわかります。
あなたは決して自分自身を成長させることはできません。成長は自分の努力によって得られるものではないのです。成長は、ただイエスに近く生き、御言葉に生き、イエスの愛を吸収し、御霊に満たされ、イエスとの心と心の交わりによってもたらされます。
霊的成長は、主の内に生き、主の言葉と、主との甘美で個人的な結びつきの内に生きることによってもたらされます。懸命な努力によるのでも、自己努力・自己依存によるのでもありません。それは自らを完全に主の手の内に委ねることによります。クリスチャンであることの核心は、生きた愛情深い方なるイエスご自身なのです。主との交わりこそ、クリスチャン人生であなたが望む勝利と成長をもたらしてくれます。—バージニア・ブラント・バーグ
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リック・ウォレンは、イエスがいかにして人々の霊的成長を助けたかについての研究を通して、霊的成長のための8つの法則を作り出しました。
霊的成長は意図的。霊的成長は偶然に起こりません。成長しようという意図が必要です。成長することを選択しなければなりません。…
霊的成長は漸進的。肉体的な成長がそうであることは、皆知っていますが、霊的成長もそうなのです。私たちは、子供が発達段階を経て成長することを知っています。 まず呼吸することを覚え、次に食べることを覚えます。そして歩くことを学びます。そして話すことを学びます。これらの段階を順番通りに踏まない子供はいません。発達の段階というものがあるのです。
あなたの霊的生活においても同じことが言えます。こういった順序があるのは、… 人々がどんどんキリストに近くなるのを助けるためです。キリストを知り、次にキリストを愛し、キリストにあって成長し、それからキリストに仕え、キリストを分かち合う。それが霊的成長への体系的なステップです。
霊的成長は個人的。人はそれぞれ異なるので、弟子を大量生産することはできません。霊的成長には画一的なものはありません。弟子であるというのは、学ぶ者であるということであり、それが「弟子」という言葉の文字通りの意味です。私たちは皆それぞれ異なっているので、学び方も皆、異なります。例えば、耳から学ぶのが一番良い人もいれば、読むことによって学ぶのが一番良い人、話し合いによって学ぶ人、またプロジェクトを行うことによって、最もよく学ぶ人もいます。…
霊的成長は実践的。神は私たちに、神が遂げさせようとしておられる成長にあずかるための実践的な方法を与えてくださいます。教会の目標の一つは、人々が良い霊的習慣を身につけることによって成長するのを助けることです。…
例えば、私たちは毎日神と時間を過ごすという習慣を奨励しています。祈りもまた、霊的な習慣です。聖書学習も霊的な習慣です。十分の一献金を捧げることや、小人数のグループに参加することも、霊的な習慣です。結局のところ、私たちは何であれ、習慣的に行うことと等しくなるのです。弟子の習慣を身につけずにイエスの弟子になろうとすることは、全く不可能です。
霊的成長は関係的。私たちは他の人たちとの交流においてのみ成長します。… 聖書はヘブル10:24-25でこう言っています。「愛と善行とを励むように互に努め、ある人たちがいつもしているように、集会をやめることはしないで互に励ま[そう] … ではないか」。
霊的成長は多次元的。私たちは、成長するには5つの目的すべてが必要であることを学びました。私たちは、フェローシップを通してより暖かく、弟子訓練を通してより深く、礼拝を通してより強く、ミニストリーを通してより広く、そしてミッションを通してより大きく成長するべきです。…
霊的成長は季節的。常に一定のペースで成長する人はいません。… 今は冬の時期にあるという人もいるでしょう。「成長のために正しいことをしているのに、それほど成長しているような気がしない」と。それでいいのです。それも人生の一部です。実際、冬には、春や夏にはない何かが起こります。来るべき春のために秋と冬に根を深く下ろすのです。成長と実りの次の成長段階である春のために。
霊的成長は内住的。最終的な真理を言えば、成長とはあなたが何を成し遂げられるかではなく、むしろイエス・キリストがあなたの内に住んでおられるということです。ガラテヤ 2:20[多くの日本語訳聖書では2:19-20]にはこうあります。「わたしはキリストと共に十字架につけられた。生きているのは、もはや、わたしではない。キリストが、わたしのうちに生きておられるのである。しかし、わたしがいま肉にあって生きているのは、わたしを愛し、わたしのためにご自身をささげられた神の御子を信じる信仰によって、生きているのである」。
クリスチャンの人生のゴールとは、イエスのように生きることです。しかし、それはあなたがイエスのようになろうと「努力」するのではなく、イエスがあなたの内に生きておられるのだと「信頼」するということです。クリスチャンの人生の秘訣は、模倣ではなく、内住です。つまりあなたを通してキリストに生きていただくことなのです。イエス以上にイエスのように生きられる人などいません。—トム・ホラデイ [1]
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神は、御子が飼い葉桶の中の赤ん坊から使命を行う人へと成長するのを見守られました。そしてイエスがバプテスマを受けたとき、神は鳩のように舞い降りて、こう言われました。「あなたはわたしの愛する子。わたしはあなたを喜ぶ」(ルカ 3:22 新改訳2017)。
神がイエスの成長を見守られたように、あなたも見守られています。あなたが御言葉から学びつつ知恵を深めていくのを、神は見ておられます。神があなたを強めてくださるとあなたが信頼するにつれ、強く成長していくのを見守っておられます。あなたが成長するにつれ、あなたを自慢にしているパパ、あなたのアバはこう言います。「あなたはわたしの愛する子。わたしはあなたを喜ぶ」。—タマ・フォートナー
2023年4月アンカーに掲載 朗読:ジェリー・パラディーノ
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